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第4話 音海結菜

 次の日はやってくる。


 月曜日がどれだけ来てほしくないと願っても以下略、と同じようにたとえ痛々しい場面を人に見られてやり直したいと思っても時間は戻ってくれない。


 クラスメイトから奇異な視線を受けて平然とする自信はないし、その前にあの女子に視線を向けられて笑われようものなら学校を早退する自信がある。


 我ながら早退ってショボいな。


 それでも両親が学費を出してくれている以上学校に行かなければ申し訳ない。


 ネクタイをしめ、鏡の前に立つ。


 とりあえず寝癖を直してから外へ出てしっかりと鍵をしてドアが開かないことを確認してから階段を下りる。


 エレベーターは苦手だ。


 一人で乗るのなら大丈夫なんだが誰かと乗ると体の震えが止まらなくなる。大人の男性だと他の人に比べて一層ひどくなる。


 今日も早めに学校に行き職員室に着いて鍵を取ろうとすると付箋のついた名簿の106HRのところに名前がかかれていた。


 『音海結菜(おとみゆな)


 誰かが自分より先に来てるなんて珍しい。


 いつも誰もいない時間帯に登校しているから他のクラスも誰もいないのが普通なんだが。


 ちなみに帰りは汽車ラッシュに巻き込まれない時間帯に帰っている。何人かの生徒と時間がかぶるが、多少は諦めるしかない。


 静かな空気の廊下を自分のあしおとだけが響いている。


 教室につくと一人の女子が窓の外を見ていた。


 物語に出てくる登場人物がよくしているように、右手で頬杖をつきながら窓の外を何とはなしに眺めていた。


 教室のドアを開けた音に気づいたのかこちらを見る目はあの時と同じように黒い宝石のような目で、あの時と同じように期待しているような瞳だった。少なくとも僕にはそんな風に見えた。


 目が合い、何か言った方が良いのかもしれない、そんな考えがよぎる前に自分の目は自分の席に向けられ、視線を戻すことができなくなった。


 当然だ。昨日あんな気持ち悪い行動をとっているのだ。目をそらすのも別に奇妙なことでもない。それにそれほど仲が良いわけでもないクラスメイトに挨拶しないのも普通のことだ。


 自分の席に座るとブックカバーをした文庫本を取り出し、いつものように文字を眺める。


 相変わらず物語は展開されることなく自分は物語にのめり込むことができずに現実を生きている。


 何も変わることはない。クラスメイトが自分より早く学校に来ていても世界は色づかない。


 そんな風に考える自分を疑問に思った。


 僕は何でこんな事を考えているんだろう。


 当たり前だろそんな事。そんなちょっとした事で自分の世界に色が戻るんだったら今頃引っ越す前の実家で、つまらないと思いながら学校に行き、帰ってくると適当に課題を終わらせてテレビでも見て笑っている。


 母さんや父さんとどうでもいいことを話して笑ったり、友達がいないことを笑い話にされながらそれでも心配してくれている両親にでも感動している。


 いつの間にかページをめくる音はしなくなっていた。


 窓の方を見るとあの女子、多分名前は音海結菜、がこっちを見ていた。目があった瞬間顔をそらしてしまう。


 それからそっちを見ることができずに本に目を落とすが物語どころか文字すら頭に入らなくなってしまった。


 目があったということは見られていたのだろうか。


 そう思うと気分が悪くなった。


 奇異の視線だと思った。


 席を立ちトイレに入ると気分が落ち着くまで蛇口から水を出し、両手を冷やした。


 手首の血管が冷え、冷えた血液が体中を循環し体が冷えていく感覚がした。


 気持ち悪い。



○●○


 たまたまだ。


 たまたま朝早く起きたのだ。


 別にそれ以外の理由なんてない。


 昨日のことが気になって眠りが浅かった訳ではない。


 もうあんな恥ずかしい私は知らない。多分夢だったんだ。


 いつもはまだベッドでむにゃむにゃ言っている時間に部屋を出ると冷えた空気が肺に入ってくる。その感覚が目を覚ましてくれた。


 リビングに行くとキッチンから物音がし、覗いてみるとお母さんが朝ごはんを作っていた。


「おはよう」

「あれ? 結菜じゃない。早いわね」

「うん、何か目が覚めちゃって」


 そう言っているとお母さんがあらかじめ用意してあっただろうポットがお湯ができたことを教えてくれた。


 お母さんはコップを一つ取り出すとインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注いで渡してくれた。


