【魔王な彼女】―思い出―
――これは私の記憶
私が“私”になった日の思い出――
* * *
ここはミストとの思い出が詰まった部屋。昔の私の家。
主がいなくなって、もう二年が経つ。冷えた空気が胸を締めつける。
ぱんなこったは私を蘇らせてくれた。
でも私は“私”じゃない。
鏡に自らの姿を映す。
赤毛のショートカット、きりっとした瞳、そして背が低かった。
私はぱんなこったと混じり合っていた。容姿だけじゃなく、記憶、考え、魂に至るまで。
ミストに初めて会った時の服がぴったりだった。なんか、子供に戻った気分……。
一度失われたものを完全に蘇らせるなんて、そう都合良くはいかない。
私はぱんなこったの記憶を頼りに、ミストのいそうな場所へ向かった。
辛気臭い夜の山道を歩く。
こんなとこ毎日通ってたら気分が滅入りそう。秋なのに冬みたいな感じがする。
ミストがいた。
寂しげな後ろ姿に胸が締めつけられる。私がいなくなって二年も経ってるのに、まだ引きずってるなんて……。
ぱんなこったの記憶、部屋から外をぼんやり眺めるミスト。私の名をつぶやく姿と重なる。
目に涙が浮かぶ。私はこれほどまでに思われていた。
私は目をこすりながら、後ろ姿をじっと懐かしむように眺める。だから、残念で悲しくて。
私は一日しか“私”でいられない。
私の蘇りは、失敗に終わったと言ってもよかった。一日でいったいなにができる?
ミストのことを考えれば、このまま何もしないのが良い。
でも、私は来てしまった。
「ちょっとアンタ!」
うれしくて悲しくて、怒鳴りつけるような声になってしまった。
振り向くミスト。大人っぽくなってた。妙に感慨深い。
そっか、もう私より年上なんだ。
そこで気づく。呼んだのはいいけど、どうするかまったく決めてない。
頭の中は真っ白だった。
「私の奴隷になりなさい!」
わずかな時間で思いついたのは――他人になりすまして、ミストに無茶をさせることだった。
私はずぅっと、ミストにからかわれてきた。今までの借りを返させてもらおう。
これならきっと、悲しくならないから。
「お断りします」
長い沈黙の後、ミストはそう言葉を紡いだ。なんか、フラレた気分。
「……なんですって?」
言うことを聞いてくれないと困る。
私はミストに詰め寄ろうとして木に引っかかってこけた。ぱんなこったと一緒になったからか、どうも足元がおぼつかない。
「大丈夫?」
ミストが手を差し伸べる。ぱんなこったが河原で倒れていた頃の記憶が流れた。
あの頃とまったく同じ。懐かしくて、あたたかい。抱き上げられた感触を思い出していた。
ためらいがちに手をとって立ち上がる。
抱き上げられたのは私じゃないのに恥ずかしい……。
「いつまで触ってんのよ!」
これ以上思い出しちゃいけない。悲しくなってくるから。
「ご、ごめん。じゃあ僕はこれで」
「ちょっと待ちなさい」
通り抜けようとするミストの肩を掴む。
「だーかーらー、私の奴隷になりなさいって」
お願いだから言うことを聞いてほしい。
「ごめんなさい。なに言ってるかよくわからないんですけど」
「つべこべ言わずに、首を縦に振ればいいのよ!」
ミストならこれで断れないはず。
「いや、そう言われても……」
そうだった。私はアイシャじゃなかったんだ。
「あぁもう! じれったいわね!」
また悲しくなってきた。どうすればいい?
沈黙していたミストが口を開く。
「わ、わかりました……」
「ふん、最初からそう言いなさい」
当然のように答える。バレちゃいけない。心の中で安堵する。
「アンタ、サーカス行った事ある?」
さっそくミストに無茶を言う。サーカスには行ったことがなくて、一度連れて行ってもらいたかった。
「あ、やっぱいい」
そんな時間がないことに言ってから気がついた。
「とりあえずアンタ、町まで来なさい」
町に行けばなんでもある。色々と思い浮かべていたら、笑みがこぼれてきた。
「それじゃ、明日の午後一時ね。門の前にいるから」
うれしそうな表情を見せるわけにはいかない。急いできびすを返して歩き出す。
と、またさっきの木に引っかかってこけた。
明日の準備を急いだ。
私にはやり直すことがある。
町へは三十分前に着いた。
さすがに着くのが早すぎたかもしれない。
約束の一時になった。
ミストの姿を探してきょろきょろする。
一時を三十分過ぎる。ミストはまだ来ない。
私は二時と言ったかもしれないと思い始めた。
二時十分になった。ミストが来ない。
ふいに、私の頭と背中がうずきだす。
ぱんなこったの耳と羽が生えていた。
少しずつ私が失われていく。
三時になった。
無理やりでも連れてくる。そう思い始めたとき、ミストが来た。
膝に腕をついて、苦しそうに肩で息をしていた。町を走り回ってたみたい。
ミストが二時間も遅刻したのは、私が町としか言っていなかったせいだった。
私は自分のうかつさに歯噛みする。
「そうそう。私のことは“ご主人様”って呼ぶことね」
確か奴隷は主をそう言うはず。
「で、ではご主人様。お名前はなんとおっしゃるのでしょう?」
「私は……そうね、うーん」
私はアイシャ。
「私の名前はカイリョーシア」
