【勇児】―衆人環視―
僕は急いでいた。それはもう、今までないぐらい。
脇目も振らず、ただひたすら走る、走る走るはしるはしる肩がぶつかりそうになる、走る走るはしるはしるハシルハシル――
喉を鳴らし、胸で荒い呼吸をする。額に滲む汗が顎からしたたり落ち、じっとりと重くなった服は肌に張り付いていた。
手を膝についてうつむき、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせる。
遊園地に着いたのは、午後三時。二時間の遅刻だ。ここまで何かに遅れたことは一度もない。
顔だけ上げて、あたりを見回す。
さすがに二時間も待ってるとは思えないけど、それらしい人をひとりひとり……ん?
明らかに目立っているコがいた。マスコットの着ぐるみがいるように、通りすがる人が顔を向けている。家族連れの小さい子供が指を差す。
その目立ちに目立っているコは、僕の方を向いてぺこりとおじぎをした。僕を待っていたみたいだ。
まぎれもなく、昨日の彼女だった。まだいてくれてよかったと、僕は胸に手を当て、安堵のため息を吐いた。
彼女がこちらに駆け寄ってくる。
「ふぎゅ」
――こけた。
ふぐぐ、なんてうめき声を上げながら立ち上がる彼女。
裾を払っている彼女に歩み寄る。
「大丈夫?」
「は、はい! 顔はぶつけてません、お嫁にはいけます!」
転び慣れているのか、ケガはないようだ。それにしてもよくこける。
「足、悪いの?」
「ち、違います。ちょっと転びやすいだけです」
「そっか。良かった」
「え? そんな、全然良くないですよ」
「あぁ、それもそっか」
足じゃなくて、頭の方に何かあるかもしれないし。
「ところで、来てくれたんですね……もうダメかと思ってました」
女の子は目を細める。二時間も遅刻した僕を責める様子は微塵も感じられない。
「ごめん。かなり待たせたよね」
素直に謝る。遅刻は遅刻だ。
「いえ、わたしもさっき来たとこですから」
あからさまなウソを言う。
「それに、相談もしないで予定決めちゃったの、わたしですし」
「あぁ、そうじゃなくて」
「んぅ?」
「アテが外れたというか」
「うー……んと??」
「どっちの遊園地かわからなくて」
僕は二時間前まで、近郊にある別の遊園地に行っていた。大遅刻の理由だ。女の子のことはケータイどころか名前すら知らない。
「あ、あ、あ……ああああぁぁぁ!」
耳が痛い。女の子が青い顔をして両手で頭を抱えている。
どうやら僕に“遊園地”としか言っていなかったことを思い出したみたいだ。
「すいません! ごめんなさい! いつか死にそうになったら切腹してお詫びします!」
「気にしてないからいいよ。僕も遅刻したし、ずっと待っててくれたみたいだし」
「あ、ああありがとうございます! お客様は神様です!」
よくわからないけど、感謝してくれてるみたいだ。
「それはそうと、いくつか聞いていいかな?」
とりあえず名前ぐらいは聞いておかないとまずい気がする。
「はい、なんなりとお聞きくださいませ、ご主人様」
「うん、ご主人様じゃないんだけど。名前はなんていうのかな?」
「わたしはカイリョーシア・パンナコッタと言います」
「珍しい名前だね。日本人にしか見えないけど、どこの生まれかな?」
「えとー、東ヨーロッパあたりだと思います」
「そっか。長い名前だから短くして……そうだな、かいぱ
「ごめんなさい、今野麻緒といいます」
「僕は今野勇児。名字一緒だね、麻緒ちゃん」
「ま、ま、まおちゃん、ですか……あの、わたし、チケット買ってきます!」
女の子は耳を真っ赤にして、湯気が出そうになっていた。まおちゃんと呼ばれて恥ずかしいらしい。慌てて窓口まで走っていって――こけた。
戻ってきた麻緒ちゃんにチケット代を渡す。おごりでいいと手を振る彼女に、無理やり握らせた。
「さて、じゃあ本題に入ろうか」
遊園地へ入る前に、僕はずっと気になっていることを聞くことにした。
「え? ホンダイに入るんですか? 遊園地に入るんじゃないですか?」
「できれば先に本題に入らせて」
「はい、じゃあホンダイに入ります!」
「麻緒ちゃん、なんで羽生えてんのかな?」
そう、彼女はコウモリのような黒い翼が背中からにょっきり出ている。
さっきから彼女と一緒にいる僕も、注目の的になっていた。まさに衆人環視だ。なにかパフォーマンスでもしなきゃいけないような気さえする。
「えとー、かわいくないですか?」
羽をぱたぱたさせる彼女。良く出来たアクセサリーだ。
「うーん。わかんないな」
「そうですかぁ……残念です」
「それにその、頭に乗ってるの」
「あ、これはネコミミです……これも、ダメですか?」
ネコミミとやらは髪飾りにくっついてるだけのようだ。動いたりはしなかった。
「ダメじゃないけど、僕はそういうのわからないから」
それに、女の子に服装のことでとやかく言いたくないけど――真っ黒いガウンというのかローブというのかを羽織っているし、その上から、これまた真っ黒なマントを着ている。コスプレってやつなのか、それともこれが普段着なんだろうか。
「わ、わかりました! ご迷惑なら、羽をもぎます!」
「いや、うん、よく見ればかわいいよ、羽は」
もがれても困る。
「そうですか。じゃあ羽だけつけておきます」
と言って、いそいそとネコミミをしまう彼女。
焼け石に水――なんとなくそんなことわざが脳裏に浮かんだ。
「それじゃホンダイも済んだし、そろそろ行こっか」
僕はあきらめてため息を吐いた。ド派手な彼女と遊園地に入る覚悟を決め、歩き出す。
「あ、あ、あの!」
振り返ると、彼女は立ち止まったままだった。どもりながら何か言おうとしているようだ。
「て、ててて、て、て……」
「て?」
「て、て……てんぷらうどん!」
「たぶん、園内で食べられるんじゃないかな」
「じゃなくて! ててて、てお、てお……おおお、お……オットセイ!」
「遊園地に? さすがにオットセイは干からびそうだよ」
「ち、違います! て、手を、つ、つないでも、いいいですかっ!」
「は、はぁ……はい」
まるでこれから果たし合いでもするかのような気迫に圧倒され、手を差し出す。
彼女が腫れ物にさわるかのように、軽く触れてくる。
そのまま、彼女は手を震わせるばかりだった。
じれったくなって握り返すと、彼女はびくっと肩をすくませる。
彼女の手は柔らかい感触がした。
ふと見上げれば、彼女は握られた手をじっと見つめたままだった。完全に固まっている。
いつの間にか、つられて僕も手を見つめていた。
つないだ手から彼女の体温が伝わる。
僕の手が冷たいのか、握っている彼女の手があたたかい。
どこか懐かしいぬくもり――――
なんだか僕まで気恥ずかしくなってきた。
ただでさえ注目を集める翼の生えた彼女と、これからずっと手をつないで行動しなければならない。
毒を食らわば皿まで――なんとなくそんなことわざが脳裏に浮かんだ。
僕はきっと、遊園地へ精神鍛錬か何かの修行に来たんじゃないかと思う。
そう考えるのは、僕の照れ隠しなんだろうか。




