■6 短気は損気
ガードマンをする稜太、現場で、事故が…?
武蔵野市 吉祥寺駅から八分ほど歩くと、マンションの一階の部屋に、
とある会社のオフィスがある。
武蔵野ガード社。
都内の道路工事や建設現場に、ガードマンを派遣する会社である。
シルバーに輝くパイプ椅子に背中をあずけて、
スマートフォンをいじる水谷稜太の姿があった。
「お、このライター、めっちゃいい」
ショッピングサイトの、いろんな角度の写真を繰り返しみていた稜太は、
「ポチっとな」
口に出しながら購入ボタンをタップした。
画面に「ありがとうございました」という文字が出る。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
先日、無駄遣いのすえ家賃を滞納してしまい、
青森から両親を上京させるはめになったというのに、
稜太はぜんぜん凝りてなかった。
年配の男が近寄ってくる。
「お、なに見てんだ?」
男性は、すでにガードマンのユニフォーム姿で、いつでも出動できる状態だった。
「このライター、カッコよくないっすか?」
稜太が、購入したライターの写真を見せる。
「おお、いいな。買うの? いくら?」
「もう買いました。四千六百円」
「おおい、金持ちだなーおい」
「普通っすよ。節約は心を貧しくするんすよ」
「ホントだな、ははは。早く着替えなよ水谷くん」
二十代そこそこの稜太が、生意気な口をきいても、白髪の男は、優しく笑った。
幹線道路の一角。
フォードアの白い自動車が止まった。
ガードマンのユニフォームを着た男が三人、降りる。
その中に、ユニフォームに蛍光ベストを着て白いヘルメット姿の稜太がいた。
水道管の交換のため、二車線の道路を一車線にして工事をおこなうのだ。
そのため、片側交互通行にする必要があった。
ガードマンは、二人ひと組になり、片方の車を停めている間に、もう片方の自動車を通す。
それを延々、日没の時間から早朝まで、工事が続いている間、繰り返し行う。
片側交互通行のときは、走ってくる自動車を止めなくてはならない。
信号が無い場所で無理やり止めるのだから、大きな動作で一気に止めなくてはならない。
「止まれ!」
とは口には出さないが、それくらいの気持ちで、
確固とした信念を持って、映画「スター・ウォーズ」のライトセイバーのような誘導灯を振る。
自動車が止まったら、先方のもう一人のガードマンに向けて、大きく円を描くように誘導灯を振る。
「そっちからの車、通してOKです」
という意味だ。
ときには、先方から合図が来る。
「こちらから車行きますので、そちらを止めてください」
という合図だ。
稜太は、「OK」という意味で誘導灯をくるくるっと回して応じた。
稜太は、近づいてくるオートバイに向けて「止まれ」という合図で誘導灯を振った。
オートバイは、止まらなかった。
タイミングが遅かったか。
それとも、稜太の動きが小さかったのか。
あっ、と思った時には、
オートバイが稜太の横をすり抜けた後だった。
「やっべ!」
稜太は、青くなった。
向こうからも、対向車が来る。
白いワンボックスカーだ。
ちょうど工事現場の真横で、二台は、すれ違った。
自動車同士なら、衝突事故が起きていてもおかしくなかった。
まずかった。
向こうのガードマンの男が、何か叫んでいた。
怒っていた。
顔からは、さっきの優しそうな笑顔は、なくなっていた。
稜太は、頭に血がのぼって、耳が少し遠くなったように感じた。
× × ×
白いワンボックスカーの運転席で、男がつぶやいた。
「うわ…あっぶねー……。ちゃんとやれよーったく」
「どしたの? 何かあった?」
後ろの席から身を乗り出した女性は、YUIだった。
「ん……、何でもない。大丈夫」
マネージャーは、何事もなかったかのように、
ドラマの撮影現場へと車を走らせた。
朝。仕事が終わって、稜太が事務所に戻る。
昼勤務のガードマンたちが、着替えて出動の準備をする中、
稜太は、専務の部屋に呼ばれた。
部屋の中には、白髪の男がいて、稜太をじろりとにらんだ。
昨日のあの事件から、この男の顔からは、笑顔が消えていた。
武蔵野ガード社のオフィスから出た稜太の顔は、こわばっていた。
しばらく歩いて、スマートフォンでLINEを開く。
(お疲れ。今日ちょっと飲まない?)
相手は、松田だ。
(ごめん、仕事)
「ちっ、じゃあ進藤だ」
(お疲れ。今日、飲まない?)
(OKのスタンプ)
居酒屋ぼへいみやん。
「え! 仕事やめたの? ガードマン?」
乾杯が終わった直後、稜太は仕事を辞めてきたと打ち明けた。
進藤は、ジョッキを持ったまま固まった。
「どうすんの? 貯金ないんでしょ?」
「あー、どうしよっかなー」
「アシでもやる?」
「う~ん…、どっか雇ってくれるとこあるといいけど……」
歯切れが悪い。
稜太は、希望を出して、何度も断られてきた。
稜太の画力では、プロの漫画家のアシスタントは難しい。
それは、本人にもわかっていた。
「できる? 性格的な問題でって意味だけど」
稜太が、少し考える。
進藤が、気を遣っている事に傷ついた。
「うん、頑張れば何とか」
そう答えはしたが、飲食系の店で働いている自分の姿を、稜太は想像していた。
「あ、俺さぁ今度、パチスロ漫画描いてみようと思ってんだ」
「は? パチスロ?」
「うん、なんか、漫画描ける人、探してるみたいで……」
「漫画描けれりゃ、何でもいいのかよ。レベル落としたら終わりだぞ」
「いや、今はパチスロ漫画だって単行本出るし……」
「あれだろ。パチスロ打って、勝ったー負けたーってやつだろ」
「うん。でもちゃんと、漫画だし……」
「パチスロ漫画って、アニメ化とかされんの? 映画化とかあり得るワケ? だめだろ、あんなの!」
進藤は、黙った。
それから稜太は、ぐいぐい飲み、いつもよりも早くベロベロになった。
「おまえ、上手くいかないからってさ、ぶれちゃだめだよ」
「ああ…、そうだな」
進藤は、同い年の男に説教され続けて、不機嫌になっていた。
進藤が、あからさまに態度に出しても、稜太は、止まらなかった。
「じゃ、俺、そろそろ帰るわ」
進藤が、バッグを肩からかついで席を立った。
不快な思いをさせた事に気づかないほど、稜太は飲み過ぎていた。
進藤がいなくなると、
そのまま、稜太は、テーブルにつっぷして少し眠りに落ちた。
進藤が置いて行った千円札三枚が、店員が起こす風に、ひらひら揺れた。