私のもうひとつの名前。生まれたときに付けられる真の名。生涯で両親とたった一人にだけ明かしても良い、大切な名前。
「アンタの名前は、どてかぼちゃね」
どてかぼちゃ。ミストが好きなもの。ぱんなこったが好きなもの。私が好きなもの。
「な、なぜ翼が生えてるんでしょうか?」
「なんだ、そんなことなの?」
さっき突然生えてきた。なんとかごまかさないといけない。
「お気に入りなのよ、これ」
「うーん。そうですか」
「なに? 文句でもあんの?」
「い、いえ。あとはその、頭に乗ってるのは?」
「これ? これは耳だけど?」
「そうですか。なんだかすごいですね……」
ミストは私の全身をまじまじと見回す。
私が着ているのは昔の仮装パーティの衣装。家をあさって出てきたものだった。
「なに? どてかぼちゃは私の格好がそんっなに気に食わない?」
なぜかこれが気に入ってしまった。ぱんなこったの趣味かもしれない。
「あ、そうだ。手を出しなさい」
ミストの手を取って握り締める。
ぱんなこったがそうしたいと思ったんだ、と言い聞かせた。
私の手があたたかくなって、やわらかくて。
そのままぐいぐいミストを引っ張って行った。
行くアテもないまま、町の中を練り歩く。
「アンタ、どっか行きたいとこないの?」
「そう言われても、僕はほとんど町になんて来ませんから」
困ったな、と辺りを見回すミスト。
しばらく思案して市場を勧めてきた。
「いいわよ」
「わかりました。行きましょう」
「ふーん。ほんとに行くのね」
呆気にとられた顔してる。
「えっと、やっぱり別の場所にします?」
困った表情を浮かべてる。やっぱり気分が良い。
「いいわよ、別に」
可笑しくて思わず笑みがこぼれる。ミストが私をからかうのもわかる気がした。
貴金属店で指輪を眺める。
「よし、これにする!」
きらきらと紅い輝きを放つルビーの指輪だった。
ミストには一生買えないだろうなー。
「合図、出すから」
ちょっと借りることにした。あとで必ず返すから。
私は逃げ出した。
捕まったところで、ぱんなこったの力があれば何もなかったことにできる。
ミストを困らせるのは楽しかった。
結局取り押さえられてたみたいだけど。
「こ、この……!」
拳を振り上げるミスト。
怒ってるみたいだけど、やっぱり少しも怖くない。
懐かしいな……。
盗もうとしたお詫びに、なにかひとつ商品を買わされる。
なぜか猫の目みたいに見える宝石の、安物の指輪が気に入ってしまった。きっとぱんなこっただ。
もっと高級そうなのだったら、それらしく見えるのに。
貴金属店を出て真向かいのレストランに入った。
ミストに買ってもらった指輪を眺める。
「その指輪、そんなに気に入った?」
「んー? そうでもないわよ」
でも、実際はこれくらいの安物なのかもしれない。ミストはお金になんて興味ないし。
そう考えると、これが一番良い指輪。
あるはずのない未来を思い浮かべてしまう。
「そう。しっぽ振るくらいうれしそうなんだけどね」
ミストの言葉に硬直しそうになる。
しっぽまで生えてきたみたい……。
動揺を隠すようにして、一気に紅茶を飲み干す。
「なによー? 気に食わないの?」
「そういうわけじゃないけど」
「ならいいじゃない」
また指輪に向き直って眺めるフリをする。
残された時間はあとどれくらいだろう。
唐突にミストが私の耳に触れる。
敬語で話さなくなってるし、何か感づいてるのかもしれない。
「次はあれ」
天空の塔を指差す。見晴らしが良くて誰にも邪魔されない場所。
「塔には入れないよ」
「そう。行くわよ」
立ち入りが禁止されてるのは知ってる。
「塔に入ってなにするつもり?」
「決めてない」
これだけは決めていた。
「塔の中は魔導兵が警備してるらしいけど」
「そう。行くわよ」
これがきっと最後だから。
「心配しなくても大丈夫よ。魔導兵は得意だから」
魔導兵は、ぱんなこったの遊び道具だった。
子供向けの木馬に乗ろうなんて、塔に入るのを渋るミスト。
やっぱり怪しまれてる。
足早に天空の塔へと向かう。
天空の塔最上階。長椅子にミストを座らせる。
意を決して、ミストに微笑みかけた。
「アンタ、お腹空いたでしょ?」
「ああ、そうだね」
「しょうがないわねー」
私は昨日準備してきたものを取り出す。
「もしかして、作ってきてくれたのかな?」
「何言ってんの、たまたまよ」
「そう。ありがとう、うれしい」
ミストの言葉に思わず声が漏れそうになる。
まだ泣いちゃいけない。
深呼吸して胸を落ち着かせる。
「ほら、口開けなさいよ」
私は泣きそうになりながら、ミストにどてかぼちゃのスープを食べさせた。
口を開けるミストが変な顔で、ちょっと間抜けに見えてしまった。
「どう? おいしいでしょ?」
「おいしいよ」
こんなのがおいしいはずない。
私は料理なんて作ったこともなかった。かぼちゃを砕き、見よう見まねでそれらしい味付けをしただけ。
でも、あの日もきっとこうなってたと思う。
『おいしいよ』……か。
私のいなくなった日。
そして今日は――ミストの誕生日。
うん。もうこれで十分。
やりたいことは全部やった。
そろそろ覚悟を決めよう。




