BGB 第八話 「消失」
湖にたどりついたタイヨウとハクが目にし、出会ったのは、虹と見紛うほどの少女。
「……あなた達……誰?」
それが少女の発した声だと認識するのに数秒の時間を要した。
それほどにタイヨウは、その少女に魅入っていた。
「おい。タイヨウ、おい」
左腕をゆさぶられて、タイヨウは我に帰った。
「あぁ……すまん」
気を取り直し、正面にいる少女を見る。
金髪。
どこかの民族のような服装。
そして虹色の眼。
なにより、その頭部。
ちょうどハクの角が生えているのと同じくらいのところだろうか。。
丸い耳が生えていた。
「もう一度言うね……あなた達、誰」
柔らかな響きの声で少女は問う。
「俺達は……」
答えようとして、タイヨウは言いよどんだ。
どう答えればいい?
この少女が神だとすれば名前を、特に真名を言うのはまずい。
そもそもこの少女が神か否か。
少し逡巡して、タイヨウは意を決した。
「この世界の神に届け物をしにきた」
名前は言わない。
仮名をつけているハクはともかくタイヨウの名は真名の一部だ。
神に真名を知らせる、知られるということは支配を許すことと同義だ。
この少女が神だという確証はない。
ないが、それでもタイヨウの生物としての本能が、あれが神だと叫んでいた。
「届け物……?」
少女が首をかしげる。
心当たりがないとでも言いたげだ。
「それは何?」
虹色に輝く瞳が、タイヨウの眼を捉える。
吸い込まれそうだと、ふと思った。
その瞳をずっと見ていたい。
頭にうっすらと甘い靄がかかるような感覚。
ふと左手が強く握られた。
「タイヨウ、しっかりしろ」
ハクだ。
ちらと視線をタイヨウによこす。
「オレがいる。だから惑うな」
「わりい……」
あとで頭をなでてやんねぇな、と心の中で思いつつ、タイヨウは口を開いた。
「それを言う前に一つ確認したいことがある」
「……何?」
「君は」
一瞬迷った。
敬意を表するために「あなたは」と言うべきか。
あるいは不遜にお前と言うべきか。
けれど、直感的に、対等な言い方が良いだろうと、タイヨウは思った。
「神か?」
それは普通なら有り得ない問い。
祀るべき存在であり畏るべき存在でる神は、人間が見出すもの。
ゆえに、その存在を目にすればわかる。
「神か?」などという問いは必要がない。
それでもタイヨウは聞いた。
ただその少女が何者かを知りたくて。
その声を聞きたくて、聞いた。
その問いに少女は目を開く。
少し笑みをにじませて。
「うん、そうだよ」
その声以外全ての音が存在することを辞めたかのような静寂。
その中で響く透き通る声がタイヨウの耳に響く。
なぜか懐かしさすら感じるその声。
神と認めた少女は続ける。
「ねぇ、私は教えたよ。だから教えて」
少し歩を進ませながら神は問うた。
「届け物って、何?」
手を伸ばせば届きそうなほどの近くまで、少女は来ていた。
「それは」
「ならん!」
タイヨウが言いかけたその瞬間、少女とタイヨウの間に黒い影がわりこむ。
バサリと翼を揺らしたそれは叫ぶ。
「どこぞの者ともしれぬ!近づくな!」
それは烏だった。
両翼を合わせて2mに届こうかというほどの大烏。
少年と少女の間に現れた烏は叫ぶまま翼をゆらす。
「去れ!」
言葉と同時、突風が吹き荒れる。
「なっ!」
「ぐッ!」
その矛先。
間近に立っていたタイヨウとハクは、たまらず吹き飛ばされた。
「無事か」
「心配しすぎだよ、カラスさん」
翼を収めた巨大なカラスに向かって少女は返す。
「届け物があるって言ってたのに……」
「この地に異界のものが現れたのは何年ぶりやわからぬ。用心せい」
「そんな感じはしなかったけどな」
少年が吹き飛ばされた方に眼をやる。
ほんの少しだけ少女は少年に懐かしさを感じていた。
それがなぜなのかは、少しの会話ではわからなかったけれど。
