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部屋の外の光景が一変していた。アキと少年が立っているのは、広く四角い空間だった。壁はさっき下りた階段と同じく真っ白だ。床も白かったが、こちらは正方形のタイルが敷き詰められている。右手の壁にはカウンターがずっと続いており、その中ではやはり白い長衣を着た人たちが、同じく長衣を着た人たちを相手に応対していた。長い列を作っているカウンターもある。左手の壁にはドアが――あれは取っ手付きだ――並び、そこからも長衣の人が出たり入ったりしている。アキの背後の壁には、取っ手のない扉が10個ほど並び、そこからも人が出入りしていた。アキと少年もった今そのうちの一つから出てきたのだ。ホールのあちこちに長椅子が設置されており、そこで座って居眠りしている人や談笑している人がいる。受付で見た男と同じ、薄い板を耳に押し付けて一人でしゃべっている人もいた。
年齢はばらばらのように見える彼らは皆長衣を身に付けていたが、そのデザインはすべて同じというわけではないようだった。縦横に黒いラインが一本ずつ入ったものや、左胸のところに六芒星のマークがついたもの、受付の男や少年と同じ、無地のものを着ている者もいた。ごく普通のチュニックを着たアキは、白衣の人ごみの中でひどい違和感を覚えざるを得なかった。
「ここは施設の窓口です。あちらのカウンターは各部署に対応しており――」そう言いながら少年はカウンターの方を手で示した。
「それぞれの受付業務を行っています。あちらは一階に設置されている部署へ通じています」と今度は左側に並んだドアを指して言った。
「この階にはもっぱら施設全体、または各課の管理を担当する部署が設置されています。ヒイラギさんはあちらにおられます、行きましょう」
少年はあっけにとられているアキを促し、左側の壁に並んだドアの一つに向かって歩き出した。
「今のは何だったんですか?」アキは先を行く少年に追い付いて尋ねた。
「入った時と全然別の部屋に出るなんて……」
「あれがエレベータですよ」少年はアキが興味を示したのを喜んでいるように、ちょっと得意げに答えた。
「つまり、ここはさっきとは別の階です。あの小さな部屋は上の階と下の階を垂直に行き来しているんですよ。井戸の桶と同じで、上から頑丈な紐で吊り下げて部屋を上げ下げしているんです」
少年の身振りを交えた説明で、アキは何となく理解できた。
「じゃあ、そのエレベータに乗る前の場所はここより上の階ってことですか」
「その通りです。あれを使えば、階段を上り下りするのに比べれば、全く体力も時間も使わずに済むでしょう」
アキと少年は部屋の端のドアを通った。すれ違う白衣の人が何人か、アキをもの珍しそうにちらりと見たが、反応はそれだけだった。
ドアの向こうは廊下が続いており、ここにもドアがずらりと並んでいた。「人事課」とか「研究管理課」とか書かれた札が下がっている。少年は歩きながらそれぞれのドアを指してこの課は何をしているかとか、この課には著名な何某博士がいるとか説明したが、アキには半分も理解できなかった。
少年は廊下の左側にあるドアの一つを開け、アキを案内した。そこは小ぢんまりとした応接間のようで、中心には鮮やかな絨毯が敷いてあり、テーブルとソファが備え付けられていた。
「どうぞ、お掛けになって下さい」少年はアキにそう言うと、部屋の隅に置かれている大きな縦長の箱のような機械の方へ歩いて行った。機械の横にはたくさんのカップが逆さまにして並べてあり、少年はそのうちの一つを手に取った。
「ヒイラギさんはすぐ来ますよ。お茶はいかがですか?」
