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【ミスト】―暴君―

僕は急いでいた。それはもう、今までないぐらい。

脇目も振らず、ただひたすら走る、走る走るはしるはしる足がもつれそうになる、走る走るはしるはしるハシルハシル――


 喉を鳴らし、胸で荒い呼吸をする。額に滲む汗が顎からしたたり落ち、じっとりと重くなった服は肌に張り付いていた。

 手を膝についてうつむき、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせる。

 城下街の門前に着いたのは、午後三時。二時間の遅刻だ。ここまで何かに遅れたことは一度もない。

 顔だけ上げて、あたりを見回す。

 さすがに二時間も待ってるとは思えないけど、それらしい人をひとりひとり……ん?

 明らかに目立っている少女がいた。魔物でもいるかのように、通りすがる人が顔を向けて遠ざかる。家族連れの小さい子供が少女を見て泣き出す。

 その目立ちに目立っている少女は、腕を組んで城壁に寄りかかり、僕の方を吊り上った目で睨んでいた。僕を待っていたみたいだ。

 まぎれもなく、昨日の彼女だった。何を言われるだろうかと、僕は胸に手を当て動悸を抑える。


 怒り心頭の彼女が、大股でずんずん歩み寄ってきた。

「うっ」

 ――こけた。

 ふぐぐ、なんてうめき声を上げながら立ち上がる彼女。

 裾を払っている彼女に歩み寄る。

「大丈夫です?」

「こ、この! アンタのせいよ!」

「そんな無茶苦茶な……」

 しかし、転び慣れているのか、ケガはないようだ。それにしてもよくこける。

「足、悪いんです?」

「そんなワケないでしょ。たまたまよ、たまたま」

「そうですか。そういうことにしておきましょう」

「ちょっとアンタ! 私がころころころころ転がってるとでも思ってんじゃないでしょうね?」

 声に怒気が孕まれていた。

 少女の目の奥が光る。黒い瘴気のようなものまで立ち昇っている気が……。

「め、滅相もありません」

 彼女の形相に押し黙り、慌てて目を逸らす。

 しかし、ころころころころじゃなくても、ころころぐらいは転がってる気がする。

 それが彼女の印象と違って少しかわいいなどと言おうものなら、今すぐ殺されそうだ。


「それにしても……やっっっっと来たわね!」

 少女は目を細め、不気味な笑みを浮かべている。

「す、すいません。かなり待たせましたよね……」

 素直に謝るしかない。遅刻は遅刻だ。

「私を待たせるなんて、覚悟はできてるんでしょうね?」

 二時間も待たされたイライラが、彼女の吊り上った口の端から零れ落ちそうだ。あからさまに許してくれそうもない。

 それでも、言い訳せずにはいられなかった。

「そう言われてもですね、いきなり予定を決められたワケで……」

「ふーん。で?」

 こ、これは意にも介してくれない気配が。

「え、ええと、あとはアテが外れたと言いますか……」

「何言ってんの?」

「どの門なのかわからなくて」

 この広大な城下町には、東西南北にそれぞれ四つある。一つずつあたっていき、三つ目にして、ようやく彼女のいる門を見つけられた。これが僕の大遅刻の理由だ。

「あ、そう言えばそうだったわね」

 彼女は、けろっとして言い放った。僕に“門の前”としか言っていなかったことを思い出したようだが、悪気を感じている様子は微塵も感じられない。

 汗だくになって辿り着き、その結果が――これ。何ともやるせない。


「そうねぇ……じゃあ目、閉じて」

 恐る恐る、言われた通り目を閉じた。

 ひたひたと彼女が近づく。

 こ、これは――――

「く、くすぐったい! ふ、くくくくくっ……」

 脇腹をくすぐるという予想外の攻撃だった。

「すいません! 僕が悪かった、です……っから……くぅ」

 こうなると、もう謝ることしかできない。

 彼女は僕の様子に満足したのか、手を離す。

「言い訳なんてするからよ、まったく」

 声では怒っているようだが、いたずらっ子のような表情を浮かべていた。

「ほら、許してあげたんだから、お礼は?」

「あ、ありがとうございます」

 彼女の顔をうかがって胸を撫で下ろす。なんだかよくわからないけど、許してくれたみたいだ。

 よかった……。

 いや、ちょっとまて、全然よくない。そもそもなんで僕はお礼なんて言ってるんだ。


「で? アンタ、聞きたいことはないの?」

 彼女の唐突な言葉が、僕の思考を遮った。

 そう言われれば、聞きたいことは山ほどある。

「え、えーと。僕はどうなるんです?」

「残念、はずれ」

 はずれらしい。いや、質問にはずれなんて言われても。

「そ、それじゃ……僕はいつ解放されますか?」

「つまんない」

 気だるそうに言われる。笑わせれば良いわけですか……。

「そうそう。私のことは“ご主人様”って呼ぶことね」

「で、ではご主人様。お名前はなんとおっしゃるのでしょう?」

「私は……そうね、うーん」