「……私ブラック苦手なんだけど」

「私は好きよ。目が覚めるから一口飲んでみなさい」


 あまり挑戦したことのないブラックコーヒーを口に入れると程よい酸味と苦味を感じ、香りが広がった……なんて感じることはできず、口の中を苦味に支配され、キシキシした。


「お母さん笑わないでよ……」

「だってあなたがそんな面白い顔っ……お腹痛い……」


 そのまま笑いは止まらずクスクスされながら砂糖とミルクを渡される。


 少し恥ずかしい。


 渡されたミルクと砂糖を入れるとまろやかな苦味と甘味が体を暖めてくれた。


 飲み終わるとお母さんがこっちを優しい笑顔で見ていた。


「な、何?」

「あなた最近元気無かったけど、今日は何か楽しそうね」

「そうかな?」

「ええ、そうよ。私の可愛い娘はやっぱり今日も可愛いわ」


 そう言い頭を撫でてくる。

 払いのけることもできたが、幸せそうな顔を見ているとそんな事はできず少しむくれた顔で視線をそらすことしかできなかった。


「彼氏でもできた?」

「なっ、違う!」

「なるほど、気になる人はできたけど距離を縮める方法も思いつかないし他にも何やらあるしでもやもやしてると」

「何でわかるの!?」

「母親って生き物は娘の事が何でもわかるのよ」


 そう言うとお母さんは笑った。

 恐るべしかな母親。


「実は適当な事言って結菜の表情とかで色々判断しようとしたら偶然あたったってだけなんだけどね。あなた何かあったらすぐ顔にでるもの」

「もう学校行く!」


 このままここにいるとお母さんのおもちゃにされそうな気がして鞄を持ち学校に行こうとする私をいまだにニヤニヤ顔の母親が見ている。


「朝ごはんは?」

「いらな」


 ぐぅ~


「……」

「朝ごはんは?」

「食べる……」


 キッチンに行きご飯をお茶碗にいれ机に置くとその横に焼き鮭とお味噌汁が追加される。


「いただきます」


 ニヤニヤ顔の母親はこっちを見ている。

 その視線がむず痒くてテレビをつけて視線をそっちに向ける。


 そんな動作にもニヤニヤを深める母親に一層恥ずかしさを感じ、朝ごはんを早めに食べるとさっさと家を出た。


 通学路は時間が違うだけで雰囲気が変わった気がした。


 道路を走る車はいつもの時間帯よりは少なく、静かな空気が新鮮で心地よかった。


 学校に行くと初めて教室が閉まっているという経験をした。


 職員室に行き、鍵の場所を先生に聞くと名簿に名前を書かされ、それから鍵を渡された。


 教室を開けたら戻すように言われてから職員室を出て教室に向かう。


 鍵を開けて荷物を置くと職員室に鍵を戻してまた教室に戻る。


 席につくと今さらながらの問題に気づいた。


 暇すぎる。


 手持ちぶさたに窓の外を見た。


 数分ほどそうしていただろうか。


 ドアを開ける音がした。


 視線を向けると目があった。


 けれど目はすぐにそらされて彼は隣に座った。


 ブックカバーがされた文庫本を斜めよみする姿を見ていた。


 今朝、お母さんに言われた言葉を思い出す。


 気になる人……か。


 ペラペラとページがめくられる音を聞きながら考える。


 私はこの人のことが気になっているのだろうか。


 どうなんだろう。わからない。


 ただ、この人がつまらない今を変えてくれるような人だったらと期待しているような気はする。

 するといつの間にかページをめくる音はしなくなっていた。


 彼、四季湊はこっちを見た。


 目があった。


 けれどそれもすぐにそらされた。


 目があったことに驚いた。物語に没頭しているように見えたから。


 けれど、それも少しの間だった。


 四季くんは席を立つと教室の前のドアから出ていくとなかなか帰ってこなかった。


 避けられている。


 当たり前だよね。


 当たり前なのに胸が苦しくなった。


 このクラスで、いや、この学年で、もしかしたらこの学校で私と普通に接してくれる人はもういないのだ。


 あの日から。


 私はどうすれば良かったのだろう。


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