第二話 見えるものの世界
第2話 見えるものの世界
キーンコーンカーンコーン…。
現代らしい電子音のチャイム一定のリズムで鳴り、起き上がって大きく背伸びをした。
「起立」と同じく今日が日直の早乙女さんがはっきりした声で言うと、クラスの大半はのろのろと起き上がり、あくびをした。
「礼」という彼女の声に合わせて全員がバラバラに礼をして授業は終わった。
一気に授業中特有の無気力で脱力した空気が無くなった。休み時間の力というものは偉大なもので、授業中は誰一人として元気がないのに、休み時間はその反対で一気に元気になる。
学生とは現金なものだと思う。まぁ、俺も授業の大半は寝ているのだからその一人のうちなんだけれども。
ある意味、ちゃんと学生生活している気がする(?)途中から何も書かれていない自分のノートを閉じ、颯太は教壇へと向かった。
教壇では既に早乙女さんが授業中に言われたであろう課題のプリントをクラスメイトと一緒に配布していた。
…その隣に幽霊、足のない黒髪の青年が憑いているなんて言えなかったが。
それは俺たちと同じくらいの年らしい。制服は違うからどこからか彼女が引き寄せてしまっのだろう。どうにかして霊を引き離そうと思った颯太だが、彼は彼女に惚れているだけのようで悪い気もしなかったのでそのままにしておくことにした。
霊や呪いの類でも全てが悪いものではない。良いものや、害がないものもいる。その場合は見極めが肝心なのだが、害さえなければ放置することにしている。
黒板に書かれた数式を見てゾッとする。数学が苦手な俺からしたら難解不能な暗号にしか見えない。つくづく理系には向いてないなと思う。
呪文のような数式を消し終わり、肩に乗ったチョークの粉を払っていたら、後ろで早乙女さんが待ち構えていた。
「…秋山くん、ちょっと良いかな?」
と、突然話しかけられ、颯太は驚いて体をギョッとさせてしまったが幸い彼女には気づかれなかったらしい。
「…なに?」と、(颯太の中では)あくまでも平常心で聞き返した。心の中は自分の相変わらずの無愛想さに情けなく感じ、後悔でいっぱいだった。
「あの、ごめんね!お願いがあるんだ!今日、部活のミーティングあって…その、日誌をお願いできないかな?!」
「ほんとにごめんね!」と小さく頭を下げる。彼女のトレードマークポというニーテールが首に沿って垂れ下がる。
「…別に、それくらいなら構わないけど…」と答えると、「ほんとう?!良かった!ありがとう!!」と言って笑顔を見せた。
このやりとりをクラスメイト何人かが不思議そうに見つめていたので、目立つのが嫌いな颯太は早急にこの案件を終わらせたかった。事実、颯太は帰宅部なのだから日誌を書くこと自体の時間はあったし、苦ではなかった。
…しかし、彼女の隣にいるセコム幽霊がものすごい顔でにらんできたのは見なかったことにしよう。
「…やっておくから、机の上に置いといて」
購買の自販機で買いたいものがあったため、そう頼むと「分かった!おいとくね!」とポニーテールを揺らして俺の席へと向かった。
その姿に何人かの男子は彼女に釘付けだ。学年でもなかなか人気があるらしいから本当に凄い人なんだと思う。
早乙女さんはすげぇなぁ…俺みたいなやつともこうやって分け隔てなく対応するんだもんなぁ…と心の中で小学生並みの感想を述べていた。
さてと、と教室を出ようと思った矢先に、財布がなかったことに気づき席に戻る途中、「きゃあっ!」と小さな悲鳴が聞こえ、俺の胸に何かがのしかかってきた。ふわりと軽く当たったそれは、日誌を持っていた早乙女さんだった。背中から倒れてきた彼女を受け止めたせいか「あっぶね……!」とよろけそうになったが、反射的に彼女の腕をつかみ、体全体で彼女を支える形となった。
「…大丈夫か?」
「え…っ?!あっ、あああっ!ご、ごめんね秋山くん?!ケガしてない?大丈夫?!」と彼女はハッとして慌てて離れた。顔を赤くしていた様子から、転んだのがかなり恥ずかしかったのかもしれない。触れないでおこう。
