第六話 灯-あかり-
蓮の花言葉、それは『清らかな心』である。泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせることが由来とされている。
仏教では極楽浄土に咲く花とされ、古くから慈しまれてきた。清らかに生きるものの象徴として愛されてきた。
その蓮の名を借りた、とある大きな神社がある。名は『蓮ノ宮神社』といい、人々から親しまれていた。
それなりに大きな神社で、縁結びや学業成就、交通安全や安産祈願など様々な御利益があるとして雑誌や新聞に取り上げられている。
しかし、その家系には裏の顔があり、霊や妖を浄霊する【浄霊師】を行う家系だった。
あらゆる式神を従え、蓮の札を操る…。蓮ノ宮の家系に生まれた男児は代々その力を引き継いでいた。
が、あるとき、蓮ノ宮家でとある女子が生まれた。彼女は歴代で初めて、浄霊の力を持った子だった。
当時、彼女には兄がおり、兄にはもちろん浄霊の力が受け継がれていた。つまり、男女のどちらにも力が受け継がれていたのだ。
前代未聞だと、親戚中は騒ぎ出した。そして、同時に、非難した。
『【呪われた忌み子】に、浄霊の力が受け継がれるなんて…なんと、奇怪な…!!』
と、兄ではなく、その隣にいた彼女を指差しながら…。
第六話 灯-あかり-
場面は変わって数時間前の放課後のことである___
キーンコーンカーンコーン…。
「はい、じゃあ、今日の授業はここまで。先日出した課題は係に提出するように」
そう、先生が言い放つと後ろからノートが回収されていった。
回収された途端に机にうつ伏せになる生徒や、部活や塾に足を急ぐ生徒など糸が切れたように皆思い思いに放課後を過ごしていた。
中には今授業が終わったばかりだと言うのに、図書室で勉強をしようと声をかけて何人かと行く者までいる。不思議な光景である。
まあ、この学科にいたら自然と、仕方がないものだと納得してしまうのだから慣れとは怖いものである。
いくら【特進科】にいるとは言え、何もここまで追い詰めなくても…と思わず苦い笑みを浮かべてしまう。
ここ近年、特進科自身の進学先が有名な私立国立の大学が多いのだから、自分たちもそれに続こうと士気が高まっているのだろう。
現在自分たちは高校二年生。確かに、受験を対策するには早かれ遅かれ今から始めたほうが良いと言う訳だ。
そんな将来有望(?)組を横に、教科書を鞄にしまい、教室の中をすり抜けようとしたとき、突然クラスメイトから呼び止められた。
バッサリきったショートカットが黒髪に映える背の高い女の子だった。体育会系なのだろう。程よく足に筋肉がついてすらりと伸びていた。
「あーかりっ!今日、由美たちと駅前のクレープ屋に行こうと思ってんだけど、行かない?」
「あ、すみません。せっかくのお誘いとても嬉しいのですが、本日は予定がありまして…」
「あー…そっか!ごめんごめんっ、灯、家の事で教頭に呼ばれてるんだっけ?いやー…灯、あんたも大変だね~…」
「いえ、兄のこともありますし…仕方のないことなので、もう慣れっこです」
「もう、そうやって灯はお兄さんに甘いんだから~。ま、何はともあれ、クレープはまた今度行こうね!」
「はい、ぜひご一緒させていただきます!」
「じゃあ、また明日ー」と、大きく手を振りながら彼女は教室を出て行った。
「お気をつけて!」と笑顔で手を小さくふり返し、彼女の姿が見えなくなったのを確認してから、【灯】は目的地である職員室に向かった。
放課後はやけに人が多い。学年男女問わず様々な人が行きかっている。
委員会や部活動、遅れて課題を提出しに来る者や教科の担当の先生に質問をする者、はたまた、先生の雑用をさせられている者と、毎度この学校の人の多い差に圧巻される。
しかし、圧巻されるのは人だけではない。
「今日は…やけに多いですね…」
