第三話 鬼と噂話
第三話 鬼と噂話
『ねえ、ちょっと聞いてよ~!うちの旦那が最近、愛想つかしてまったく子供たちと遊んでくれないのよ~』
『あら奥様のところも?うちもなんですよ~!春だからって、新しくここを訪れた人間と仲良くするのに忙しいって言うのよ?育児放棄よ!』
『そうそう、うちの旦那もそういうのよ~!なんで男たちってあんなに人間と関わろうとするのかしらね?しかも誰彼構わずに』
『もうそろそろ熟年離婚の時期なのかしらね~?試しに、旦那に雷の一つや二つ、落としてやりましょうかね~?』
『いいわねぇ~…ついでにへそでもひん剥いてやりましょうかね~』
『『『『オーホホホホッッ!!!』』』』
…頼むから、井戸端会議を俺の机の上でやめるのはやめてくれないか。
颯太は、小さな鬼たちが自分の机で繰り広げられている光景に、諦めたようため息をついた。
放課後のチャイムが鳴り、クラスメイトたちは勢いよく起き、男子を中心にしゃべりだしては、一瞬にしてにぎやかな空間へと変わっていった。
このクラスの大半は丸一日寝ている生徒がいるのだが、それで単位は大丈夫なのかとたまに心配になることがある。
だが、うちのクラスはそんなことはまるで気にしていないようで、部活に行く者やまっすぐ帰宅する者、委員会に向かう者などで活発的だった。
外からは、もう既に吹奏楽部の演奏が聞こえる。曲の途中ではさむ、ソロのトランペットの音色が心地良い。グラウンドに出ている運動部の声を掛け声と共に、黙々と頼まれていた日誌を書いていたのだがどうも集中力が続かない。
たかが日誌にと思ってしまうが、いつの間にか颯太だけには【小さな鬼たちの音楽会】が始まっていたのだった。
それは楽器ではない、声だけの音楽会なのだが客は颯太だけで、颯太にとってそれは不協和音にしか聞こえなかった。
今、颯太の机の上で集まって音楽会(?)をしているのは小さな鬼と書いて【小鬼】と呼ばれるものたちだった。
普通、小さな鬼を思い浮かべると【子鬼】のような子供の鬼を想像するだろう。しかし、彼女らの場合は全く別の存在である。姿かたちは世間一般で言う鬼のイメージとは変わらないのだが、違いは大きさである。
背丈は、見たところ大きくても卵一個分とものすごく小さい。人形と同等なミニチュアサイズなのだが、彼女らの世界ではこのサイズが成人の大きさだと聞いた。上半身が裸というわけではなく、虎柄の服を着ていたり、似つかわしくない花柄の服を来ていたりと自由な格好をしていた。髪も色や長さは様々でとても個性的だった。
そして名前にあるように彼女らは神出鬼没で、今のようにポッと出てきては旦那さん(?)の愚痴を言い合っては鬼らしいが聞いているとハラハラする言動が多い。
こうも一年以上も聞いていると、旦那さんのことが悔やまれて仕方ない。間違っても、こんな鬼嫁とは結婚したくないと実感する。
ケラケラと会話を続けているが、特にこちら側に害はない。ほぼ毎日見かけるが、特徴と言えば「ひたすら喋る」。
辞書に静かにするという文字すらないのかと疑いたくなる。
目を合わせなければ、彼女らにとっては人間はいてもいないような存在なのだとか。
……では、逆に目合うとどうなってしまうのか?
