表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

太祖本紀 ニ

 (そう)太祖(たいそ)趙匡胤(ちょうきょういん)趙弘殷(ちょうこういん)の次男で母は杜氏(とし)である。


 後唐(こうとう)天成(てんせい)2(927)年に彼は洛陽(らくよう)夾馬営(きょうばえい)で生まれたが、その時赤い光が生まれた部屋を巡り、異香(いこう)が一晩中散らず、体は金色(こんじき)に輝いて、その状態が三日変わらなかった。


 やがて趙匡胤は成長すると体は大きくたくましくなり、器量(きりょう)が大きく、見る目がある人は彼が並み外れた人物だと分かった。


 そして馬に乗って矢を射る技術を学ぶとたちまち人より上達した。


 他にもかつて趙匡胤(ちょうきょういん)が暴れ馬を試し乗りした時、それに(くつわ)をはめて手綱(たづな)をつけなかったところ、突然暴れ馬が走り出し彼を乗せながら、城楼(じょうろう)(城壁の上の楼閣(ろうかく)高殿(たかどの))に続く坂道を上っていき、その結果趙匡胤は頭を門の上部にある(はり)横木(よこぎ))にぶつけて落馬し、それを見た人々は彼の首が絶対に折れたと思ったが、なんと趙匡胤はゆっくりと起き上がり、その上暴れ馬を追いかけて飛び乗ったにも関わらず、体に一つも傷がついた所は無かった。


 またかつて趙匡胤が韓令坤(かんれいこん)土室(つちむろ)の中で博打(ばくち)をしていた時、雀が室外でくちばしを武器に闘っていて、その騒がしさにイラついた二人は、そこで競って立ち上がり土室から外に出て雀を捕まえたが、なんと彼らが出た後土室はたちまち崩壊してしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