BGB 第七話「繰り返す邂逅」
走ったのは痛みだ。
左肩。
うずくような痛み。
何かが風すら後にして近づいてくる。
それは良く知るぬくもりだった。
「らぁッ!」
敵の拳は届かなかった。
それを蹴り飛ばす白い姿。
「ハク……」
「ほう!」
感嘆の言葉をかけながら敵は後退する。
「竜か……久々に見たな」
腕を組む。
少女の姿のままのハクを竜と見抜き、その存在を前にしてもあまつさえ余裕を見せる。
「タイヨウ。ありゃなんだ」
「俺が聞きてぇよ……」
体勢をたてなおす。
体力に問題はない。
しかし力……。
「削られたな……。それもごっそり」
術式を起動するための燃料、俗に魔力などと言われているが、おおよそ八割がたのソレが削られていた。
風の術式を消された時に持っていかれたのだろう。
敵を見る。
余裕の体。
熊のカブリに、武器はない。
神器に相対したときのような感覚はない。
ただ。
さっき感じた、目の前から消えてしまいそうな感覚。
「なぁ、ハク。あいつ、神だと思うか」
次の術式をどう組むか考えながら聞いた。
「……いや」
言葉と同時、ハクの身体をうっすらと光が覆う。
「何かはわかんねーけど、それは」
そして駆けた。
「ない!」
距離とつめるのに、瞬間もない。
その爪は敵を貫
「直情すぎるな、娘っ子」
突き出した左手首。
敵の皮膚にふれることなく、腕は止められていた。
万力がごとく握られる。
「まったく、年頃の娘がそんな殺気立てるもんじゃない」
ひょい、と。
さもボールを軽く投げるように、掴んだハクを投げ飛ばす。
「ぬッ」
その間。
「レベル2」
タイヨウが駆けだしていた。
「双炎」
呪は短く、最小限。
「小細工はきかんぞ、小僧」
走り寄るタイヨウに、敵はただ、真横に飛んだ。
その術式こと破壊せんと、タイヨウに向かって両腕を突き出す。
ちょうどタイヨウの心臓の位置。
そしてその両手は正確に心臓を捉えた。
見た目の上では。
熊の男が気づいた時には
「封炎」
背に重みがあった。
「なっ」
身体に重みが増し、敵はその場に崩れ落ちた。
「色々聞かせてもらうぜ、オッサン」
立ち上がりながらタイヨウは言う。
なけなしの力を使ったフェイントと封印術。
思ったよりも疲労が身体に現れていたのか、その足は少しおぼつかない。
「大丈夫か、タイヨウ!」
ハクが走ってタイヨウを支えた。
「あぁ……大したことは」
「はッ。嘘をつくな小僧。今すぐ地面に臥したいほどに疲れとるじゃろうに」
タイヨウの封印術式により、その力の使用を一時的に止められた敵は、地に転がった状態で不敵にもタイヨウを挑発する。
「オマエッ!」
のせられたのはハクだ。
今にもかみ砕かんというほどに怒りを露わにする。
「はしたないのう。年頃の娘がぎゃんぎゃん吠えるな」
なおもその軽口は続く。
「タイヨウ、こいつ、踏みつぶしていいか!」
鼻息も荒くそれでもタイヨウの指示を仰ぐ。
「落ち着け、ハク。落ち着け」
おそらく、この状況で竜相手にこの挑発をするということは何かを持っている。
そうタイヨウは確信した。
ただその何かが全くわからない。
「アンタ……何者だ?」
「何者か、か」
その表情は見えない。
が、タイヨウにはなんとなく笑ったように見えた。
「もう名もない。強いて言うなら、亡霊だ」
「亡霊……?」
その言葉を最後に、その敵は消えた。
「な……ッ」
あまりに突飛な出来事にタイヨウもハクも戸惑う以外の術はなかった。
「亡霊……なぁ、タイヨウ。異界にそんなもんいんのか?」
「いや……どうだろうな」
座り込む。
途端に身体を怠さが覆い尽くす。
「神を主とした異界だから例外しかねぇんだろう。いてもおかしくはねぇと思うが」
ケースから一枚の符を抜き、それを腹に直接貼る。
「わからんことばっかだ」
あの熊の不可解な一撃。
そもそもその存在。
「なぁ、ソレなんだ?」
隣に座るハクが覗き込みながらたずねる。
「これは術式の起動符なんだがな。身体に貼り付けてこの“世界”から少し力を借りる。すると回復の速度が多少上がるってわけだ」
一回の戦闘であまりに失った力の量が多い。
ただでさえ少ないそれをおよそ九割も失っていては“神”を探しに行くどころではない。
