第七.五話 黄昏時には帰りましょう
第七.五話 黄昏時には帰りましょう
「……オレもあとから追いかけるから、それまではどうにか耐えてよ?主様」
主、灯がいなくなったその教室で播磨は一人、窓の夕陽を眺めながらそう呟いた。目を細め、夕陽を恨めしそうに見つめる。チッ、と舌打ちが出るほどに。
今日はやけに赤くて目に堪える。正直言って気持ちが悪くなりそうだ。見ているだけで吐き気がする。
出来ることなら、この夕陽を壊してしまいたいが、それをやってしまえば契約違反としてこの娘にどんな罰が下るか分からない。
『全知全能の力』なんて持っていたところで、それは名ばかりだ。制限をかけられていてはどんな力も意味を持たない。
最も、そんな上等な妖であるオレが人間などと契約するなんて…これほど滑稽なことはないかもしれやい。だがしかし、この娘の力に惚れたのも事実であり、自分の命の恩人であることもまた事実である。
この娘がただの人間なら食って、【我が尻尾の妖力】の一部にしてやりたいのだがな。それほどまでに、この娘の【呪われた血筋】は我々にとっては魅力的で堪らない。
だからこそ、だ。こんなにも魅力的で歪な血筋を持った娘を誰かにやるなんて以ての外だ。ならば、自分が傍にいて死に際にでもその首を掻ききってやろう、そう思って契約したのだ。
「……まぁ、そんなオレの気持ちになんか、主様は気づいてなさそうだけど」
そう言いながら、播磨は静かに瞼を落とした。耳を研ぎ澄ませ、神経を集中させる。播磨の目の前には無数の黄金色の糸が目の前で交錯していた。放射状のように教室の中で広がり、それは壁や床を貫いていた。
蜘蛛の巣のように、播磨の左手を中心に伸びていた。無数にある糸を揺らし、その中から一本の糸を選び、ピンっと張って右手で弾く。すると、静けさの中に美しく枯れた鈴の音が聞こえた。祭りの露店でくじ引きで当たりを引いた子供のように嬉しそうな笑みを浮かべる。
「……主様、早く走らないとあの男が囚われてしまいますよ」
そう言って、自分の目に映った主の姿を確認すると、次はは違う糸を選んだ。先程とまた同じように指で弾くと、今度はがらんがらんと苛立つような鈴の音が響いた。神社などにある大きな鈴の音に近い。あはは、と播磨は笑って天を仰いだ。
「……おっと~これは情けない!彼は棚の荷物に押しつぶされたようだね、荒唐無稽なこったこった!」
播磨は、自分の目に映る秋山颯太の姿を見ながら笑いが堪えきれないようだ。過呼吸になるほど笑い転げている。
……播磨綴はただの人間ではない。
いや、彼を人間と比較するのはよそう。それこそ彼に対する不敬とも言えるだろう。
播磨は、ほかの人は見えない『記憶の糸』を見ることが出来る。それは、彼が見て感じた全ての人間の過去・現在の全てが、この糸に触れることにより自分にも通して見えることが出来るというものだ。
全ては播磨の左手にある。糸を張って指で弾くと鈴の音が聞こえる。その鈴の音は音や大きさはバラバラで、鳴ることによりその人物の映像が目に映るようになる。
主様はあまり『これ』を使うなって言われてるけど、主様のこと心配してるんだから許してくれるよねぇ?
ククッと笑いながら颯太の様子を眺めていると、
『……見ないで』
と何処からか、掠れた女の声が鈴の音に混じって聞こえた。これを使っている間、周りの環境音は全てシャットアウトされる筈だ。
聞き間違いかと、播磨がもう一度糸を引っ張るとがらんがらんとゆれる鈴の先からぬっと、黒い影が現れた。
『見ないで見ないで見ないで見ナイでミナイデミナイデミナイデ………!!!
ワタシノコトヲ、ミナイデ………!!!』
そう言って、黒い影は目のない長髪の女に変わり、糸を手繰りながら播磨に近づいてきた。赤黒い血にまみれ、大きな音を立てていた。二足歩行で体を仰向けに反らせて来るその姿はもはや、人としての原型を留めていなかった。
……やばい。播磨はことの重大さに気づき、すぐに颯太の糸を手で引きちぎり、目を開けた。間一髪だった。青白い手が播磨の頬を撫でようとしていた瞬間だったのだから。
目を開けたそこはまたゆっくりとその時間を取り戻し、教室内は既に夕陽の色を無くしていった。藍色の空に押し込まれるように、地平線の彼方へとオレンジ色の球体が溶け込んでいく。
播磨は首筋に、じわりと嫌な汗をかいていた。背中はヒヤリとし、余裕のない笑みを浮かべていた。
「……やっばい奴じゃんこれ」
ハッとした播磨は主の身を案じ、もう一度だけ糸を出して主の糸に触れてみるが、もう既に時遅し。旧校舎に入ってしまったのか、糸の先はもう既に千切れていた。
千切れていたとしても、結び直すことが出来るのだが、その先の糸が見つからない。あの女に隠されてしまったようだ。
……ほんと、弱い癖に小細工ばかりして邪魔をしてくる。
チッ、とまためんどくさそうに舌打ちすると、「あれー?播磨先生じゃーん?」「え?つづるんがいるの?」と声が聞こえた。後ろを振り返ると、まだ下校していなかったのか、数人の女子生徒達が教室に入ってきた。
播磨はニコリとした笑顔を見せ、
「おや、皆さんお揃いのようですね。こんにちは」と丁寧に挨拶した。
「つづるんせんせー!なんでこんな所にいるの?」
「見回りですよ。今週の戸締り当番は私なので。綺麗な夕日が見えたものですから、思わず見つめてしまいました」
「そーなんだ!ラッキー!播磨先生に会えるなんてほんとアタシ達幸せ~!」
「ってか、先生ロマンチスト~!私も先生と二人っきりでみたいな〜!」
「ふふっ、いいですね。今度保健室に来ていただいたら、ぜひそうしましょうか」
「いえーい!やったー!」
女子生徒の目が播磨に釘付けだ。容姿のせいもだろうが、一番の要因は生徒に対する対応と性格だろう。
鳥肌が立つほどの誰だお前感が否めないが、これが播磨の表の姿だった。生徒に優しく、紳士的。少しだけ、冗談交じりで生徒を口説く(?)そんな二枚目キャラを売りにしているのだ。
播磨は、指先でメガネをかけ直して首を横に傾げて笑った。
「さぁ、皆さん。もうここも閉めますから帰りましょう?
もう黄昏時なのですから、気をつけて帰りましょうね?」
そう言うと、女子生徒たちは「はーい!」と手を上げて教室を出て行った。播磨先生も早くー!と呼ばれ、あとを追いかけるように教室を後にした……。
窓越しに映る血塗られた女の影に気づきながらも………。