そう呟きながら、彼女はあちこちに目を配らせながら周りの状況を把握する。
まるでその存在を【再確認】するように。
…そう、彼女が圧巻しているのは【奴ら】多さである。だが、奴らにも良い悪いがある。良い奴らには関係ない。
関係があるのは、彼女自身___灯を『狙っている』奴ら存在だった。
昼間は普通科のあの人のおかげで乗り切ることができたけど…やはり夕方になると油断はできない…。
灯は、把握できる限りの全ての存在と目を合わせないように職員室へと足を運んだ
彼女は自覚していたのだ。ここで奴らに捕まれば、自分だけではなく他人を巻き込んでしまうことを…。
彼女、【蓮ノ宮 灯】は鬼灯ヶ丘学園特進科所属の高校2年生である。
平均的な高校生に比べれば背が小さく、小動物のように見える。大きな銀フレームメガネと背丈ほどの黒髪を二つに分けたのが特徴である。
彼女が迷子になっても一瞬にして見つけ出すことが可能だろう。かわいらしいその顔をすぐに忘れることはできないだろう。
元気で明るく、一般的な女子高生と言えるだろう。しかし、他の生徒たちとは一つ距離を置くように、誰に対しても敬語で接するようにしている。
誰かにそうしろと言われてきたわけではないが、なぜか彼女は敬語をやめようとしない。昔から癖だと本人は言う。
彼女の家【蓮ノ宮神社】は様々なご利益があることで有名な神社で、雑誌やテレビでも時々特集が組まれるほどに人気な神社である。
最近では、蓮の花びらに見立てた占いが若い女性を中心に人気を集めている。
しかし、裏では霊や妖、呪いの類を浄化する『浄霊師』の仕事をしている。
彼女の父親と兄がその仕事をしており、どちらも【霊や妖を視る力】を持っている。式神や札を操り、2人でよく活動していたのだが、最近では専ら兄が地方外に出ることが多く、一週間も帰ってこないということが当たり前だった。
蓮ノ宮家は代々、生まれてくる男児が、浄霊の力を持つとされ、浄霊師になることが定めとされていた。その歴史が何百年とも受け継がれていた。
…だがしかし、それは灯が生まれてから全てが変わってしまったのだ。
「失礼します、2年の蓮ノ宮です。教頭先生はいらっしゃいますか?」
「お、蓮ノ宮くんかね?待っていたよ!こっちだよ、こっち!」
と、入り口を通ってすぐ右手奥の席に教頭はいた。オレンジのチェックのセーターに、高そうな赤色のネクタイが似合っていたが、長年のお勤めからか頭のほうがどこか寂しそうだった。
コピー機の紙を刷る音や先生たちの談笑の声が混ざり、時間があわただしくうごめいている事が分かった。
さすが教職員のドリンク剤というか、コーヒーの香りが服に染み付きそうなほど充満していた。
一部の生徒たちの間では加齢臭をごまかすためだと囁かれているが真相はコーヒーだけに暗闇の中だと言う(新聞部談)
「あの、遅くなってすみません、教頭先生」
「いやぁ、大丈夫大丈夫。特進科は忙しいんだから仕方ないよ。それよりも私こそ、こんなときにお呼び立てしてしまって申し訳ない」
そういうと、教頭は頭をかきながら申し訳なさそうに笑った。
「いえいえ、本来ならば兄がしなければならないことなんですから、謝らないでください」
灯がニコッと笑うと、教頭は「それなら良かった」と安心したかのように胸をホッと下ろした。
と、同時に教頭の肩に丸まっていた小さな黒い猫はずり落ちそうになっていたが辛うじて耐えていた。
そして、定位置に戻るようにまた丸まっていた。教頭はそんな猫に気にすることなく、「いやーしかし、ほんとに助かったよー」と話を続けていた。
だが、いくら小さいとは言え、肩に丸まってやっと収まりきるサイズの猫を気づかない者はいないだろう。
しかも、それは普通の猫と違い、尻尾が2本もあった。普通ならば奇怪だと声を上げてしまうだろう。
しかし、教頭はそれに気づいていない。いや、気づいていないのではなく、分からないのだ。それが見えているのは灯だけだった。