「……つーかハク。お前どうやって来たんだ?」
そのおかげで助かりはした。
したものの、ハクが来れた理屈がわからない。
「うん?タイヨウの術式をたどって来ただけだぞ?」
事もなげに、少女の見た目で竜は言った。
「お前、なんつうことを……」
この術式は、タイヨウの左肩に彫った術式はタイヨウが竜にアクセスするためのもの。
あくまでその一方向にかぎったものだ。
それを竜は逆にたどったという。
道端の用水路にダムの放流をぶち込むような暴虐。
道理で痛んだわけだ、とタイヨウは思った。
「それよりタイヨウ」
突如、そのハクの声にほんの少しの怒気が孕む。
「……なんだ?」
「この手の痕はなに?」
ハクがタイヨウの右手をつかむ。
「あー……え、お前なんで怒ってんの?」
その痕は神器に触れたときについたものだ。
「メイから聞いたぞ!何かと契約したからって!」
「は?」
その眼にはうっすら涙さえ浮かんでいる。
「契約はオレだけだったのに!」
その勢いのまま、ハクがタイヨウを押し倒す。
「オレだけだったのに……」
ハクの右手がタイヨウの左肩に触れる。
「オレの……」
涙がこぼれ、タイヨウの頬を揺らす。
その姿は胸にせまるものがあった。
あったが。
「あのな、ハク。聞け」
「……ヤダ」
その額をタイヨウの胸に当てる。
「いいから聞け」
「ヤダ!!」
竜は駄々をこねる。
いつもはハタハタと揺れている尻尾もしなだれている。
「……じゃぁ独り言として言うけどな。右手のこれは契約でもなんでもねぇから」
「……ウソだ」
「ウソじゃねぇ。ちょっと神器に不用意にさわっちまってこうなった」
「……でも、メイが契約だって……」
まだ、ぐずる。
一度思い込んだものを、簡単に捨てられないのだろう。
「あんまりこういう聞き方は好きじゃねぇんだが。あのな、ハク」
右手で、その頭を撫でながら問う。
少し卑怯だと思いながら。
「メイと俺、どっちを信じる?」
「……タイヨウ」
眼が合う。
「だろ?」
「……うん」
「もう一回言うが右手のこれは契約じゃねぇ。だから契約してんのはお前だけだよ、ハク」
ハクが顔を伏せる。
「なぁ、タイヨウ」
「なんだ?」
「その……ごめん」
竜の寿命からすればハクはまだ子供だ。
それ故なのか、純真で、そして素直だ。
「いいよ。悪いのはおちょくったメイだしな」
うっすらと笑うメイドを脳裏に思い浮かべる。
態度がやたらと不遜なメイドはしばしばこういう悪戯を仕掛ける。
リアはそうでもないのだが。
「帰ったら文句を言おう」
おそらく大して反省もしないだろうが。
「……うん」
それからしばらく、体内に蓄える力をある程度回復したタイヨウと、気を取り直したハクは歩をすすめた。
「どこまで行くつもりなんだ、タイヨウ?」
ハクが問う。
当初の目的は位置を確認した湖までだったのだが、謎の敵との戦闘とそれにより快復のために、思いのほか時間をとられた・
「そうだな……」
思案する。
その気になれば“城”まで一瞬で帰ることはできる。
できるが。
それをやってしまうと恐らくまる一日は術式が使えなくなる。
「全く、量の少なさに嫌気が出るな……」
「なんか言ったか、タイヨウ?」
「いや。とりあえずいけるところまで行こう」
タイヨウの肉体強化の術式は、敵に打ち消された風の術式とは違い、まだ持続していた。
それゆえ、人間にしては恐ろしいほどの速さでタイヨウは移動していたのだが。
「ふっふふー」
少女の姿をした竜は余裕で着いてきていた。
幼いとはいえ、竜である。
人間が術式を用いて強化したといっても生身のスペックでかなう存在ではないのだ。
その気になれば、竜という種族はただ純粋な力のみで時空さえかけうる。
最もハクはその領域にはまるで届いていないが。
「そういやお前、人化の状態で色々できたんだな。飯食ったり、戦ったり」
ふと思ったことを口にする。
「んー?そりゃ“山”で色々と練習したからなー」
「練習……?」
「そー」
「なにやってたんだ?」
「ええっとそれは……」
ハクが言いよどむ。
ふと見やるとめずらしく難しい顔をしていた。
「うーん……ナイショッ!」
パっと顔をほころばせる。
「そうかい」
