BGB 第四話 「術式“城”」
それから少しして。
用意された服に袖を通し、一階へ上がる。
「あら、お上がり?」
メイとリアが特にすることもないのか、ソファに腰掛け暖炉の火にあたっていた。
「あぁ、良い湯だったよ」
「なー」
「それはよかった」
「それでは、食事の準備に致しますので楽にしてお待ちください」
そういうリアの姿を追いながらタイヨウは違和感を覚えた。
窓。
その先。
それなりに大きいその窓からは外が見えるのだが、そこに光はなかった。
すでに陽が落ち、夜になっていた。
「……俺たちそんなに長いこと湯につかってたか?」
ここに来た時は正午に近かったはずだ。
実時間の感覚でいえばまだ四時間もたっていないかどうかといったところなのだが。
「いえ、そんなに長くはなかったわ。ただ、神がお眠りになったのでしょう」
「この異界の主がか……?」
眠るだけで陽が落ちる。
確かに神が作り出したこの異界でならありえなくはないが、それにしたって極端だ。
その力、現象の規模に感嘆しつつタイヨウはふとあることに思い至った。
「お前ら、なんで異界に家なんて建てれたんだ?」
太陽の運行、昼夜すら支配するのであれば距離が離れていようとこの世界全てが把握されそうなものだが。
「詳しいことは知らないけれど、主様がちゃんとやってたわよ」
こともなげにメイが答える。
「師匠か……」
考えれば、いや考えなくともわかることであったのかもしれないが。
唐突に異界に落とされて立て続けに竜が人間になるのを見れば多少も思考は鈍る。
「なータイヨウ。何回か聞いたことあるけどししょうってどんなやつ?」
ハクがソファであぐらをかき、尻尾を適当に揺らしながら問う。
タイヨウがハクを呼び出すのは“仕事”に出されたその時なので“師匠”とハクは面識がない。
「……妖怪?」
「タイヨウ、主に言うわよ」
「やめろ頼むそれだけはやめてくれ」
タイヨウが師匠を妖怪と称したのには理由がある。
一つはその見た目だ。
髪が異様に長く、それなりに年齢がいっているにもかかわらず十代といっても通用しそうな中性的な顔立ちをしている。
そしてもう一つ。
「仕事に出された先でだいたい“妖怪”は元気か?って聞かれるんだぞ……」
そういった世界においてタイヨウの師匠は“妖怪”という二つ名で呼ばれていた。
もっぱら本人はその名称を気に入っておらず、面と向かって言えばどう返り討ちにあうかわかったものではないのだが。
「そもそも俺あの人の素性あんま知らねぇからな……」
タイヨウが師を知り、あまつさえ師としたのは偶然に偶然が重なったいわば幸運の一例である。
「なんか……こわいのか?ソイツ」
「あのな、ハク。あの人はこわいとかそういうんじゃないんだよ」
強いて言うなら“強い”
そしてその強さに対する畏怖。
「タイヨウ様、それから竜氏、食事の準備ができました」
「あぁ、ありがとう、リア」
台所から出てきたリアにタイヨウは続ける。
「それとな、リア。こいつは竜氏じゃなくて」
「ハクと呼べ!」
すっくと立ち上がり、手を腰にあて、胸をはる。
えっへんと誇らしげに。
「タイヨウがつけたんだぞ!」
その表情は嬉しさに満ちていた。
「良い名ですね。それではあらためましてハク様、食事の方へ」
用意されていたのはカレーだった。
「……なぁ、コレどうやって使うんだ?」
席についたハクはスプーンを手にし、不思議そうに視る。
「あぁそうか。お前人化の状態で飯食うのは初めてか」
そもそも大抵は呼び出して数時間もしないうちに帰してしまう。
こんなに長い時間を共有していること自体が随分久しぶりだった。
「そいつはこう持ってだな……」
と、持ち方と使い方を教える。
「ふぅん……人間の身体って不便だな。一呑みすりゃいいのに」
「あのな……」
少女の姿をしたソレが知っているのは“竜”の常識、理である。
「まぁいいや。慣れる!」
そう宣言して、ハクはぎこちないながらスプーンを使ってカレーを食べ始めた。
「そういやお前らは食わねぇのか、飯」
テーブルの上にはふた皿しか用意されていない。
「私たちは先ほど食べましたので」
向かいの席につきつつリアが答える。
「そうか、なら良いんだが」
タイヨウがこのメイド達に初めて会ったのは“師匠”に弟子入りしたまさにその時である。
そしてそれ以来、それなりの年月が過ぎ去ったが彼女たちの食事風景をタイヨウは眼にしたことがなかった。
いわくそれはメイドの嗜みらしいが。
「うまいなーコレ!」
隣のハクが満足げに言う。
味覚は人間のものと同じらしかった。
「それならば良かったです」
相変わらず無表情にリアは言う。
十分もしないうちに二人は感触した。
「ごちそーさん」
「ごちそーさまー!」
風呂に入った。
食事もとった。
そして今は夜。
「どうするの、タイヨウ。寝室の用意はできているけれど」
窓の外を見ながら、メイが口を開く。
夜の帳は色濃く落ちていた。
「寝るのはまだいい。腹ごなしもかねて“城”を作る。裏の畑、あそこ使えるか?」
「端の方を少しだけ。他は使ってないから自由にしていいわよ」
「ならいい。使わせてもらうぞ」
席をたち、外に出る。
タイヨウが“城”と称したその術式を展開するには、そして精度を求めるならばそれなりの広さを要求する。
特にここは異界だ。