「いや、別に俺はケガしてないけど…」
「ほんと…?良かったぁ。ご、ごめんね、何かを踏んづけたみたいで…」
そういう彼女の傍らにはボトルのようなもの転がっていた。古い鉄製の水筒みたいなものだった。彼女が転んだ原因はそれだと思う。
もしかしたら足元にあるのを気づかなかった…って俺みたいなことがあるのかもしれない。でも、しっかり者の彼女のことだ。
あんなボトルに気づかないなんて事はないと思うのだが…と、そばにいた彼、幽霊なら何か知っているだろうと目線で探したが、先程彼女に触れてしまったことにより、颯太の能力でどこかへ消えてしまったようだ。
皮肉なことにしばらくはどんな悪霊だとしても寄り付くことはないだろう。
ああ、やってしまった…。
「…あいつに悪いことしたなぁ」
「え?なに、どうしたの?」
「あ、いや…なんでもねぇ」と誤魔化すように鞄から財布を取り出す。
自分に幽霊が憑いてるなんて知って嬉しい人はそうそういないだろう。
「…今度から、気をつけろよ」とドラマに出てきそうな安いセリフを吐き出して教室を出た。もっと良い言葉は無かったのか、俺。
…すれ違う何人かの視線が痛くて仕方なかったが、それを振り払うように足早び購買へと足を運んだ…。
颯太がいなくなってから早乙女の周りにクラスメイトの女子数人が集まっていた。
「ちょっと、早乙女大丈夫?だいぶ派手にこけてたみたいだけど」
「うん、大丈夫だよ!秋山くんが助けてくれたし」
「確かに、あの時の秋山男らしかったわね~。いつもは根暗で愛想ないけど」
「そんなことないよ!秋山くん愛想あるし、根暗でもないよ!」
「も〜またまたぁ〜早乙女ってば優しいんだから〜」
「もーそんな言い方しないでよー!」
「はいはい、分かったよ~っていうかさ、そんなことよりも聞いてよ~!最悪、マジ最悪なの!昨日、うちの彼氏がさ~」
と、颯太の話題は奇跡的になくなり(?)女子特有の恋バナ合戦が始まったのだが、1人早乙女だけにはどうしても引っかかることがあった。
…あの時、床には【何もなかった】のに私は【何を】踏んだだろう…?
_____そして、その頃、颯太は5000円札しかないことに気づき、泣く泣くジュースを諦める羽目になっていた。
「…なんで今日に限って5000円札以外なんもねぇんだよ…!!」
昼休み。颯太は屋上にいた。
暖かい春の風が心地よく、若葉が何枚かフェンスを越え、風に踊りながら落ちてくる。
澄み切ったどこまでも深い青い空、無駄なものは何もない、昼食を取るには最適なコンディションと言える。
ある種この学校の特権みたいなもので、颯太自身この時間が一番好きなのである。
…ただ、一つ残念なことがある。それは今ここにいる生徒が颯太以外、誰一人としていなかったのである。
だだっ広い屋上に男が一人…あるのは貯水タンクとそれを上る為の梯子。あと、たまに昼食をたかりにくる鳥ぐらいだった。
しかし、一年前からここで昼食をとっている颯太にとってはもう慣れたもので、むしろ心地いいと開き直っていた。
元々中庭で昼食をとっていたのだが、あらゆるグループが集まる人気の場所であったため、一人で昼食をとっていることに心を痛め、2ヶ月ほどでその場を去り、どこか良い場所はないのかと校舎内を散策していたらこの屋上にたどり着いたのだ。
ドアの前に立ち入り禁止とロープが張ってあった痕跡はあったが剥がれてしまっていた。
そして都合のいいことに軽くドアノブを回してみると鍵が壊れているのか扉が開いたのである。
最初はほんの出来心で先生が見回りにきたら…と怯えていたが今日まで先生がここに訪れてきたことはなかったため、一年がたった今でも使わせてもらっている。
フェンスも高く、下からこの屋上を見上げても死角になっており見つかることはないようだ。
当たり前のように、夏は暑く冬は寒いのだが、教室や中庭で一人で飯を食うよりはマシだった。
