【魔王な彼女】―いつかきっと―
――これは私の記憶
私の思い――
* * *
ミストは遠くを眺めていた。
私も同じように見てみる。
夕焼けに染まる黄色い景色はキレイだった。
「どてかぼちゃのスープ、ずっと僕に食べさせたかったのか」
ミストがぽつりとつぶやく。
私には答えられない。やっぱり私の正体はバレてた。
ミストが私の髪に触れる。
こそばゆくて目を細める。
「おかえり」
私は返事をしない。
ミストの家に帰ったと錯覚する。
私の家じゃないのに、ミストは「おかえり」って。
いつも私が居座ってるからだ、と最初はジョーダンで言ってた。
懐かしい日々が思い浮かぶ。
胸が締め付けられるようで、苦しい。
「会いたかった」
言葉が出そうになるのを抑える。
こみあげるのはどうしようもない切なさ。
私は抱きしめられた。
初めて会ったときとは違う。
この手に、腕に、頬に、ぬくもりがあたたかい。
ミストの鼓動が聞こえる。
ずっと求めていたぬくもりがあたたかい。
広くなった背中に手を回す。
『やりたいことは全部やった』――こんなのウソだ。
『うん。もうこれで十分』――言い聞かせただけだった。
家に帰りたい。ずっと一緒にいたい。
「一緒に帰ろう」
ミストの声で気がつく。
もう歯止めが利かなくなる。
私、
私は……。
私は首を横に振る。
私にはまだやり残したことがあった。
ミストを押しのける。
「さよなら」
泣きついたって、私はもう少しで消える。
顔を伏せ、ミストを背に出口へ向かう。
私を追いかけようとするミストを手で制す。
そして振り返る。
私はお別れをするために蘇ったんだ。
そして――
「いつか、きっと」
――またどこかで。
私の願い。
突然、背後から仰け反るほどの衝撃。
体がしびれて地面に膝をつく。紫の電流が私の体から飛散する。
私はこの雷撃を受けたことがある。
忌まわしい記憶が脳裏に広がっていく。沸々と湧いてくる憎しみ。
雷撃の発端を睨みつける。遠くには紫電が杖の先から散っている年老いた魔術師。そばに神官の少女。
そして先頭にいるのは――勇者。この国の王子。魔物を皆殺しにする者。笑いながら殺す悪魔。
町の中からずっと後をつけられていた?
かつての時と同じ、白い光が集まっていく。
立ち上がろうとしても体が震えて膝をつく。まともに後ろから受けた雷撃のせいだ。
光は瞬く間に大きくなって、勇者から放たれた。
私はこんなヤツに殺されたくない。
光が音もなく私に突き進む。
ダメだ、体が動かない。
視界いっぱいに広がる白い光。
目を閉じようとして体を突き飛ばされた。
ミストが光に包まれる。
光の中心から幾千の光の粒子。槍の形をして内側から飛び出していく。
ミストの形をした影。張付けられたように立っていた。
影が細かく跳ねる。何度も、何度も。槍が飛び出すたび脈打つように跳ねる。
影絵にも似た光景が私の前で繰り広げられている。
「あっあぁ……ああああああああ!」
放出を終えた光はミストの体に吸い込まれるようにして消える。
ミストの体は腰から地面に落ちた。
壊れたおもちゃみたいに空を向いて転がっている。
「ミスト! ミストッ!」
這い寄りながらあらん限りの声を出す。
ミストは手足をだらりとして動かない。
「ねぇ、返事しなさいよ……ねぇってば」
ミストの上半身を抱える。
首が垂れ下がった。
「あ、ぁっ……なん、で」
開いたままの瞳はただ、黒く染まり始めた空を映していた。
ミストの口を手でなぞる。
もう私に笑いかけることはない。
指にかすかな風を感じた。
息、息してる。
まだ生きてる!
