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【ミスト】―宣告―

「私の奴隷になりなさい!」


 突然投げかけられた言葉に、僕はただ耳を疑うばかりだった。







 香草の入った竹籠を背負い、なだらかな山道を歩く。

 木々の隙間から覗く星空。木の葉がざわめく音が耳をかすめ、ひんやりとした秋の夜風が滑らかに頬を伝っていく。

 思わず目を少し細める。疲れて火照った体に、感じるもの全てが心地良い。

 僕はこの山道が好きだった。


「ちょっとアンタ!」

 ふいに、背後から怒鳴りつけるような声がした。

 振り向くと、腕を胸の前に組んでいる少女が、僕を睨みつけるように立っていた。

赤毛のショートカットで背の小さい、きりっとした瞳が印象的な凛々しい少女だった。どこの貴族なのか、真っ白い絹のような短いドレスを着ていた。こんな山道に、いったいなぜ? しかもこんな時刻に。お供の人も見当たらないし……。


 その少女が、いきなりワケのわからないことを言った。

 ――僕を指差しながら。



 木の葉の擦れる音だけが響く。


「お断りします」



「……なんですって?」

 貴族らしき少女は、大股でずんずん僕に歩み寄

「あっ」

 ろうとして、つまづいて転んだ。木の枝に引っかかったらしい。

「大丈夫?」

 そっと手を差し伸ばす。

 ためらいがちに手をとって、立ち上がる少女。ケガはしてないみたいだ。

 少女は転んだのが恥ずかしいのか、真っ赤な顔をしていた。


「いつまで触ってんのよ!」

 そう言って、僕の手を払いのけた。

「ご、ごめん。じゃあ僕はこれで」

 少女の横を通り抜ける。

「ちょっと待ちなさい」

 後ろから肩を掴まれた。ビクっという音が聞こえそうなくらい反応する。足をすくませて、顔だけ少女を振り返る。

「だーかーらー、私の奴隷になりなさいって」

「ごめんなさい。なに言ってるかよくわからないんですけど」

 いきなり奴隷になれ、だ。僕は貴族なんて子供の頃にしか見たことがない。奴隷はただ貴族の言いつけを守る――その程度の知識しかない。それも合ってるかどうか。とは言え、なんで僕なのかさっぱりわからなかった。奴隷はさらってくるものなんだろうか?


「つべこべ言わずに、首を縦に振ればいいのよ!」

「いや、そう言われても……」

 僕は少女の方に向き直っていた。

 思わず目を伏せて口篭る。後の言葉が続かない。


「あぁもう! じれったいわね!」

 少女は地団駄を踏み出した。僕よりずっと小さいのに、なんだかおっかない。

 それに確か、貴族に逆らえば――命はない。よくて牢獄での生活が待っている。


 僕は意を決したように少女を見据え、ぎこちなく口を動かし始めた。震える口元が僕の緊張を伝えている。

「わ、わかりました……」

「ふん、最初からそう言いなさい」

 冷然と答えられる。これから少女に何をさせられるかと考えただけで、背筋に悪寒が走った。

「アンタ、サーカス行った事ある?」

 唐突に聞かれる。子供の頃に遠目でしか見たことがない。どうす

「あ、やっぱいい」

「え? は、はあ…………はい」

 どんな無茶を言われるのかと気が気でない。僕はじっと少女の目を見続けていた。懸命に。目を逸らすと死ぬかのように。実際下手なことをすれば、死ぬかもしれない。

 僕は完全に恐怖で狼狽していた。


「そうね……」

 少女は腕を組んだまま目をつむり、何事か思案し出したようだった。

「とりあえずアンタ、町まで来なさい」

 目を開けた少女は、邪悪としか思えない笑みを浮かべてそう言った。よほど楽しいことを考えついたらしい。

「それじゃ、明日の午後一時ね。門の前にいるから」

 少女は僕の返事なんて不要とばかりに、きびすを返して歩き出した。

「ぐっ」

 と思ったら、またさっきの木に引っかかってこけた。

 少女はぷるぷる震えながら立ち上がると、僕を一度鋭く睨みつけ、今度こそ去っていった。


 少女の後ろ姿を、僕は呆然と見つめていた。自分勝手というか傲慢というか……貴族ってこういうものなのか。


 僕は今まで静かにひっそりと自然に囲まれた小さな村の離れで暮らしてきた。それはもう町の人達にすれば、世捨て人とか森の主とか山の精霊とか言われるくらいに。だから、奴隷なんて見たことがない。いったい何をさせられるのか……。

 落ち着いて考えると、さらに恐ろしくなってきた。

 この僕が、町に移り住んで奴隷として生きていく……。


「僕は何か悪いことでもしたのかな……?」


 そうつぶやいても返事はない。誰もいない山道を歩く。足取りが重い。

 遠く、町の灯りがくすんで見える。

 北風で舞い上がる落ち葉が、冬の始まりを告げるようだった。


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