空腹でうるさく鳴く腹の虫を抑えながら弁当箱を取り出す。
今日はほうれん草をはさんだ出汁巻き卵にいんげんの胡麻和え、昨日の残りものの鱈と鶏肉の酢豚風炒め、ちくわにきゅうりとチーズをはさんだ串もの、ミニトマト、ゆかりご飯の俵型のおにぎり。後は別にタッパで持参した残り野菜の即席漬け。うん、我ながらいい弁当だと言える。
「いただきます」と両手を合わせる。
おかずを順々につまみながらフェンス越しに下を見ると、一人女子生徒が校舎を背にしてご飯を食べていた。
颯太が座っている場所は中庭とは反対側の言わば校舎の背中側と言う場所で、下の方はベンチが一応あるが、目の前には広大な森が広がっている。
山沿いに建てられた学校ゆえの宿命だろうあるとしたら百葉箱くらいであとは何もない。夏には蝉がうるさく鳴くくらいだった(経験談)
なんであんなとこに人が?と、即席漬けを食べながらよく目を凝らしてみてみるとそこには朝校門前であった黒髪の女子生徒だった。
うっ、とドキリとして思わず背中をフェンスに向ける。カシャンと音がして跳ね返すように背中を押す。
特別何か悪いことをしたわけでもないのに何故か目をそらせてしまった。
多分、朝のあの時の光景がよぎったからかもしれない。あれに怖かったわけじゃない。どちらかと言うと、【昔の光景】と重なってしまったからだと思う。
あれらに飲み込まれそうになったあの瞬間が【あの人】と重なって怖かった。あの時と同じようになるんじゃないか、って…。
そう思いながらもう一度あの女子生徒がいる方へと目線をやる。彼女の周りには誰もいない。幽霊すらも黒いもやすらもいなかった。
「…まだ効果は続いてるんだな」良かった、と呟いた。颯太の能力の効果は毎回ランダムである。
体質や時と場合によって効果の持続性が変わるが規則性は不明である。
…そういえば、あいつ、朝いた友達とは一緒じゃないんだな。
と、今朝、校門前で睨まれた彼女の友達を思い出して胸が痛かったが、どれだけ周りを見ても友達どころか人すら来る気配がない。
「…ってかあいつ、なんで【特進科】なのに【普通科】のとこにいんの…?」
そうだ、ここは普通科だ。特進科の生徒が立ち入って良いはずがない。見つかれば大騒ぎどころではないのだ。それなのに…なぜ…?
颯太たちが通う、鬼灯ヶ丘学園は二つの学科に分かれている。勉学や運動能力、伝統芸能に特化した生徒が通う【特進科】、それ以外の普通の学生が通う【普通科】
校舎も左右に分かれており、言うまでもなく特進科の方が設備が優れている。
特進科のOBや在籍している生徒に金持ちが多いためそういう仕様になっている。
学校行事では関わることが多いが仲が悪いと言うことはなく程々な距離を保っている。しかし、それ以外では生徒たちは関わることがない。部活動や生徒会活動、委員会を除き、【特進科の生徒が普通科の生徒と関わってはならない。または逆も然りなり】という昔からの校風が残っているためか、
一部では校門を潜り抜けるまでは関わることを禁止しているそうだ。
まぁ、大半の生徒はそんなこと気にしてもいない様子なのだが、生徒会に特進科サイドの人間が多いことからか、見つかれば大変なことになるらしい。
だから、朝、俺が彼女に触れたのが生徒会に見つかればそれなりの処置があったと言うことだ。すぐに立ち去ったのは正解だったと思う。
…ていうかそもそも、友達すらいない俺にとってはこの校風は関係ないことなんだけどな。
そう人生を悟るように(?)弁当箱をしまいながら颯太は制服のポケットにしまっていたスマホの画面を見る。
気づけば、いつのまにか昼休みが終わろうとしていた。「やっべ」とランチバックを片手に立ちあがり、チラッと下を見たがもう彼女の姿はなかった。見つかる前に退散したのだろう。
颯太はドアノブに手をかけ、屋上をあとにした…。
颯太がいなくなった屋上には、木々たちの隙間をぬう様に大きな狐の影が通り過ぎていった…。