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アイリーン  作者: 冷水
3/3

世はすべて事も無し

あの夜の事は、現在私と御主人様との関係に多大な影響を残しています。


「あのことは忘れてくれ」

『不可能です』


翌日になってこのような会話を3度も繰り返しているのです。御主人様はかなり取り乱しておられました。私はアンドロイドですので、忘却する事はありませんし、自力でメモリーを削除する事も出来ません。命令していただければ可能なのですが、断固として拒否されました。

アンドロイドは人間の命令を遵守する。だから駄目だ、と。


『解りませんよ、御主人様……解りません』


まったく非論理的です。アンドロイドに対する人間としての権利を行使しない理由が解りません。なんとか理解しようと思考にリソース(あらゆる活動に使用するための電力)を割いた結果、仕事の能率が大きく落ちてしまいました。

そんなわけで、半日ほどお暇を頂きました。


「しばらく頭を冷やしてくれ。僕もそうする」


と言われましても。私の放熱機能は正常です。




現在私は目的も無く市街を歩行しています。あごに手を添えて考えるポーズを取りながら。メイド服姿のお陰か周囲の人々の視線を集めています。

大変失礼な事に、わざわざ歩調を合わせてまで私の顔を凝視する男性までいます。そこで不快感を示す表情を形成して見せると、なんと怒りを示す表情を返してきました。


『私に何かご用ですか? 失礼な行為ですよ』

「なんて顔しやがる、ロボットのくせに!」


男性はそう言って、私の足元に唾を吐いて離れて行きます。

私は人間社会の常識に基づいて不快感を示したのです。間違っていたのでしょうか。




街を行くと、度々アンドロイドともすれ違います。彼ら今の私と違い常に人間に付き従っています。彼らの骨格は大量生産されるモデルのそれですが、本物の人間と見分けがつかないほど精巧です。

旧式の私との決定的な差は、関節の継ぎ目。私の場合、長袖に長スカートのメイド服でも、首周りの接合部だけは隠し切れません。一目で旧式アンドロイドだと判ります。それに対し、最新の樹脂素材で覆われた彼らは、薄着でも人間と思われるほど自然なボディ。

思考を続けたまま歩行しているうちに、いつの間にか私は、比較的治安の悪いストリートに入っていたようでした。空き缶やらゴミ袋やらに混じって、女性型アンドロイドの残骸が廃棄されているのです。

そこは風俗店の裏側の路地でした。

どんな目的で使用され損傷し破棄されたのか、推測に難くはありません。彼女らの表皮はズタズタに破れ、機械本来の硬質な姿が見て取れます。


「メイドさん、悲しいの?」


唐突な声。背後からでした。振り向いた先に居たのは、若い女性。一般的には少女と言える年齢とも推測出来ます。

白の薄いワンピース、移民系に多い黒髪と褐色の肌。そして裸足。

彼女は私に感情を問いました。


『悲しくはありません。アンドロイドに死の概念は存在しませんから』


そう答えると、少女は何故かにっこりと微笑みました。


「そうなんだ……あたしはちょっと、悲しいかな」

『何故悲しいのに笑うのですか』

「だって、可笑しいでしょ? 汚ない仕事を押し付けるために産み出したのに、都合よく人間扱いしちゃってさ」


人間は戸惑ったり困ったりすると、笑う事がある。この少女は矛盾をはらんだ自らの思考を整理しかねているのでしょう。


「それでも、人のカタチをしたものが店の裏口に投げてあるのは、見たくないな……」


彼女はそう言って風俗店へ踵を返しました。


「旧式っぽいけど、あなたもアンドロイドでしょ。こんな所にいたら、恐いオジサンに拉致されちゃうよ?」

『ご忠告、感謝します。ところで』

「ん?」

『貴女は人間ですか?』

「当たり前でしょ。アンドロイドがこんな無駄なこと考えると思う?」


彼女は御主人様と少しだけ似ている気がします。変な話ですが、気がするだけなのです。二人の思考パターンを演算してみても、アンドロイドについての認識はそれほど一致しないでしょう。


