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第20話 評価

 朝、目が覚めるといつものように学校の準備をする。

 毎日通っているからだろうか、少し行かなくなっただけで久しぶりに来たような感覚がどこかにある。

 いつものように職員室に行き、鍵を持って教室の鍵を開ける。


 机に自分の荷物を置き、職員室に鍵を返して帰ってくると人影が見えた。

 窓際の一番後ろの席に座るその姿はどこか寂しげで、儚く見えた。


 音海はこっちを見ると特に表情も変えずに机の中から教科書を取り出し、予習を始める。


 放課後に声をかけよう。


 一瞬そんな気持ちを出たが、今逃げてしまえばきっと放課後も逃げ出してしまう。

 だから、ここで言わなきゃいけないんだ。

 だけど喉は張りついたようで、おはようの一言も言えない。

 居心地の悪い空気が漂っている。

 それでも


「おと──」


 そう言いかけると音海は席を立って出ていった。

 言葉は最後まで出ず、ため息がこぼれ落ちる。


○●○


 補習中は何も考えることができず、先生が黒板に書いていく文字を目で追うだけで頭に入ってこない。

 補習は一日に60分が三コマあり、間にある二つの休み時間でも音海は僕を避けていた。


 三コマ目も終わり、声をかけようと音海を見るも急いで帰り支度をしているようで、そのせいかプリントが一枚落ちた。


 それを手でとると音海もそのプリントを持っていた。

 ひったくるように奪われるとそのままくしゃくしゃにするのもかまわずに鞄の中に詰めこんだ。


「うわっ、『ありがとう』の一言も言えないのかよ」


 そんな声が聞こえた。

 それにつられてまた一つと不快な声が聞こえ、それはまた次へと繋がっていく。

 誰もが勘違いの正義をふりかざしているようで、それがどうしても僕には気持ち悪いものにしか見えなかった。


 だからだろうか


「そうさせてるのは誰だよ」


 自分でも無意識だった。

 声は決して大きなものじゃなかった。

 ただただ低い声で、そしてそれは小さな怒号のように思えた。


「誰かが勝手につけた評価を鵜呑みにして自分が正しいって勘違いして、加害者はどっちだよ」


 教室内は静寂に満ちていて、廊下で騒ぐ声が別世界のようだった。


「他人の評価を他人に頼るなよ。一人が周りの全ての人に良く見られる訳無いだろ」


 いつの間にか廊下の音も聞こえなくて、聞こえるのは自分の鼓動だけだった。


「自分に対して当たりが強い、蔑まれてる。そんな人を嫌うのを止めろなんて言わない。そもそも人の評価の仕方なんて人それぞれだ。だけどな」


 あれ? 何でこんなこと言ってるんだ?


「実際に全く関わってない癖にこいつは悪い奴、こいつは良い奴って決めるのは人を評価してるんじゃない。右に合わせて流されてるだけだ」


 皆こっちを見てる。気持ち悪い。視線が痛い。


「何語っちゃってんの? マジでキモいんだが」


 嘲笑するような声が上がるも、同調者はいなかった。全員がこっちを見ていた。

 声を上げた奴は居心地の悪そうな顔を背けた。

 気持ち悪い。


「理由もなく勝手に決めつけるの止めなよ」


 そう言うと鞄をもって教室を出た。

 廊下から話を聞いていたのか、奇異の視線が刺さった。

 気持ち悪い。

 それでも我慢ができなかった。

 不愉快だったんだ。

 あのまま理不尽な評価をされるのが不愉快だった。


 友達が悪く言われるのを黙っている自分を考えると不愉快で、気持ち悪かったのだ。


 教室から離れるとざわめきが聞こえてきて、笑い声も聞こえてきて、他にも怒ったような声も聞こえてきた。

 このまま昇降口に向かって帰りたかったが昇降口ではちあわせなんかすれば吐きそうだったので部室で少し休むことにした。


 部室は相変わらず開いており、椅子に座ると脱力感が襲いかかってくる。

 背もたれに体重をかけながら座るとずるずると背中がずれていく。


 はぁ、気持ち悪い。

 何語ってるんだろう。本当に気持ち悪い。


 まだまだ昼なので窓から入ってくる光は白くて、目に痛かった。

 腕で目を隠せば次は暑苦しさを感じた。

 吐き気は一向に消えなかった。


「四季くん」


 その声はドアの方から聞こえた。


「関わらないでって言ったよ」

「ああ、言われた」

「じゃあ何で!」


 まだこれが正しいかなんてわからない。間違っているかもしれない。


「なあ、ルールって何であると思う?」

「え?」


 突然の質問に戸惑った音海にこの答えを提示する。


「ルールっていうのは守るためにあるんじゃない。もちろん破るためでもない」


 理解してない奴が多すぎる。

 ばれなきゃ犯罪じゃない?

