プロローグ
とある国の王城の一室で赤子の産声が響く。出産に立ち会った人々も赤子が無事産まれたことに安堵し、喜びに顔を綻ばせる。が、そんな周囲の空気を凍りつかせる事態が起きた。
何事かと人々が目を向けるのは赤子を産んだ女性、産み終えたというのに未だ苦しみ続ける女。助産婦が何かに気付き、すぐに周りへと指示を出す。もう一人の赤子が産まれようとしているのだ。再び慌ただしくなる人々。皆が迅速に動き、無事にもう一人の赤子が産まれた。
しかし、人々の間に先程のような歓喜に満ち溢れた様子は無い。むしろ、恐怖と戸惑いによって暗く重い雰囲気に包まれていた。
人々が騒然とする中、一人の侍従が部屋を抜け出しどこかへ急ぎ向かう。それは女性の夫であり、その国の王である者の書斎。部屋の前につくと扉の前で服装を正し、息を整える。扉をノックして出てくるのは宰相。侍従は事の顛末を伝えると一礼してその場を去る。宰相が伝えられた話に難しい顔をしつつ振り向くと、同じく眉間に皺を寄せ唸る王の姿があった。
森の中に馬の駆ける音が複数。その者達は皆白いローブを着ており、辺りを包む雰囲気は緊迫していた。集団の先頭を走る男性の手に抱かれるのは白い布に包まれた一人の赤子。
男性は赤子の出産に立ち会った者から聞いた話を思い出しつつ、恐る恐るというように赤子をチラリと見る。その僅か一瞬に赤子の見開かれた瞳と目が合い、男性の背筋に冷たいものが走る。
赤子は産まれたその瞬間から目を開けており、産声もあげずに辺りを見回していたという。男性が恐怖に体を硬直させている間に、集団は目的地に着く。
そこは森の深奥、神秘的に輝く泉があった。崖の上から滝が流れているものの、泉から水が溢れる様子は無い。その不可思議な造りと辺りの神々しさから人々はその泉を「神泉」と呼び、清めの儀を行う場所となっている。
白ローブの者達が泉を囲むように散らばり、何かを唱え始める。男性が赤子を抱いたまま泉に近付く。そして、白ローブの者達が何かを唱え終わった瞬間――
(どうか…我が国に安寧を…)
――赤子を泉に落とした。
――――――――――――――――――――――――
とある国での早朝、賑わう市場。そこに集まる者達は皆、採れたての新鮮な野菜や果物、魚介類を求め行き交っていた。早朝に行われているものの朝市はとても人気があり、通りを人が埋め尽くすのは毎朝の恒例となっている。
そんな人混みの中に、異様な雰囲気を放つ者が一人。つい先程まで、周りの人々と同じように朝市を楽しんでいた男だ。不意に立ち止まったかと思うと身体を震わせ始め、額からは大量の汗を流す。しかし、その男の様子に周囲の人々は朝市に夢中で気付かない。
そんな男の隣を、母親に手を引かれた子が通る。朝市を楽しみにしていたのであろう、瞳を輝かせて辺りを見回している。
すれ違い様にその子と男の目が合った。――刹那、男は子の身体を掴み上げると地面に叩きつけた。その勢いに子の身体が跳ねる。子の母親も、周囲の人々も唐突な出来事に体が固まる。しかし子が呻き声をあげたことにより、母親はハッと気付き子を守ろうと動く。母親が子にたどり着く寸前、男は母親の腹を蹴り上げた。母親は子の上を飛び地面を転がる。周囲の人々もその様子を見て慌ててその場から逃げ始める。
男は意識がないかのようで、近くを人が通れば掴み投げ、周囲の店は薙ぎ倒し、暴走状態とでも言える暴れ具合であった。
そこへ誰かが通報したのであろう、衛兵が駆けつける。その衛兵すらも薙ぎ払い暴れる男。結果、衛兵が数十人集まったところでやっと取り押さえることができた。
その一部始終を近くの家の影から見ていた者がいた。黒いローブにより影に溶け込んでいて、誰にもその存在を気付かせない。その者は男が捕縛されるところまで確認した後――
「…実験成功」
――獰猛な笑みと共にそう呟いて、手元の水晶を割る。直後、背後で何かが爆発する。黒ローブはその爆発に一目もくれず、ローブを翻してその場を去った。
――――――――――――――――――――――――
とある国一の書庫にて。一人の女性が本の山の中で眠っていた。太陽が登り女性が寝ている部屋の中に光が指し、女性が目を覚ます。
女性はボーッと辺りを見渡した後、部屋の外を慌ただしく駆ける者達の気配を感じる。しかしそんな外の様子は気にせず、手のひらを見つめる女性。数分の間その手のひらを見つめ続けていた女性だが、何も変化が起きないのを確認してため息をつく。そして数日間休み無く繰り返している書庫漁りを再開するのだった。
同国、人知れず森の中にある洞窟の奥深く。薄暗い中を進んだ突き当たり、の壁の向こう側。そこに出入り口の見当たらない広い空間があった。
その空間内には地面に大きな魔法陣が描かれており、周囲には数人の人影が確認できる。魔法陣の中央にはおびただしい血が溜まっており、空間内は血の匂いで充満していた。よくよく見ると、中央に溜まっている血は周囲の者達から流れてきたように見える筋が残っていた。
その空間にどこから現れたのか一人の人物が姿を見せる。茶色く使い古したようなローブを着ており、その場にそぐわない様相であった。
その者は魔法陣の周囲に倒れ込む者の1人に近付き、被っているローブを剥がす。するとそこに現れるのはミイラのような状態の男。既に脈はなく死んでいることが分かる。指先に小さな切り傷があり、血はそこから流れ出たもののようだ。茶ローブの者はその場をにいる他の者達の状態も確認するが、皆同様の結果だった。
明らかに異様な場。確認を終えたその者がその場に手を向け何かを唱えると遺体も血も消え、地面に描かれた魔法陣だけが残った。茶ローブの者は魔法陣の原型が分からなくなるくらいに傷を付けた後――
「過ちを繰り返してはならない…」
――と呟くとフッと姿を消した。