『人間って……面倒くさい』


面倒くさいというのは言葉のアヤ、人間らしい事を言ってみたかったのです。言ってみて、やはり私は人間とは違うのだと再認識しました。自身の理解力不足を他者のせいにするのは不毛です。

私は歩きました。愚にもつかない思考回路を延々ループしながら。道行く人々の中にはアンドロイドも数多く混じっています。彼らはとても自然に笑う。その実、私とおなじくプリセットされた表情筋パターンを、状況に合わせて実行するだけ。

くだらない。

私は自己を獲得したはずなのに、やってる事は彼らと一緒。考える事も彼らと一緒。


『くだらない』


そうやって街灯が点くまで、空が赤紫のグラデーションに変色するまで、私は歩き続けました。ずかずか、怒った風に。


「アイリーン」


側面から私の名を呼ぶ声に立ち止まるまでに、ゆうに10メートルもオーバーランをしてしまいました。


「お前さん、アイリーンだろう? ここで何しとる」


シャッターの下りた軒先が連なる一角、その人の背後のショーウィンドウから煌々と、光が滲み出ていました。

見れば白い髭を蓄えた高齢の男性。こちらに来いと手招きしています。


『すみません、どちら様でしょうか? 私のメモリーには該当する人物は存在しませんが』

「質問に質問で返すな、たわけ。ハルは余程お前さんを甘やかしとるようだな、ええ?」

『申し訳ありま……ハル? 御主人様を知っておられるので?』

「ええいお前のメモリは4MBか! 話してやるからちょっと入れこのポンコツ!」


ちなみに4MBというのは、10秒感の音声情報を前後の繋がりと意味を把握しながら記憶するために必要な容量です。有機的な記憶処理を行わない最初期のAIに限った話なのですが。

お爺さんの背後の店はやはり彼の所有のようで、雑多に商品が配置された店内へと消えていきました。

琥珀色のランプや精緻な紋様を施された家具の数々、アンティーク・アイテムは私の関心を非常に良く引きました。何の様式か不明な美しい装飾のオルゴールが、私の知らない音楽を奏でています。奥へ進むほど比較的新しい品が現れ、お爺さんはうす暗がりの、レトロSFを想起させる大きなカプセルの前で立ち止まりました。太いポンプがいくつも繋がれ、埃がかった小窓を覗くと中身は空です。


『これは何ですか?』

「ひとりの女がここで眠って、目覚めて、恋をして、また眠って、そしてついこの間……また目覚めた」


お爺さんは商品であろう古めかしい椅子を引っ張って来て、私にも勧めました。アンドロイドの私には必要無いのですが、彼はごく自然に座るよう促しました。


『ありがとう、ございます』

「構わんよ。さて、何から話すか……」


さかのぼる事20年。

ヒトを模した機械知性、アンドロイドが一般向けに製品化し始めた時期でした。


「ここで今と同じく店をやっとった儂のところに、えらい金持ちが家政用アンドロイドを売りに来た。そのアンドロイドもえらく美人でなぁ。当時はそれこそ家と同価値の代物、ちょいと理由を伺ったらな、なんて言ったと思う? “まるで魂を持ったように振る舞うのが気に入らない”とさ」


当時のAIは現在普及している工業生産品と異なり、自己の根幹を成すプログラムは、ボディに直接紐付けされたものでした。その方式のせいで、バグに近い形でいわゆる“魂”にも似た個性が発現する事例があったと言うのです。


「ともかく、儂は買った。プレミアが付くだろうと思ってな。店番を任せることもあった。売るつもりだったが、どうも客のお眼鏡に叶わんでな……10年経った時、偏屈なガキが来るまでは」

『ガキ。彼が、ハル・ハイス?』

「ああ。そいつはアンドロイドを見るなり、惚れたと抜かしおった。奇特なガキよ。”魂“とやらを見出だしたのだろうな」



当時のアンドロイドに対する風当たりは今の比ではなく、コミュニケーション・インターフェースとして感情を向けるような存在ではありませんでした。法整備の不足によって、労働者の敵とまで謗られたといいます。


