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リンゴが言ったことと裏腹に、祖母はなかなか姿を見せなかった。アキが茶を飲み干し、窓の外がオレンジ色になって、リンゴが再び台所に顔を出した。
「ごめんね、店長なかなか来なくて」
「いえ……連絡はできないんですか?」
「うーん、手が離せなくてね」リンゴは困ったように頭を掻いた。
「遅くても閉店までには来ると思うんだけどな」
これなら初めから祖母の家に向かった方がよかったな、とアキは思った。
「もう少し待って、それで来なかったら――」リンゴがそう言いかけた時、ずしんという小さく鈍い音がした。
続いて年配の女のかすれ声が部屋に響いた。
「リンゴ?私の孫はもう着いたのかい?」
「ああ、来たね」リンゴはほっとしたように言った。
「噂をすれば」
リンゴは窓に向かって「はい店長、お孫さん来ていますよ。今出ます」と大きな声で言い、台所の戸口を指した。
「出よう。外にいるよ」
「は、はい」アキは急いで本を袋に入れ、出て行くリンゴを追った。
祖母はどんな人なのか――廊下を通り、薄暗くなった店内を抜けて通りに出たアキは、そこに立っている姿を見てぽかんと口を開けた。
もし自分がネズミになって人間を見たら、こんなふうに見えるのだろうか。老婆が一人、目の前に立っていた。しわが刻まれた顔も、血管の浮き出た腕も、農家が着るようなチュニックとズボンもおかしなところはない。ただ一つ異常なのは、老婆は周囲の建物すら小さく見えるほどの巨体だということだった。見上げなければ巨大な靴とそこから突き出た足首より上は見えない。手は人一人がすっぽり入ってしまうほどで、組んでいる腕の太さはアキの身体の二倍はある。白髪を後ろで縛った巨大な老婆は、切れ長の眼でリンゴを見て、アキを見た。
「ああ」意外にも声の大きさは普通だった。
「アキだね。よく来たね」
「店長、遅かったですね」リンゴが老婆を見上げ、聞こえるように大きな声で言った。
「昼過ぎには来るって言ってたのに」
「明日の市に来るはずの隊商が遅れてるって言うんでね」老婆は巨大な肩をすくめた。
「積み荷を運ぶのを手伝ったんだ」
「南地区長の頼みですか?隊商の一つくらい無視してもいいでしょうに」
「何か急ぎの品でも運んでるんだろう。かなり切羽詰まってたみたいだしね。遅れて悪かったね」
「いえ、お孫さんもつつがなく来られたみたいですし、問題なかったですけど」リンゴは、口を開けたまま腰を抜かしそうになっているアキの手を引っ張った。「ほら、こちらに」
「ああ、よく来たね」老婆はもう一度言った。
「遠いところを疲れただろう」
「い、いえ、全く、その」アキはどもった。
「あまり、その、大丈夫です」
ふと横を向くと、にんまりしているリンゴの顔が目に入った。アキが驚く様子が予想通りだったらしい。
「それじゃ行こうかね」アキが仰天しているのに気付いているのかいないのか、老婆は飄々と言った。
「リンゴ、店じまいはいつもの時間にね。後でまた来るよ、この子もこっちで寝ることになるしね」
「了解です」リンゴはアキに軽く手を上げて笑った。
「じゃあまた後でね」
目を白黒させているアキと巨大な老婆を残し、リンゴは店に引っ込んだ。
*
老婆が手招きした。
「ついといで。ああ、あんまり近くで歩かないでおくれ。踏みつぶしちまうからね」そう言うと踵を返し、町を出て丘を回る道を大股に――アキから見てかなり大股に――歩き出す。
あっけにとられていたアキは慌てて後を追った。小走りに老婆についていくアキは目を疑いたい気分だった。この老婆、明らかに普通の人間の大きさではない。本当にこの人が自分の祖母なのか、なぜこんなに巨大なのか、疑問は積もるが、今は一歩で自分の十歩分は進む老婆についていくので精いっぱいだった。
道は小高い丘のふもとをぐるりと回りこんでいた。十分も歩くと丘の裏へと回り、斜面には建物の代わりに林と果樹の畑が広がった。
そして、丘のふもとには老婆の家が建っていた。「あそこだよ」と老婆が示す前から、アキの目には大きな木造の家が入っていた。アキが今まで見てきたどんな豪邸よりも巨大だったが、この老婆が隣に建つと掘っ建て小屋以上のものには見えない。老婆は巨大な引き戸を開けると、アキがついてきているのを確認した。
「どうぞ、入りな」
「お邪魔します」アキはちょっとためらってから肩ほどの高さの敷居によじ登って向こう側に降りた。