表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

■4 夢の終り

家賃の催促から逃走した稜太。とうぜん保証人に連絡が行くのであった。

サッシの窓から光が差し込んでいる。

四角く照らされた絨毯の上には、吸い殻がたまった陶器の灰皿、稜太が毎週欠かさず読んでいる漫画雑誌、成人向けDVDのケース、つぶされた発泡酒の空き缶が散乱していた。


あと味の悪い同窓会の翌朝。

稜太は、すでに目を覚ましていて、窓から続く光のすじの中で、細かい糸くずが漂う様子を見ていた。

アパートの一階の玄関の扉が開いた。

数人が階段を登ってくるきしみが聞こえる。

稜太の胃が、きゅっと縮んだ。

ノックの音。

目覚まし時計のデジタル表示を見ると、8:30。

「ああ?誰だよ…」

稜太は、小さく口に出した。

だが、ノックの主が誰なのか、これから何が起こるのか見当はついていた。

再び、ノックの音。

稜太の胃が、せり上がってきて、吐きそうになった。



ドアを開けて、目に入ったのは父親の顔だった。

その後ろに母親の顔。

そして、大家の稲葉とも子。


事態は、来るところまで来ていた。

悪いのは自分だ。

家賃のために置いておいた現金を、

アイドルのコンサートで使ってしまった。

購入したグッズ類は、部屋の隅に積まれていた。

何も、こんな、鬼のように買う必要はなかったか。

物販コーナーを前にしたら、「どうせ使うなら、全部使い切ってしまえ」となった。

今さら後悔しても始まらない。



昨日、稜太は、家賃の催促に来た大家の娘の幸子の前で、窓からダイブして逃げた。

幸子は、大家である母親に、そのまま事実を報告した。

大家は、稜太に、払う意思がないと判断し、保証人である稜太の父親に連絡した。


家賃が遅れるのは、これで四度目だ。

「しょうがないわねえ」なんて言いながら、

少しくらいは待ってくれるだろう。

そんな稜太の予想は、大きく外れた。

大家は、何度も約束を破った稜太に、完全にブチ切れていたのである。




「稜太…!」

父親は、怒りで声を震わせていた。

あるいは、怒ってる姿を、大家に見せつけるのが目的かもしれない。


昔、父親が俳優を目指していたと知ってから、稜太は、父親が怒ったり泣いたりするのを見て、これは本気なのだろうか、それとも演技なのだろうか、とじっくり観察する習慣がついた。

母親は、父親の後ろで神妙に立っていた。


そのころ大家の娘の幸子は、アパートの玄関を入って、あがりがまちに腰掛けて、事態の行く末に聞き耳を立てていた。

昨日、窓から稜太が、二階の窓からダイブして逃走したことを、そのまま母親に報告したのは幸子である。

こんな事になった責任を、幸子は感じていた。

もう少しやんわりと報告すべきだっただろうか。

「黙って部屋を出て行った」

程度の報告にしておけば、母親も、こんな強行手段に出なかったのではないか。

部屋を出て行ったのは事実だ、嘘ではない。

しかし、言葉をかわす暇もなく、いきなり逃げたのは稜太である。

幸子にしてみたら、意味がわからない。

金を調達しに行ったのか、単純に逃げたかったのか、ギャクか何かなのか。

困惑の行動だった。

幸子は、そこまで気を回してあげる義理はないし、これでよかった、と結論づけた。


幸子の母と、稜太の母親が階段をきしませながら下りてきた。

父親は、稜太の部屋に残ったようだ。

「本当に申し訳ありませんでした。二度とことようなことは…」

稜太の母親が、とも子に謝っている。

両親が家賃を払うということで決着したようだった。


       ×       ×       ×



部屋に入った稜太の父親が、唐突に背中を見せながら言った。


「おまえ、本当に漫画家になれるのか?」


稜太は、言葉に詰まった。

「それは、俺がいちばん聴きたい」

それが稜太の本音だった。


稜太は、アイドルのポスターだらけの部屋を見られて、情けなくなった。

どう見ても、漫画家を目指している人間の部屋じゃない。

泣きたかった。


壁の中央。

YUIが水着姿で麦わら帽子をかぶってるポスターの下に、

「絶対プロの漫画家になる!」

と書かれた紙が貼ってあるはずだった。

稜太は、その紙の上からポスターを貼ったのだった。


父親には、東京で遊んでいるようにしか見えないだろう。


「もう、田舎に帰ったらどうだ」

父親は、唐突に言った。

稜太は、父親の怒りの感情を読み取った。


背中ぜんたいが、汗で湿った。


「待ってくれ。それは待ってほしい。これからは、ちゃんとやるから」


そう懇願したかったが、稜太は両親の前では、いつも口下手だった。

自分の気持ちを吐露することに、照れがあった。

これまでだって、大事な場面で稜太は、黙って、黙って、両親が察してくれるまで待つやり方だった。


遠慮がちなノックが二回あって、

ドアを開けて、母親が部屋に入ってきた。

肩代わりしてもらったお金も、後でちゃんと返さなくては。

稜太は、そう思った。


父親が、母親に言った。

「なあ、もう稜太、このまま田舎に連れて帰ろうか」


このまま?

嘘だろ。

稜太は、体じゅうから血が抜け落ちたように感じた。

気絶しそうだった。


母親は、壁のアイドルのポスターをぐるり見渡してから言った。


「稜太、おまえ、どうなの?」


稜太は、黙った。

部屋の隅の、ビールの空き缶を入れたレジ袋をじっと見たら、視線を動かせなくなった。

どれだけ時間がたったろう。

父親も母親も、動かなかった。

二人は、待っていた。

稜太が動くしか、なかった。


「待ってほしい。それは待ってほしい。これからは、ちゃんとやるから」


稜太は、最後のほうを、少し強い口調にした。

両親が、ほっとしたような顔をしたように稜太には見えた。


「本当だな」


「うん。必ずプロの漫画家になる」


言うだけなら、誰でもできる。

稜太の頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。


大家のとも子は、隣の自宅に帰ったが、

幸子は、まだ一階の玄関にいて、部屋の中の音に聞き耳をたてていた。

ほとんど聴き取れなかったが、稜太が、強く言ったところだけが、かすかに耳に届いた。

そして、音が出ないよう、そっとドアを開けて、出て、閉めた。




稜太の両親は、青森へ帰って行った。


稜太は、ぐったりベッドの上にあおむけになって天井を眺めていた。

稜太は、このとき初めて、

「高い授業料を出してもらって専門学校に行ったのに、漫画業界にも残れなくて申し訳ない」

と思った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