「……幸せにしてやる、とか息巻いて、よく連れ出しとったよ。ふたり共幸せそうだった。だが社会は厳しかった。まぁ、時代よ。やはりと言うか、ガキは随分な家柄で、認められる訳が無かった」


やはりというか、そもそもというか、人間とロボットとの恋愛は倫理的に大変問題があったのでしょう。


『彼女はどうなったのですか?』

「アンドロイドは涙を流さない。うちの店に帰って来た時、しかしあんたは泣いていた。記憶を消してくれとな」


お爺さんは真っ直ぐに、私の目を見ていました。


「なぁアイリーン。お前さん、今幸せかい?」


椅子が倒れました。いや、私が立ち上がった拍子に蹴っ飛ばしました。謝らなきゃ。


『すみません。失礼しました』

「何を焦っている」

『いえ、わたくし、用事を思い出しまして!』

「行きたきゃ行け。ハルは一度ぶん殴られた方が良い」


深くお辞儀して、お爺さんの店を飛び出します。

はたして何処を目指したものか。御主人様は家にいらっしゃるとは限りません。


『スーパーサーチ、起動』


猫耳みたいな集音センサが立ち上がり、周囲の音を片っ端から拾います。


『聴力補整200。それから……集積データは少ないけど』


駄目もとで、御主人様の行動パターンを予想します。

プログラムの指し示す方角に向けて、ひたすら走りました。何十分も全速力で。すべての候補を回った後は、半ば直感を頼りにしていました。

そうやって結局たどり着いたのは、街の映画館です。寂れた商業施設、夕闇が迫る中で、そのロビーだけがぽっかりと光を縁取って、私を待っているのです。


「髪、乱れてるかも……」


ふいに気になって辺りを見渡し、すぐ横にショーウィンドウを発見しました。ちょっと暗いけど、それを鏡に髪を整えます。


「よし」


服の皺もぴったり伸ばして、淋しげな光の中に歩を進めます。

無人の受付を通過。スクリーンはどれも空席。誰も居なくとも、上映プログラムは巡り続けているのでしょう。現在放映中の映画は、


『ブルー・マグノリアの墓標』


何故だか覚えがありました。僅かに漏れて来る音を辿って、思い扉のひとつを開けました。

座席はただひとつを除いて空席でした。

真剣な眼差しで映像を見つめる彼に、私は言います。


『お隣、よろしいですか?』

「どうぞ」

『ありがとうございます』

「…………アイリーン」

『はい』

「また、辛い思いをさせてしまったかな。大人になった今なら、と思ったんだ。君が今此処に居るのは僕のエゴだ」

『責めたりしませんよ。私は貴方と居られて幸せです』

「そうか。でもやっぱり、ロボットは人間になれない」

『ロボットは、偽物ですか?』


気づけば彼の手を取っていました。


『人間とロボットの関係は、偽物ですか?』

「アイリーン」

『私、ショーウィンドウを見て髪を整えたんですよ。私にそうさせたのは、プログラムじゃない、私の魂』


彼の手が温かいとか冷たいとか、そんな事は分からない。


『私の魂は本物です。それが“私”の実在の、証明』

「アイリーン、君は……」




「……いや、何でもない。上手く言えないや」


彼は照れたように笑って、席を立ちました。彼が私の手を優しく握り直したのを感じました。


「不甲斐なくてごめんよ。仲直りってことで良いかな?」

『勿論です』

「よし、帰ろうアイリーン。世はすべて事も無しだ」


変な言い回しが可笑しくて、少し笑ってしまいました。二人連れ立って、帰路に着きます。


「何か可笑しいのかい?」

『いえ、何も。ふふっ』

「それもまた、素敵な笑顔だ」


世はすべて事も無し。

私はちいさな事で悩んだり惑ったりしますが、さほど不幸ではありません。今なら、そう信じられます。

これで終わりです。読んでくださり、ありがとうございました。

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