 法律に触れなければ何をやってもいい?

 これだから子供は困るんだ。

 物事を本質的に見れてない。


「ルールっていうのは守ることで誰かが幸せにならなきゃいけない。ルールってのは守ることで誰かを守ってんだよ。誰かの幸せが保証されるべきなんだ。だったら僕と音海の間のルールに誰の幸せがあった?」


 違う。僕が言いたいのはこういう事じゃない。

 もっと単純で、だけど単純だからこそ迷ってしまう。

 間違ったら誤魔化すことなんてできないから。

 失敗したら辛いのは僕だから。

 けど、それでも


「僕にはわからない。もしかしたら現実逃避してるだけなのかもしれない。けど、聞かせてくれ。音海にとって僕は邪魔だったか? 放課後がいつも楽しみだったのは僕だけだったのか? 関わらないでって言ったのは音海が僕といたくないからなのか?」

「そ、それは……」

「僕は音海と一緒にいたいよ。楽しいんだ。人間恐怖症で、これからずっと灰色だと思ってた日々が音海といるだけで色づいた。楽しいって久しぶりに思えた。だから嫌じゃないなら、今までみたいに部室に来てくれないか?」


 一緒にいたい。それが言いたいことなんだ。


「っ、嫌な訳……嫌な訳ないよ! 私だって四季くん以上に楽しかった。普通に接してくれる人がいるのが嬉しかった。だけど……」


 今にも泣き出しそうな顔で悲痛な叫びがこだました。


「だけど、四季くんを傷つけたくない。嫌だよ。四季くんが傷つくのを見たくないよ。私は、でも……」


 苦しそうな顔でこっちを向く。だけど僕は何もできない。してはいけない。

 僕がここで背中を押せばそれは音海の意見じゃない。僕が伝えられるのは僕の気持ちだけで音海の選択を後押しするのはできない。

 選択肢を増やすことまでが僕にできることなんだ。


「一緒にいたいよ……。今までみたいに」

「わかった」


 それが聞ければ充分だ。

 泣いている音海から視線を外して窓を見た。

 泣く姿なんて人に見られたくないのが普通だから。


○●○


「それでどうするの?」

「どうするって?」

「えっと、それは……その……」

「物語の主人公みたいにいじめをやめさせるなんて僕にはできない」


 僕にそんな影響力は無い。そんなことすればいじめられる人が一人増えるだけだ。

 それで音海が自分のせいだと思うのは嫌なんだ。……まあ、僕もいじめられるのが嫌だっていう気持ちも無いって言ったら嘘になるが。


「そう、だよね」

「だからずっと一緒にいる」

「え?」

「誰かが音海を嫌っていても、僕が音海といたいって思ってる限りずっといる」


 それが僕にできることだから。


 問題の解決になんかなっていない。

 そもそも僕に問題解決なんて不可能なのだ。

 どれだけ頑張ってもきっと何か足りなくてやめさせることなんてできない。

 それはあの日の夜に考えた事だ。


 そんな僕ができるのは音海の友達であり続ける事だと思う。

 それしか僕にできることは無いと思うから。


「……本当に?」

「流石にこれが嘘だと酷すぎるだろ」


 そこまで酷い人間じゃない。

 音海は安心したような顔をすると立ち上がり、ドア側の椅子から隣の椅子まで移動してくる。


「お、音海?」

「四季くん、一緒にいるって言ったよ」

「そ、それはそうだけど。あれ?」

「どうしたの?」

「気分が悪くならない……」


 気持ち悪くないのだ。

 さっきまであんなに気分が悪かったのに今ではそれほどだった。さっき登校中に買っておいたスポーツドリンクを飲んだからだろうか?


「そ、その、四季くん」

「ん? どうした?」

「手、握ってもいいかな?」

「……え?」

「お願い」


 真剣な目の音海を断ることなど僕にはできず、大人しく握られる。

 温かくて柔らかくて、それで脆くて少し力を入れれば壊れてしまいそうだった。

 だからしっかりと握って、それでいて痛くないように握りしめると音海も少し握り返した。


「私、いてもいいのかな」


 ぽつりと呟いた声はすぐに消えてしまった。

 それでも頭には残っていて、でも『いても良い』と簡単には返せなかった。

 僕がそれを言ってしまうのは違う気がした。今の音海にそう言うのはただの逃げ場所を作ってしまうような気がしたから。

 逃げる事が悪いとは言わない。逃げることなんて誰もがやってることで、きっと必要な事だと思うから。

 それでも逃げる瞬間とか、逃げる方向を間違ってしまってはいけないんだ。

 だから


「僕は音海と一緒にいたい」 


 答えにはならないけど、それでも自信には繋がると信じてそう言った。

 それが僕の考えた精一杯だった。


「ありがとう」


 間違ってなんてなかった。

 たった一言でそう思えた。

 そう、思わせてくれた。

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