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【ミスト】―さよなら―

 天空の塔最上階。

 長椅子の彼女の隣に座る。


 僕は何も話さないで、彼女のことを考えていた。

 沈黙が流れる。

 風の音だけが鳴り響いていた。


 彼女が僕に微笑みかける。

「アンタ、お腹空いたでしょ?」

「ああ、そうだね」

 時刻は午後五時三十分をまわったあたりだ。腹はまだあまり空いていない。

「しょうがないわねー」

 そう言ってローブから包みを取り出した彼女。どうもはにかんでるようだ。

 赤い布の包みから箱が出てきた。

 彼女がフタを開けると、中は一面黄色だった。

 なにかの食べ物、か。とりあえずこれは、夕食だろう。

「もしかして、作ってきてくれたのかな?」

「何言ってんの、たまたまよ」

 僕のために作ってきてくれたみたいだ。

「そう。ありがとう、うれしい」

 微笑むと、彼女は「うっ」と呻いたまま固まっていた。身悶えしてしまいそうな彼女は、見ていて楽しい。


 彼女は深呼吸を繰り返しながら、スプーンで料理をすくった。

 かぼちゃの……なんだろう。

「かぼちゃ?」

「どてかぼちゃのスープよ、どてかぼちゃ」

 僕のことを言ってるのか、かぼちゃのことを言ってるのかわからない。

 彼女はスプーンを持ったまま、僕を睨みつけている。

「ほら、口開けなさいよ」

 彼女が僕の顔にスプーンを近づけている。

 包みを見ても他にスプーンは見当たらない。初めから僕に食べさせるつもりで作ってきたみたいだ。

 彼女は泣きそうな顔で僕を見ている。

 小さく口を開く。たぶん、僕の顔はさぞかし間抜けに見えるだろう。誰もいないのが幸いだった。

 スプーンが震えながら僕の口に入ってくる。舌の上に冷たい金属の感触。

「ふふぅんほっへ」

「なに言ってんの?」

 彼女の手を取り、スプーンを僕の口から抜きとった。

 自由になった口でかぼちゃを噛み締める。いびつな形で明らかに火が通っていないかぼちゃの硬い食感、ざらりとした砂の感触、とんでもない辛さと吐き出したくなるような苦味が口の中いっぱいに広がる。

 耳から何かが出そうだ。

「どう? おいしいでしょ?」

 僕を上目に、彼女がかぼちゃの味を聞いてくる。

「おいしいよ」

 ふふん、と彼女は満足げに、どこか恥ずかしそうに下を向く。

 まずい。今すぐにでも吐き出したい。

 材料のどてかぼちゃは素手で叩き割っただけかもしれないし、まったくと言っていいほど火を通していない。スープにはなにが入っているかわからないが、とにかく辛くて苦い。かぼちゃの味なんて感じられない。

 彼女は料理なんて作ったことはないだろう。

 僕の感想に気を良くした彼女は、二杯目のスープをすくっていた。

 全部食べさせるつもりか……。

 こうして、僕の壮絶な試練が始まった。



 嗚咽を堪えながらも、かぼちゃをなんとか食べきる。

 彼女は上機嫌で包みをしまっていた。鼻歌でも聞こえてきそうだ。

 彼女に見えないように、ひりつく喉へ冷たい空気を手で扇いで送る。

 僕は長椅子から景色を眺めていた。

 遠くに見える夕日と、それを映す海。緑の生い茂る山は山吹色。大小さまざまな建物、城、教会、商店街、住居、行き交う人。町が黄色く染まっている。

 いつの間にか、彼女も僕と同じように黄色い景色を眺めていた。

 僕の前にいきなり現われた少女。自由奔放できついところもあるけど、どこかかわいらしい女の子。それが今、僕の隣に座って夕日を見ている。


 僕は彼女のことを知っている。

 そして、彼女のことが好きだった。


「どてかぼちゃのスープ」

 僕は懐かしむようにつぶやく。

「ずっと僕に食べさせたかったのか」

 彼女は答えない。

 夕焼けに染まる彼女は一枚の絵のようだった。

 夕日を映す瞳は赤く輝き、赤い髪が黄金色に染まっている。

 彼女の髪に触れる。指が滑らかに金の髪を流れていく。

 彼女はこそばゆそうに目を細めている。

「おかえり」

 彼女は答えない。

 彼女と過ごした懐かしい日々が思い浮かぶ。

 じわり、じわりと胸を締め付けられるような感覚が広がる。

 胸の奥から堰を切ったように流れていく。巡っていく。染み込んでいく。

「会いたかった」

 彼女は答えない。

 彼女のぬくもりを思い出す。

 僕の中で何かが打ち震えている。

 こみあげるのは、懐かしくてどうしようもないあたたかさ。

 止まらない。止められない。止めたくない。


 僕は彼女を抱きしめていた。


 この手に、腕に、胸に、彼女のぬくもりがあたたかい。

 ずっと求めていたぬくもりがあたたかい。

「一緒に帰ろう」

 彼女は困ったような表情を浮かべ、首を横に振る。


 そっと、やさしく僕の胸を押しのける彼女。

「さよなら」

 僕に背を向け、出口へ向かう。

 追いかけようとする僕を制するように後ろへ手を向ける。

 彼女は夕日を背に歩き出す。

 そして振り返る。

「いつか、きっと」

 微笑む彼女の目には、涙が浮かんでいた。


 突然、彼女の瞳が驚愕に染まる。


 見開かれた目が苦悶の色に変わった。全身を小刻みに震わせながら膝をつく。紫の電流が体中から飛び散っていた。

 彼女が顔を向けた出口には人。三人いる。

 杖から紫の火花が散っている老人を睨みつける。彼女に雷を放ったのはコイツだ。

 先頭に立つ男の腕から白く眩しい光が発せられていた。まるでそこに太陽があるかのようだ。

 やがて光が丸い球形を取っていく。どう見ても彼女を傷つけるための魔法だった。

 彼女に向かって駆け出す僕。

 彼女は震える足で立ち上がろうとする。

 瞬く間に大きくなっていく白い球体。清らかな光。

 彼女は膝をつく。

 光が男の腕から放たれた。

 彼女はただ震えている。

 あと少しで彼女に僕の手が届く。

 光が音もなく彼女に向かって突き進む。

 彼女は動かない。

 伸ばした手に彼女の肩が触れる。

 彼女は白に覆われる。


 ――僕に選択の余地はなかった。


 思い切り突き飛ばす。

 光の外まで飛ばされたことを確認する。


 視界を覆う光。

 ぞっとする暖かさ。

 僕を食らい尽くそうとする。

 禍々しい白。

 手が、足が、体が、内側からバラバラにはじけとぶ感覚。

 彼女が何か叫んでいる。

 もう聞こえない。


 世界が塗りつぶされていく。

 白く、黒く――



 僕が最後に見たものは、いつかの彼女の姿だった。


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