プロローグ
『正反対なふたりのせかい』
<プロローグ>
「…いつになったら、貴方に会えますか?」
__藍色に染まった月明かりの下、【彼女】はとある教室にいた。
今はあまり見かけたことがない木造でできた教室で、窓の外に浮かぶ月に手を伸ばすかのように彼女はぽつりと呟いた。
青と白のセーラー服に映えるように赤いネクタイがなびく。それは絹のような【彼女】の美しい肌をよりいっそう引き立てる。
窓から入り込む夜風が【彼女】の長い髪を静かに撫で、赤子を触るかのようにふわりと包み込んだ。
少し乱れた横髪を耳にかけ、ふと目線を下に落とす。目線の先には【彼女】の細くて綺麗な手があり、何かが握り締められていた。
「私は、貴方を待ち続けてきてもう何年も…何十年も経ちました…」
きゅっと唇を噛み締め、胸に手を当てる。なぜだが、このまま心が何かに飲まれそうになってしまうからだ。
「…貴方との交換日記も…あの日からなくなってしまいましたね。
…元気にしていますか?また、朝寝坊はしていませんか?忘れ物していませんか…?授業はちゃんと聞いてますか…?ごはんは…食べ…て…っ」
と、最後まで言い切る前に、声を震わせながら目に溢れんばかりの雫を溜めていた。
【彼女】の小さな目の器では受けきれないほどにそれが溢れた瞬間、空へと大きく吐き出した。
「…私のことはっ、もう、嫌いになったのですかっ?!だからっ、会ってはくれないのですか?!
お願いですっ!答えてくださいっ!」
そういう【彼女】の叫び声はむなしく、その言葉は宙を舞ってはただ静かに消えていった。
…誰も【彼女】の問いに答えてはくれない。手で口元を押さえ、沈むように顔を下げてうっうっ、と嗚咽しながら無数の大粒の雫を落とした。
やわらかな頬を伝い、流れ出たものは【彼女】の手に握られていた__髪飾りへと積み上げられていった。
決して華やかで豪華とは言えないものではあったが、それでも【彼女】にとっては何よりも大切なものだった。
…ひとつ、またひとつと雫が落ち、髪飾りの上で一つの大きな池をつくり、月明かりに反射された宝石のごとく高貴な輝きを放っていた。
貴方がくれた髪飾り…こんなに綺麗なのに…貴方と一緒に見ることができない…なんて…。
___そのとき、ぷつり、と【彼女】の何か張り詰めていた糸が、無理やり切れる音がした。
「…あの人に、会わなくちゃ…」
髪飾りを見つめ、意を決したように顔を上げ、セーラー服の袖口で目元を拭って髪飾りをつけた。
「あの人に、…会って…話を…そのためには…」と、突然彼女は呪文のようにぶつぶつと呟きはじめ、段々と声を大きくしていった。
それはまるで、部品のねじが外れ、すべてが壊れたおもちゃのように狂って見えた。
___もうすでに狂い始めていた…いや、最初から狂っていたのかもしれない。
風が騒がしく木々たちを揺らし始めた。灰色の雲たちは忙しなく横に流れ、先程まで白く穢れない月だったものが、血のように赤みがかっていた。
そんな光景に押されていた【彼女】は何か思いついたのか、月を背に向けてくるっと振り返った。
スカートを翻したその姿は、赤くなった月のせいでどこか真っ赤に染められているように見えた。そして、にへりと不気味な笑みを浮かべた。
「…あの人に会う前に、殺さなきゃ。『鬼灯』の奴らを、みーんな、みんな殺さなきゃ…じゃなきゃ、私は、あの人には会えない」
____そう言った【彼女】は、もう先程の泣いていた【彼女】ではなかった。
「ねぇ、みんな…私のために、手伝ってくれるよね…?」
そういうと、答えるかのように背後から風が吹いて髪が巻き上がる。
と同時に、【彼女】の周りに導かれるように『黒くて不気味な何か』がたくさん集まっていった…。
「…待っててね、△△さん」
と【彼女】は、嬉しそうに笑ってそう言った。だが、【彼女】は肝心なことを見逃していたのだ。
____狂い始めた瞬間から、自分が【悪霊】になってしまっているということを。