そして、その灯も驚くことなく、手を出すこともなくまるで何もなかったかのように教頭と談笑をしていた。
…そう、灯は、蓮ノ宮家で初めて『女』で【霊や妖の類が視え】そして【浄霊の力を持った巫女】だったのだ。
しかし、それは灯にとっても蓮ノ宮家にとっても望ましいものではなく結果として【忌み子】として扱われるようになったのだが、それはまた別の話である。
「…しかし、蓮ノ宮くん。本当に君がやるのかい?一応、お父さんの方から許可は、いただいてはいるんだが…」
「私は大丈夫なんですが…私では、やはり頼りないのでしょうか?」
灯がそう言うと、教頭は何か渋るようにうーんと腕を組んだ。
「いや、違うんだよ。むしろ蓮ノ宮くんがうちに在籍してて良かったし…なんというか、ほら、君のお兄さん…暁くんがね…」
教頭がそう言うと、灯は「あ、ああ、兄ですか…」とがっくりうなだれるように呟いた。
面倒なことが飽きてしまったとでも言うように灯もうーんと苦い笑みを浮かべてしまった。
「…教頭先生、兄からまた何か言われたんですか?」
「いや、まあ、先程お兄さんに連絡がついてね、君をお借りしましたって報告したら厳重に注意されてしまってね…。相変わらずと言うかなんと言うか、お兄さんにとても愛されているんだね」
「あぁ…!!兄がご迷惑をおかけしてすみません!」
「いやいや、『札の張替え時期』を忘れていたんだからこっちにも非があるってもんだよ」
「いえ、それこそ兄の責任なので、教頭先生は気にしなくていいんですよ…!!」
と、灯は穴があったら入りたいほど情けない気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
兄さんったら、ほんとに心配性ってか、過保護なんだから…私のことで周りの人に迷惑をかけるのはやめてほしい!
灯の兄、【蓮ノ宮 暁】は現・蓮ノ宮家の長男であり、浄霊師である。22歳と言う若さで全国各地を飛び回っている。
顔立ちがよく、物腰がやわらかいため、アイドルほどではないがそれなりにファンがいるのだと言う。
周りから見れば、本当に浄霊する力があるのかと疑ってしまう風貌なのだが、同業者の間では稀に見る天才だと騒がれているようだ。
そんな、見た目よし、性格よし、力よしの三拍子揃った完璧な兄なのだが、一つだけ、人が引いてしまうような弱点がある。
それは、『重度すぎるくらいのシスコン』であること。
まさに、自分の目に入れても痛くないほど可愛いというもので、22歳になった今でもそれは良くなるどころか悪化してしまっている。
多少なりともそうなったのには事情があるのだが…とにかく暁は両親が引くほど灯に過保護なため、灯関係になると人が変わったようにトラブルが起こる。
灯が浄霊師になったことには賛成はしているものの、自分の目の届く範囲尚且つ自分が同行するとき以外では浄霊の仕事はさせないと、一方的に(?)条件をつけている。
そんな兄の優しさ(?!)に灯は半分嬉しいものの半分うっとおしいという複雑な気持ちで一杯だった。
昔はまだ良いお兄ちゃんだったのに、何でこうなってしまったのか…。灯の苦悩は続くばかりだった…。
「…それで先生、本日は旧校舎の札の張替えということでよろしいんでしょうか?」
「ああ、暁くんの話じゃ旧校舎に4枚貼ったとのことだから、その札と同じものを張り替えるだけでいいと言っていたな」
「分かりました。札の張替えと…ついでに、旧校舎付近のお清めもさせていただきますね。それだけなら一時間もかからないと思うので、すぐに取り掛からせてもらいますね」
「ああ、頼んだよ。本来ならば生徒にやらせることではないんだが…」
「いいえ、大丈夫ですよ。私だって、蓮ノ宮家の人間ですから!」
と、灯がそう笑ったその時、窓の外の夕日は地平線に潜り込もうとしていたのだった…。
まるで、大きな何かから逃げるように…。