素直なハクがそう言うのなら何かの事情があるのだろう。
タイヨウの脳裏には“山”であった老いた竜がちらついていたが、口には出さないでいた。
「あ、タイヨウ、アレ」
走りながらハクが指をさす。
前方。
「お」
そこは森が開け、キラキラと光るものがあった。
「着いたか」
当初の目的地の湖だった。
情報で得ていたその感じより実感は大きかった。
観光地にでもなっていれば夏には人が来て泳いでいそうな、そんな広さ。
ただその深さはやたらと浅い。
水につからないまでも遠くまで底がすけて見える。
湖、というよりやたら巨大な水たまりといった方が近いか。
「うーん、なんだコレ」
ハクがぴちゃぴちゃと音を鳴らして水に入る。
といってもつかるのは踝までだ。
「つまんねーなー」
ぱしゃぱしゃと足をふり水をはねさせる。
「なにがつまんねぇんだ?」
ケースからいくらかの符を取り出しながらタイヨウが聞いた。
「こんだけ浅いと湖の感じがわかんない!」
「感じ、ねぇ……」
ハクのみならず竜や、いわゆる幻獣とよばれる類の生き物は人間などと比べると自身の持つ力自体の“属性”が格別に濃い。
その“属性”は二つの要因によって決定される。
「北」「東」「南」「西」「王」五つの“方位”と「陰」「陽」二つの“性質”だ。
人間についていうならばこの二つの要因が自然界のすべてを含めて見れば、ずば抜けているということはまずない。
それゆえ人間が自身の資質にある程度左右されるとはいえ、多様な術式を使える可能性を持つ。
一方、竜や神などといったそういう生物は“方位”と“性質”をあまりに濃く持ってしまうがゆえに一方向に特化した力の振るい方しかできない。
しかし。
「お前、“方位”の偏りとかなかったろ?」
このハクという竜に限っては特殊である。
あの“山”にいる竜の大半が「西」の“方位”を宿すのに対しこのハクとその一族が示すのは「王」。
すなわちあらゆる“方位”の力を満遍なく得意とする。
「ないけどさー……こんだけ浅いと潜れないから湖の声が聞こえねーんだよなー」
「湖の声……?」
「あぁそっか、なんていうか、うーん……」
ハクは腕を組み考え込む。
自分が持つ常識を、それを知らない相手に伝えるにはコトバしかない。
しかし。
「えーっと、だから湖の声だよ、声」
ハクはその言葉を持たなかった。
少し、その顔は赤らんでいる。
説明できなかったことが悔しかったのか、それとも気恥ずかしかったのか。
「わかったわかった、声な、声」
なだめるようにタイヨウが言う。
その手は地に並べた符を操作していた。
「むー……なにしてんだ、ソレ」
「“城”からここにすぐ来れるように目印をな」
瞬間的に移動をするにはやたらと力を使ううえにどこかから“城”へと方向が限定されている。
だがそれは片方の入り口がちゃんと設定されていない状況に限る。
入り口と出口、それぞれをあらかじめ設定しさえしていれば、かなりの省エネで移動ができる。
やはり瞬間移動というわけにはいかないのだが。
それでもそれなりの力のコントロールが要求されはするがそれはタイヨウの得意分野だ。
「よし、これでいいか」
力の流れが“城”とつながったことを確認して、タイヨウは立ち上がった。
「さて、こっからどうすっかな」
空はまだ明るい。
時計はもってないがおそらくまだ昼を少しすぎたくらいか。
「なぁハク、どうす……」
そこで言葉は止まった。
ハクもその声を捉えてはいない。
一人と一匹は同じ方向を見ていた。
湖の先。
その遠く。
それほどの距離がありながら、ぽちゃんぽちゃんと音がする。
ソレがたてる音以外のすべてが死んだかのような静寂。
はっと目が覚めたようにハクが湖から飛び出し、タイヨウの隣にたった。
その手を強く、掴む。
そのぬくもりすら、タイヨウは感じ取れなかった。
眼がとらえるもの以外のすべてに対し、脳が機能していない。
その眼が捉えているのは。
静かに水の音をたてながら近づいてくるその存在は、タイヨウとハクからおよそ10mほどのところで足を止める。
どこかの民族衣装のような少し派手めの模様入りの薄い服をまとったその存在は
「虹……」
そう見まがうほどに輝く、黄金の髪を持つ少女だった。