「帰るぞ。そろそろ陽を沈めねばならん」
「はぁい」
ばさばさと、大烏はその翼を広げ先に行く。
最後に一度、少年が居たあたりを見て、少女は帰っていった。
それと同時。
タイヨウとハクは暴風に弄ばれながら吹き飛ばされていた。
「だぁ!クソッ!なんだこの風!」
それは術と呼ばれるものではない。
仮になんらかの術式であるならば、仕組みがある。
解除するためのとっかかりがどこかにある。
それがこの風にはない。
そんなものに解除術式もクソもない。
端的に言って、タイヨウはお手上げだった。
「ハク、どうにかなるか?」
左腕につかまる少女の姿をした竜に呼びかける。
「うーん……ちょっと待って……」
少し考えこむように、少女は眼を瞑っていた。
考えを口に出しているのか、ぶつぶつと何かを言っている。
「タイヨウ、少し耳をふさいどいて」
「まて、なら腕はせめてはなせ」
掴まれているのはどうしようもない。
だから咄嗟に、言うとおりに右だけはおさえた。
「 」
ほぼ同時、ハクが咆哮した。
あえて音にするならば、「わっ」という短いものだったのだろう。
しかしその音には力が込められていた。
タイヨウとハクを弄んでいた風が、咆哮に蹴散らされたかのように消えていく。
元より力を持った存在が何か行動すれば、その残滓が世界に表出する。
ハクの咆哮も、あの大烏の羽ばたきもそういった類のものだ。
決して術者には真似できない、生物しての壁。
「あのな……ハク……」
地に足をつけ、左耳に異常がないか確認する。
変な音もしないし、聞こえている。
異常はなさそうだ。
「でかいの出すならせめて耳は塞がせろ」
少し半眼になりながらハクを見る。
対してハクはしたり顔とでも言うのか、笑っていた。
「でもおかげで助かったろ?」
ニヤッとしながら言う。
「まぁな。ありがとよ」
左手で軽くハクの頭を撫でる。
くすぐったそうに眼を細め、尻尾は左右に揺れていた。
今でこそこんな少女の見た目ではあるが、先ほどのような力技こそが、彼女の、竜の本懐である。
「にしてもよく思いついたな。咆哮でけちらすなんて」
「んーじじぃの嫌がらせに似てたしな」
じじぃとはハクの故郷、“山”にいる長老格の竜だ。
時折ハクはそのじじぃに修行をつけてもらっているらしい。
「つまみ食いするとあのじじぃ、ふーっと息ふいて吹き飛ばしてくるんだよ。それに似てた」
「……つまみ食いすんのかお前」
というか竜のつまみ食いってなんだ。
「だってあのじじぃ、修行代とか言ってお菓子没収すんだぜ?そりゃ食うだろ」
ぷんすか、と頬をふくらませ腕を組む。
「竜が喰うお菓子ってなんだよ」
「そりゃわた雲とか甘竹とか色々あるぞ」
聞いたことのないお菓子のなをハクは口にする。
わた雲はなんとなく想像がつくが。
「甘竹……?なんだそりゃ、甘いのか?」
「おう!」
タイヨウの問いに眼を爛々とさせながらハクが答える。
「今度持ってきてやるよ!」
「おぉ、そうか……」
予想以上にテンションを上げたハクにほんの少し押され気味になったタイヨウは話題を変えることにした。
「さて、ここからどうするかな」
なんだかんだいって陽が落ちるまで時間がそうあるような気もしない。
おそらく今急いで戻ればまだあの少女とと烏の姿を捉えることはできるだろうが……。
「今日は切り上げるか。届け先も見つかったことだし」
さいわい、ど言うべきかはわからないが烏の風によって来た道をだいぶ戻ってきている。
歩いて帰っても十分たそりつける距離だ。
歩きながら、タイヨウとハクは会話する。
「なぁ、ハク。あの烏、どう思う?」
「どう思うって?」
問われたハクが聞き返す。
あまりに質問が漠然としていた。
「すまん、わかりにくすぎたな。あの烏、神だと思うか?」
金髪の少女は自分を神だと答えた。