刹那、後ろから私の肩をかすめて高温のもの、火炎が突き抜けていった。服の焦げた臭いが鼻をつく。きっと魔術師だ。
ミストの体のどこかからか、地面に血が滴っている。わずかずつ広がっていた。
「必ず助けるから」
ミストの頭を抱え、ゆっくり地面に下ろす。
早くしないと手遅れになるかもしれない。
でも、どうすれば助けられる?
「人間には効果が薄いですねぇ。村人すら倒せないなんて」
ぞっとする悪魔の声が、背後からわずかに聞こえた。
ゆったりとした足取りでこちらに向かってきている。
――コイツだ。
魔物が私を襲ったのも、コイツが森を追いたてたから。
棲み処を奪い、
同族を殺し、
私を殺そうとした。
安らぎを、
あたたかさを、
ぬくもりを、
かけがえのない大切なものを、
私からすべてを奪う者。
黒い衝動が肩を震わす。
震動が大気に伝わる。
青い瘴気が体から立ち昇っていく。
魔力が暴走する。
風が吹き荒れ、上空に流れ込んでいく。再度魔術師から放たれた炎が、渦に飲まれて空に消える。
雲が立ちこめ、雪が舞い降りる。
教会の鐘が夜の訪れを告げる。
あたりを闇が支配していく。
見開いた瞳が紅く輝きを放った。
「凍てつけ!」
振り向きざま、勇者を鋭い眼光で射抜く。空気が氷結する。
勇者は小さく跳び退り、剣が淡い光の軌跡を描いて魔力の氷を砕く。
憤怒が雷雲を巻き起こす。右手を空に掲げる。
「くらえ!」
勇者の頭上から落雷、落雷、落雷。
雷鳴だけが轟く。勇者はうっすらと笑みを浮かべながら軽々とかわしていった。
魔術師の杖が紫を帯びる。
瞬間、かがんだ頭上を雷がかすめて虚空に消えた。
間合いを詰めていた勇者の剣が頭上から襲い来る。
横に回転してかわす。
勇者が跳んで距離を詰める。
笑いながら剣を振り下ろす。
右に転がる。
笑い声と共に剣を突き出す。
耳元に風。よじってかわしたところに剣が頬をかすめる。血がにじむ。
勇者がふいに後退る。視界に魔術師の紫光。
起き上がった直後、雷が雪を蒸発させて突き進む。
マントに魔力を込めて振り回し、目前で軌道をそらす。髪が一束焼けた。
勇者を横目に跳び退く。そして左手を魔術師へ向かって突き出す。
「雷よ!」
大気を揺るがして金の雷が降り注ぐ。
魔術師の頭上に張られた薄い膜を貫き、掲げられた杖を伝って地面を金が拡散していく。
魔術師は体を震わせながら膝をついて倒れこんだ。杖が二つに分かれて転がる。
勇者は剣についた血をなめていた。口の端を持ち上げて奇妙な笑いを浮かべている。
ぞくりと背筋に悪寒が伝う。
過去の惨劇が脳裏によぎる。怯みが浮かぶ。一筋の汗となって頬を伝う。
早くコイツを倒さないと、ミストは助からない。
湧き起こる焦燥を打ち消すように歯を食いしばる。
勇者が腕をだらりと下げたまま歩み寄る。
勇者を見据え、右手で中空に円を描く。
描いた先から、黒い剣が次々に現われる。
勇者は前方に手で大きく十字を切っていた。まぶしい光が浮かび上がっていく。
「ゆけっ!」
六つの剣が黒い影を伸ばすように勇者へ向かって突き進む。目を見開いて勇者を射竦める。腕を天に掲げる。
雷雲が金の光を放つ。凍結、雷鳴、剣撃。一斉にたたき込む。
直後、金の光をまとった十字の光が黒の剣を弾き飛ばして牙を剥いた。
かわせない。肩を浅く抉る。
左腕がしびれ、肩を押さえた。痛みで目を細める。思わずうめき声が漏れてしまう。
勇者は何事もなかったように突っ立っていた。ざっくりと切れた左頬から血が伝う。
勇者が頬の血をなめる。
勇者は狂喜のような笑い声を上げた。口が凶悪なまでに吊り上っている。おもしろいおもしろいおもしろい、呪文のように繰り返す。
怖い。
私が、魔王が恐れている。
冷や汗で服が肌に張り付く。怒り、憎しみ、悲しみ、すべて気圧されようとしていた。
肩を押さえながらじりじりと後退する。
視界の端にミストの姿が映っていた。地面の血がさっきより広がっている。
どうすればいい?