タイヨウにとってまともに術式を用いるにはその要となる“城”を正確かつ精確に作り上げる必要があった。
「さて……」
畑のちょうど中央にたつ。
「まぁこんくらいの広さがありゃなんとかなるか」
腰にまきつけたケース、その右から三番目。
一見なにも書かれていない白の符を取り出す。
それをちょうど腰の位置、正面に持ってきて、離す。
ソレは宙に静止した。
淡い光をほのかにともし、雪原のように白く何もえがかれていないその符に文字と線が刻まれていく。
「我ここに全を記す」
それに合わせてタイヨウが呪を唱える。
「我ここに火を灯す」
左から三番目のケースを開き二枚取り出し、宙へと投げる。
それから都合四度。
すなわち四枚。
「我ここに水を流す。我ここに雷を鳴らす。我ここに地を揺らす。我ここに風を呼ぶ」
最初にあった白の符を取り囲むように六枚の符が衛星がごとくゆっくり、ゆっくり、廻転する。
「陰陽は廻り、反転し、統べよ」
呪を唱えるたび浮遊する七枚の符が光を強め、放ち、空中に陣を描いていく。
そしてその陣が描き出す空白のなかに、タイヨウが新たに符を放つ。
「廻転せよ。全てに委ね、全てを呑み、表出せよ。数を知り、領れ」
それはその名のとおり、城のような広がりを見せ、20m四方はあろうかという畑をおよそ覆い尽くすほどになり、ようやく膨張をとめた。
高さはおよそ5mほどであろうか。
宙に浮く幾枚もの符と陣を、描く光が繋ぎ止めている。
「我、ここに入城す」
最後の呪を告げることで、その術式はとりあえず完成した。
「……思ったより使っちまったな……」
この術式の役割は、タイヨウの持つ全ての符をその地に対して最適化する、すなわち書き換えることにある。
王、北、東、南、西の基本五種の符に細やかな調整を加えていく。
こうしている今もタイヨウの腰のケースの中においては幾枚もの符が刻々とその刻まれた紋様を変化させていた。
今回、タイヨウの想定以上に“城”という調整術式に符を消費したのは地形把握
の役割も組み込んだためだ。
「うまく機能すりゃいいが」
言葉通りの意味はそこにはない。
そもそもこの“城”が少しでも機能しなければ、タイヨウは術者としての機能を失うといってもいい。
そして“城”を失敗するなどという陳腐な不安を、タイヨウは微塵も持っていなかった。
最初の一瞬さえ力を込められればあとは半永久的にこの“城”は機能する。
それを最大限に生かすためにはこれからを見据えた符の補充と
「“届け物”を確認しなきゃな……。さすがにそれが何かってのは師匠から聴いてるだろ?メイ、リア」
なぜか後ろで見ていたメイとリアに声をかける。
ついでに、というべきか。
その隣には眠そうにまぶたを擦っているハクもいた。
「えぇ、聞いているわ。でも今は見に行かない方がいいわよ?」
「今は……?どういうことだ?」
「陽が落ちた時のアレには近づかない方がいい。タイヨウ、あなた恐らく霊視をしようと思ってるのでしょうけれど、そもそも近づけないと思うわ」
「おい……まさか夜行性の生き物とかじゃねぇだろうな……」
“師匠”はモノとしか言ってなかったが。
「そんな生易しいものじゃないわ。とりあえずアレに夜近づくのは辞めときなさい。身体に障るわ」
「……できればはやく見ときたいんだがな」
そのタイヨウの少し諦めの悪い言葉を聴いて、メイの表情には嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「竜を呼んで、“城”もたてて、今のタイヨウに、ただでさえすかんぴんのアナタにどれだけの力が残っていて?」
直接には言わない。
ただ明確に、メイはタイヨウにトドメをさした。
「わかったよ、明日にする」
事実、今のタイヨウに得体の知れない何かを万全の状態で霊視するほどの力は残っていない。
「タイヨウ……オレ、眠い……」
メイの隣で眠そうに立っていたハクがふらふらと足を動かしタイヨウに抱きつく。
「すぴーーー」
そしてそのまま眠りに旅立った。
「マジか、おい……」
「寝室は二階にあがってすぐですので」
それだけ言うとリアはさっさと背を向け、メイはうふふと愉快そうな笑みを残して家の中に戻っていった。
「……しゃぁない」
ハクを抱きかかえ、メイたちに続く。
「二階の……すぐだったな」
階段を軋ませながらそのドアを視る。
なぜかそこには「たいようのへや」とひらがなで書かれていた。
「悪ふざけを……」
ごちながらドアを開ける。
中にはそれなりに大きな机と、棚、それとベッドが一つあった。
「……それもそうか」
元々はタイヨウ一人がとばされたのだ。
竜のハクは想定外だったのだろう。
ハクをベッドに寝かせ、自分は床にでもと思い寝ようとした矢先。
反応できないほどの強い力で腕を引っ張られれ。
「なっ」
ふんばりすらきかずタイヨウはベッドで横になった。
ひっぱったハクのすぐ傍に。
当のハクはむふふと言葉にならない寝言を漏らし、その手でしかとタイヨウを握っている。
その小さな手は離れそうにない。
「……寝るか」
見た目は少女とはいえ相手は竜だ。
それに服も着ている。
マチガイも何もないだろう。
そう自分に言い聞かせながら、少年は眠りに落ちた。
次回、少し短めの番外(読み飛ばしていただいて支障はないもの)が多分入ります。
火曜0時か水曜0時(五話と同時)になると思います。
第五話自体は水曜0時にあげるつもりです。