それはタイヨウの感覚から言っても間違いないだろう。
ただ、突然あしらわれた黒の大烏。
あの存在がわからない。
「いや、神じゃないと思うぞ。あの烏」
迷うことなく、ハクは答えた。
「なんでそう思う?」
「神っぽさがなかったもん。あの鳥。あの金髪は神っぽさはあったけど」
随分と曖昧な言ではある。
それでもタイヨウよりよっぽど神については近い部分にいる竜の言だ。
“神っぽさ”などという適当な感覚でも信用していいだろう。
「そういやあの烏、足が三本あったな」
ふと思い出したようにハクがつぶやいた。
「足が三本?」
「おう、あったぞ、三本」
三本の足を持つ烏。
そんなもの。
思いつくのは一つしかない。
日本神話に記された八咫烏。
太陽の化身とされ、導きの神として信仰される神社の世界に生きる巨鳥。
しかしハクはあれが神ではないという。
「なら姿だけ真似てるってことか?」
わからない。
それにあの少女との関係もわからない。
状況だけ考えるなら従者が主を守るために駆けつけたというような様子だったが。
「……やっぱよくわかんねぇな」
本人たちの口から聞くことさえできればすぐにわかることであろう。
しかし今日出会った大烏のあの様子ではそれもなかなかうまくいきそうにない。
「物を届けるってだけなのに、神が絡むとこうもめんどくさいのか」
少しごちながら言う。
「心配すんな、タイヨウ」
ふいに左手が握られた。
「オレが居るからな」
ニカっと。
ハクは笑いながら言う。
その明るさに事実、タイヨウは癒された。
「それもそうだな」
そこからくだらない話を続けた。
わた雲なるものに似た綿飴というお菓子の存在。
甘竹がいかに甘いか。
など、本当にくだらなく楽しい話を交わすうち、メイとリアの待つ家につく頃には空は黒へと色を変えていた。
そこからはご飯をすませ、それぞれ風呂に入った。
ハクは断固としてタイヨウと共に入ろうとしたがメイとリアのお菓子攻撃により沈黙した。
ハクが風呂に入っている間、タイヨウはメイに散歩と言って再び神器の安置されている社の元へと足を伸ばしていた。
夜に近づくと“障る”。
そうメイは言っていたが、鳥居をくぐらない程度であれば問題はないだろう。
そういう判断だった。
道すがら、今日あったことを確認する。
神器の確認。
右手についた力が感じられない痕。
術式の原因不明の精度の上昇。
出自不明の敵。
そして烏と神。
「思い返しゃ今日いろいろありすぎたな……」
特にわからないのは右手の痕と敵だ。
どちらにしても術式的な意味での力を感じられなかった。
敵についてはほんの一瞬、神を疑う瞬間もあったが。
あの少女が主として存在するこの異界においてあの敵はなんなのか。
不思議なことに戦っていて嫌な感じはしなかった。
それに、特段“神”を狙っていたような素振りでもなかった。
来るかもしれない“神敵”という線は薄いだろう。
そういった疑問を整理していると、いつの間にか鳥居についていた。
「まぁ別に用があって来たわけじゃ……」
ないんだが、と。
言葉が続かなかった。
タイヨウの言葉を止めたのはほんのわずかな違和感があったからだ。
説明できないほど、小さな、でも確かにそこにある違和感。
ゆっくりと、タイヨウは自分と“世界”のつながりを確認した。
「切れてねぇよな……」
この位置にいて、神器の存在を感じられない。
朝来たときはその存在を認知するための「免許」がなかった。
今はある。
だが。
気づけば走り出していた。
バタン、と社の扉を乱暴に開ける。
「嘘だろ……」
黄金の刀は何もなく、ただそこには伽藍堂の空間だけがあった。
次回は以前あった番外の続きになります。
前回同様、その番外は木曜0時に更新し、本編は金曜0時に更新予定です。
また、注意書きも再掲します。