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正午まであと少しという時に、初めて窓ガラスの向こうに人が見えた。ぼんやりしていたアキははっとして、膝の上に手を置き背筋を伸ばした。痩せた人がガラスの前を通り過ぎ、すぐに店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」アキは入ってきた人に声をかけた。
客はひょろりと背の高い男だった。頬がややこけているのと、ぴっちりした上着のせいでかなりやせて見える。アキを見て男は驚いたように瞬きして、こんにちは、と挨拶を返しまっすぐカウンターに歩いてきた。
「あー、リンゴはいますか。先日連絡を受けたのですが」アキが尋ねる前に男は用件を言った。
「リンゴさんですか?」一人目の客が予想外のことを言い、アキはちょっと拍子抜けした。
「はい、います。今呼びますね」
呼び鈴を鳴らすとリンリンと大きな音が響き、すぐに階段を下りてくる音がした。
「どうしたの?ああ、あんたか」顔を出したリンゴは、どうやら知り合いらしく男を見て頷いた。
「そういや今日来るって言ってたね」
「忘れていたのか」男は呆れたように言った。
「星はどこに?」
「今持ってくるよ」リンゴはそう言って奥へ姿を消し、すぐに戻ってきた。右手に持っているガラス箱が、昨日この店のカウンターで目にしたものだとアキはすぐに気が付いた。
「これだよ」
男はガラス箱を受け取り、それを目線の高さに持ち上げて眺めた。
「やっぱり惑星ってやつでしょ?」
「確かに」男はガラス箱を見つめたまま頷いた。
「誰が置いていったか分からないのか」
「うん、前に言った通り」リンゴは首をかしげた。
「この間、閉店の時に気が付いてさ。カウンターに置いてあったんだけど。誰かの忘れ物とか?」
「私以外に科学者がだれか来たのか?」
「来てないね。じゃあ忘れ物ってわけでもないか」
「そうだな……科学者でもない人間がこんなものを持っているとは考えにくい」男はガラス箱を下ろした。
「ナンバーは入っているな。調べればどこのものかは分かるよ。とりあえず、こっちで預かるぞ」
「そうして」リンゴは頷いて、話す二人を交互に見ているアキの方を向いた。「アキ、こいつはヒイラギ。科学者だよ」
「ヒイラギ、この子はアキだ。店長の孫だよ、前に話したろ?」
「ああ、この子がそうなのか……」ヒイラギという男はアキをちょっと眺めて会釈した。
「はじめまして」
アキも会釈を返した。
「科学者なんですか」
「そうだよ。星の研究をしている」
「星?」
「人工の星を作っているんだ。こいつもそうなんだ」ヒイラギは手に持ったガラス箱を持ち上げて見せた。
箱の中に小さな球体が浮かんでいるのを、アキはじっと見つめた。
「これが星なんですか?」
「星のもとみたいなものだ。これが成長していって、星になるんだよ」
「はあ……」
「興味があるならさ、研究施設に行ってみるといいよ」リンゴが言った。
「今ならすっごく歓迎してくれるから。それこそ貴族みたいに」
「まあ、それくらいのもてなしもあり得るな」ヒイラギが笑った。
「本当に客が少なくてまいる」
「宣伝が足りないからじゃないの?」
「そうなのか……外じゃ人と話すたびにパンフレットを渡しているんだが」
「そのやり方もまずいわ。胡散臭いと思われてるんだから、チラシとかじゃなく実績で証明しないと」
「実績ね……」
ヒイラギは少しの間リンゴと世間話をして、それからパンフレットをアキに渡すと店から出て行った。
「科学者と会ったのは初めてでしょ」
「はい。宗教人みたいな感じかと思ってましたけど、普通の人ですね」
「うん、まあ普通だよ。うわさが独り歩きしてるのかも。実際、中には変人もいるみたいだけど」
「よく来るんですか、あの人」
「時々ね。食べ物とか本を買いに来るんだ。今回はちょっと違ったけどね」
「あの、星って呼んでたのは何なんですか」
「さっきヒイラギが説明してたでしょ。あれが連中が造って研究してる、星だよ」
「何かの比喩なんですか?」
「違う違う。あのガラスの中に白い球があったでしょ。あの中に陸とか海とかが実際にあるんだ。科学者はあの中で植物とか、動物を育ててるんだって」
「そんなことができるんですか」にわかには信じがたい話に、アキは眉をひそめた。
「まあ、胡散臭い話だよね。実際に見るまでは私も信じなかったよ」
「実際に見たんですか?」アキは驚いて尋ねると、リンゴは頷いた。
「そのためにあいつら、科学者は研究施設を公開してるんだよ。一般人にとっては得体の知れないものを、ちゃんと知ってほしいのさ。今も行けば実際に星が見られるよ」
「へえ……でもなんで、この店に星があったんですか?」
「あれかい?それがさ、あれ気が付いたらうちにあったんだよ」リンゴは眉をひそめた。
「この町の科学者の連中が扱っててさ、もちろんそこらの店で売られてるようなものじゃないんだ」
「普通の人が持ってるようなものじゃないってことですか」
「そりゃ物が物だし、普通の人間なら気味悪がって持とうとしないだろうしね」
「それで、ヒイラギさんに引き取ってもらったんですか」
「そう。後はあいつ任せだね」そう言うと、リンゴは伸びをして首をこきこき鳴らした。
「そろそろ昼だね。何か飯作ってくるからさ、それ食べたら店番交代しよう」