どうすれば、どうすれば……。
魔術師の傍らに座る神官の少女の姿が目に入った。
傷を治しているんだろうか。
神官……傷を治す――
あの少女ならミストを助けられる?
勇者が剣を両手で握り締め、笑いを張り付けたまま突っ込んできた。
とっさに右手を掲げる。
雷が帯をなして集まり、剣を形どっていく。
雷光のほとばしる金の剣が手に収まった。
勇者が奇声をあげながら淡い光を放つ剣を振り下ろし、具現化したばかりの剣に叩きつけた。
つんざくような音を上げ、火花を散らす。
受け止められたのも一瞬、渾身の重い剣撃を右手だけでは耐えられない。
半身をひねってかわす。
続けざまに勇者の突き、突き。
初撃を紙一重でかわす、連撃がさけられない。ローブがさけ、血が伝う。
雷の剣のなぎ払い。
勇者の斬り上げが合わさった。
甲高い音を立てる。
金の剣が舞い上がり、地面に突き刺さった。
「ほら。待っててあげるから、取って来なよ。なんならもう一本使うかい?」
寒気がするほどにこやかな表情で勇者が言う。
憎いのに、くやしいのに、手も足も出ない。
数多の魔物を屠ってきた勇者にとり、私は遊び道具でしかないのか。
私はコイツには勝てない。
それならば――
「あの村人を助けてください」
ひれ伏す。
もう誇りなど要らない。
「お願いだから……」
憎しみや悲しみも晴らせなくて構わない。
ただミストを救えればそれでいい。
「ケダモノの言うことなんて聞いてられない、なっ!」
蹴り飛ばされる。
息が止まってむせる。
「村人なんてどうでもいいよ。早く剣を出すなり取ってくるなりしなよ」
腕を組み、苛立たしげに言い放つ。
ダメ……か。
私は覚悟を決めて顔を上げる。
もう私にできるのはただひとつ。
最後の賭けに出る。
勇者に背を向けて力の限り突っ切る。
目指す先は――神官。
背後から飛んできた真空波でマントが、ローブが、肌が切り裂かれる。
髪が切れて落ちる。
無数にできた切り傷から血が流れていく。
魔術師の治療をしていた神官が驚愕の表情を向けた。
眼光で靴を凍結させる。
怯える神官の顔を両手で掴む。
額をあわせ、瞳を覗きこむ。
紅い瞳が輝きを増す。神官の目に涙が浮かぶ。
背になにかが突き刺さる。
痛みがない。きっと深い傷。
意識が飛びそう。
閉じかけた目を見開く。
崩れ落ちそうになるのをこらえる。
まだあともう少し……。
肩に突き刺さる感触。
もうろうとする。
ぼんやりとした視界。
紅に呼応して明滅する神官の瞳。
終わった。
神官に寄りかかって倒れる。
これでミストは助かるかもしれない。
間に合うかな……。
「つまらないよ」
背後から勇者の、死神の声が
* * *
――この指輪に宿るは魔王の魂の欠片
アイシャとぱんなこったの最後の思い出――
【魔王な彼女、村人の僕】
天空の塔に凍える風が吹き荒ぶ。
「いつかきっと、取り戻すから」
止まない雪が降り積もる。
「僕は魔王になろう」
闇夜に教会の鐘の音が鳴り響く。
* 旅立ちの物語 *