…こうなってしまう。
『あら~!!颯ちゃんじゃないの~!久しぶりじゃな~い』
『え?あらま、ほんとっ!こんな近くにいたなんて気づかなかったわ!』
『お疲れさまぁ!今日も学校どうだった?』
深い緑に染まった無数の鬼の目がこちらを見てくる。口元は笑っているとは言え、鬼の目は未だに慣れるのは不可能だ。
「…ひ、久しぶりだな」
クラスメイトに白い目で見られないように、身を机にかがめ、寝ているフリをしながら小さな声で話しかけた。
無視をしようにも圧倒的な鬼特有の恐ろしいオーラで無視することすら不可能だった。
一度だけ、無視をしたことがあるが…その後になにがあったかなんて、もう二度と思い出したくない。
『颯ちゃん、元気?実はうちの子最近風邪引いちゃってね~、季節の変わり目だからかしらね?颯ちゃんも気をつけなさいよ!』
『そうそう!人間は最近とかにやたら弱いって聞くわよ、ちゃんと家から帰ってきたら、手洗いうがいは徹底しないと駄目だからね!』
『あんたは若いんだから、常に体力づくりしときなさいよ!』
「ははは…。い、いつも悪いな…」
本当によく喋る。というかこちらを気にかけてくれる。まるで世間から恐れられている鬼のイメージとは全く違う。
なぜ人間に干渉的なのか一度聞いたことがあるが、なんでも【小鬼】という存在は、昔、よく人間に仕えていたとかなんとかでその習性が残っているのだという。
そのせいか、やけに人懐っこいのだ。高校一年の春に初めて会ったときは話し相手としてとても嬉しかったのだが…こうも1年間も付き合いがあると段々と…うるさいように思えてくる。
こうやって人間のことを気にかけてくれるのだから、悪い人たちではないんだけど…。とにかく今はタイミングが悪い。
早く話が終わらないかと、適当に相槌を打ちながら日誌を書いていたら一人のお姉さん(こう言わないと怒られる)が少し気になる話を始めた。
『…あっ!そうだ、颯ちゃん!この建物の向かいにいる幽霊の話、知ってるかしら?』
「向かい側って…旧校舎のことか?あの木造のやつの」
思わず作業の手が止まる。この学校の向かい側は旧校舎しかない。基本的に木造で建築された校舎で老朽化と耐震化に伴い使われなくなったと聞いた。
『そうそう、それ、旧校舎のほう!なーんかね、厄介な幽霊がいるって噂なのよ~、怖いわよね~!!』
「でも、あそこに幽霊がいるなんていつものことだろ?帰り道よく見かけるけど…」
…怖いってお言葉、そのままあなた方にお返ししますよ。と言いそうになったのを堪えた。
旧校舎と言えば、映画や漫画、テレビ番組にもあげられる程、定番な心霊スポットとされている。
他はどうであるかは知らないが、事実、少なくともうちの学校の校舎には幽霊がよく入り浸る。
未練の断ち切れない学生の幽霊や教師らしき幽霊、昔学校で飼っていた動物たちの霊。
挙句の果てには様々な妖ですら引き寄せられるように旧校舎に集まる。朝はさほどひどくないが、黄昏時からそれはひどくなる。
むやみやたらに近づけば、守護霊の如くつきまとってくる厄介な奴だ。だから、なるべく帰り道は旧校舎に立ち寄らないようにしている。
『のん!ちがうのよ~!!それが普段と同じ幽霊じゃないらしいのよ!なんかこう…怨念こもってるって言うか憎悪が増してるって言うか…』
「そんな奴たくさん見かけると思うんだけど…お姉さま方がそこまで気にかけるなんて珍しいな」
『んー…なんかね聞いたところによると、女の幽霊って話らしいのよ。これ、隣のおば様から聞いたんだけどね、旦那さんが夜にその旧校舎に行ったらしいんだけど、そのときに女の子の幽霊に会ったんですって。若い女の子だって言うから多分、颯ちゃんくらいの歳の子だと思うの。んでね、その子、旦那さんを見るや、襲い掛かってきたんですって』
『えええ、襲い掛かってきたの?!旦那さん、大丈夫だったの?』
『ええ、とりあえず何とか逃げて大丈夫だったん見たいなんだけど…妙なことを口走ってみたいのよ』
「…妙なこと?」
『そう。【あれは幽霊じゃない、鬼灯に魅入られた幽霊だ】って…』
『えっ…それって…』
『これ以上はここで話すべき言葉ではないわ…。とにかく、颯ちゃん、もし見かけたのなら気をつけなさいよ?』
そういうお姉さんの声は、先程までの談笑している時とは違ってどこか重苦しく、低くかった。
こんなこと言うのは滅多にない。彼女たち鬼でも警戒しているくらい恐ろしいものなのだと確信した。
「…ああ、ありがとう。気をつけるよ」
俺に霊や呪いの類を無効化できる能力があることは彼女らも知っている。それでも心配してくれるのは優しさなのだと思う。
しかし、同時に、自分の能力を過信してはならない…不意にそう示唆されているような気がした。
『今日はやけに、夕日が近いわね…。真っ赤な鬼灯みたいね…』
その言葉に、俺はそっと窓の外に目を移したが、ゾッとしてすぐに作業に戻った。
教室全体を染め上げるそれが、真っ赤に綺麗に花を咲かせているのに、どこか不気味な顔をしていたのだ…。
_____黄昏時まであと少し。
第三話 鬼と噂話