太祖本紀 ニ
宋の太祖・趙匡胤は趙弘殷の次男で母は杜氏である。
後唐の天成2(927)年に彼は洛陽の夾馬営で生まれたが、その時赤い光が生まれた部屋を巡り、異香が一晩中散らず、体は金色に輝いて、その状態が三日変わらなかった。
やがて趙匡胤は成長すると体は大きくたくましくなり、器量が大きく、見る目がある人は彼が並み外れた人物だと分かった。
そして馬に乗って矢を射る技術を学ぶとたちまち人より上達した。
他にもかつて趙匡胤が暴れ馬を試し乗りした時、それに轡をはめて手綱をつけなかったところ、突然暴れ馬が走り出し彼を乗せながら、城楼(城壁の上の楼閣・高殿)に続く坂道を上っていき、その結果趙匡胤は頭を門の上部にある梁(横木)にぶつけて落馬し、それを見た人々は彼の首が絶対に折れたと思ったが、なんと趙匡胤はゆっくりと起き上がり、その上暴れ馬を追いかけて飛び乗ったにも関わらず、体に一つも傷がついた所は無かった。
またかつて趙匡胤が韓令坤と土室の中で博打をしていた時、雀が室外でくちばしを武器に闘っていて、その騒がしさにイラついた二人は、そこで競って立ち上がり土室から外に出て雀を捕まえたが、なんと彼らが出た後土室はたちまち崩壊してしまった。