 彼女は顎に手を置いて、なにやら思案している。

「私の名前はカイリョーシア」

 なぜ名前を考える必要があったのか。それに、貴族であるなら家名があるはずだ。

 やはり、この少女は怪しい。

「珍しい名前ですね。どこの生まれです?」

「んー。考えるの、めんどくさい」

 頭をぽりぽり掻きながら言う彼女。

 か、考えるのめんどくさいって、ウソついてますって言ってるのと同じじゃ……。

「で、アンタはどうなのよ?」

 自分のことは棚に上げ、僕に振る彼女。しかも、義理で聞いてやってんのよ、と言わんばかりの口調だ。

「僕は、ミストです」

「そう。じゃあアンタの名前は、どてかぼちゃね」

「ど、どてかぼちゃですか……」

 僕の名前は気に食わなかったのか。それにしても、どてかぼちゃはひどい……。 


 ともかく僕は、ずっと気になっていることを聞くことにした。

「じゃあ本題に入りましょう」

「却下!」

 ぴしゃりと言い放たれる僕。あっけなく本題は幕を閉じた。

 しかし、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。

「で、できれば本題に入らせてください!」

「いいわよ、どてかぼちゃ。二十字以内ね」

「あ、ありがとうございます」

「あと七字」

 そんなバカな……しかも読点まで入ってるなんて……。

「なぜはねはえ?」

「何言ってるかわかんない」

 そりゃそうだ。

「な、なぜ翼が生えてるんでしょうか?」

 そう、彼女はコウモリのような黒い翼が背中からにょっきり出ている。

 さっきから彼女と一緒にいる僕も、注目の的になっていた。まさに衆人環視だ。なにか口から火でも吹いて芸の一つでもしなきゃいけないような気さえする。

「なんだ、そんなことなの? お気に入りなのよ、これ」

 羽をぱたぱたさせる彼女。良く出来たアクセサリー、なのか?

「うーん。そうですか」

「なに? 文句でもあんの?」

「い、いえ。あとはその、頭に乗ってるのは?」

「これ? これは耳だけど?」

 まるでネコの耳のようだ。本物のように、時折音のする方へ向かってぴくぴく動いている。

 髪止めか何かなのか? 羽といい耳といい、なんて精巧な作りなんだろう。

「そうですか。なんだかすごいですね……」

 彼女の全身を改めて見回す。

 服装にしたって奇抜だ。彼女は白と黒を基調にしたドレスの上から真っ黒いローブを羽織っている。そしてさらに、これまた真っ黒なマントを着ている。貴族と思しき金や銀をあしらった派手な格好をしている人からも、興味深々といった目で見られていた。

「なに? どてかぼちゃは私の格好がそんっなに気に食わない?」

 そう言って、僕の肩をがっしり掴む彼女。どこにそんな力があるのか、肩からぎしぎしと音が聞こえてきそうだ。

「いえ、そんな、ことは……にっちも、さっちも、いきません」

 う、腕がもがれそうだ……。

「ふぅん。まぁいいわ」

 僕から手を離し、耳をぴくぴくさせる。

 まるで暴君――そんな例えが脳裏に浮かんだ。


「じゃ、ホンダイは済んだわね。とっとと行くわよ」

 そう言って歩き出す彼女に、僕はため息を吐きながらついて行く。

 なんにせよ、この少女が何者なのか、もうしばらく様子を見たほうがいい。

「あ、そうだ」

 何か思い出したかのように、彼女は振り返って僕に歩み寄った。

「ほら、手を出しなさい」

「は、はあ」

 彼女の目の前にすっと右手を出す。

「違う、そうじゃない。手から鳩でも出す気?」

「こ、こうです?」

 両手を前に出して組み合わす。

「祈ってどうすんのよ!」

「そう言われてもですね……こうですか?」

 両手の指先をあわせて、彼女の前に突き出す。

「なにそれ? そっから見えない何かでも見えんの?」

「う、ううーん」

 手のひらを彼女に向け、両手を前に突き出す。

「はぁ……まったくしょうがないわね」

 なにがしょうがないのかさっぱりわからない。が、彼女は僕の手を取って握り締めてきた。

 予想外の出来事に、僕は肩をびくっとすくませてしまった。手を折られるのかと思ったが、違ったようだ。

 なぜこんなことをするのか、まったくもって理解できない。


 ふと、そっぽを向く彼女の横顔をのぞき見ると、頬が仄かに赤くなっている気がした。


 彼女は僕の手をぐいっと引っ張って歩き出した。

 きつく握られた手から、僕の体温が伝わっていく。

 彼女の手はやわらかい。

 冷たかった彼女の手は、少しあたたかくなっていた。


 なんだか気恥ずかしい。


 彼女は顔をそむけたまま、ずんずん歩いて行く。

 僕は前のめりになりながらついていった。


 ただでさえ注目を集める翼の生えた彼女と、これからずっと手をつないで行動しなければならないのか。

 「彼女には逆らえないから仕方なくだ」そう言い聞かせるように、僕はつぶやいていた。


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