「いえ、お構いなく」アキはソファの端に腰掛けながら慎重に言った。さっきの窓口の部屋で見た光景がまだ頭を離れていなかった。あそこにはかなりの数の科学者がいた。少年の話によればこの施設は何階かに分かれているというから、施設全体ではもっといるだろう。せいぜい多くとも数十人程度の規模だとばかり思っていただけに、この町にあれだけたくさんの科学者がいるというのは驚きだった。
少年はアキの前にお茶のカップを置くと、向かいのソファに座った。
「ヒイラギさんにお渡しするものがあるんでしたよね」
アキは頷いた。
「ヒイラギさんとお知り合いなんですか」少年の口ぶりから、なんとなく予想していたことだった。
「ええ。ヒイラギさんは僕のチューターです」少年はさらりと言い、アキの分からないという顔を見て付け加えた。
「チューター、つまり僕はまだ科学者として半人前なので、ヒイラギさんを手伝いながらいろいろと教えを受けているんです。要は師弟関係にあるということですね」
「そうなんですか」アキは肝心のヒイラギはいつ来るのだろうと思いながら相槌を打った。
「ヒイラギさんも科学者としてはまだまだ若い方ですが――」少年が言葉を続けようとすると、部屋のドアがノックされる音がした。
「失礼、ちょっと」少年が席を立ち、ドアを開けた。
アキはちらりと背後で少年がドアのところに立って話しているのを見た。相手は白衣を着た女性で、ヒイラギではない。少年は女性と早口で何やら言葉を交わすと、アキの方を振り向いた。
「すいません、少し待っていてくれますか」と愛想を崩さずに言う。「すぐに戻りますので」
なんなんだ、とアキは思ったが頷き、少年はドアを閉めて出て行った。
一人になったアキは改めて部屋を見回してみた。地面の下にいるはずなので、当たり前だが窓がない。この部屋の壁や天井や床は木でできているようで、アキにとっては今まで通ってきた施設の様子と比べて、異質な感じはほとんどしなかった。壁際にはさっき少年がお茶を入れるのに使ったらしい機械のほかに、大きなガラス戸の棚がいくつも置かれている。戸には鍵がかかっており、その中には厚くて大きい本や、ガラス箱に入った惑星が置かれていた。
アキは立ち上がると、棚に近づいて惑星を眺めた。ガラス戸の向こうの惑星は、アキの袋に入っているものよりかなり大きい。球体の表面は白ではなく薄青い色で、ところどころに白いもやもやした模様が渦巻いていた。それに、回転している。雑貨屋で初めて見た惑星も回っていたが、色や模様が付いたことで、それがガラス箱の中に浮いたままくるくると一方向に回転しているのがはっきり見えた。ガラス箱の隅には「No.277」と刻印されている。
アキは目を細めて惑星の表面に何か見えないかと思ったが、白い模様が渦巻いている以外に動きは見当たらなかった。科学者はこの惑星の中で植物や動物を育てているとリンゴは言っていたが、その意味がアキにはいまだにピンとこないままだった。
アキは何気なく袋から持ってきた惑星を取り出し、目の高さに掲げて棚の中の惑星と見比べた。すると突然、棚の中の惑星が回転をぴたりと止めた。白い靄は渦の外側から流れるように惑星の表面を帯になって移動していく。続いて惑星の薄青い表面の一か所が、まるで誰かがつまんで引っ張ったように盛り上がった。
アキはぎょっとしてこの様子を見ていたが、我に返ってとっさに手に持っている方の惑星を袋に戻した。すると棚の中の惑星は、何事もなかったかのように元に戻り、再びくるくると回転し始めた。白い靄も元通り、渦を巻いている。
今のがなんだったのかアキが考える前に、部屋のドアが軽くノックされて少年が顔を出した。
「すみません、お待たせしました。ヒイラギさんですが、少々連絡の行き違いがあったようで下の階でお会いすることになったのですが、よろしいでしょうか」
アキは急いで向き直り、とっさに「はい」と答えた。この部屋の――というかこの施設の――物をへんにいじったとは思われたくなかった。
少年はにっこりと愛想のいい笑いを浮かべ、手でドアの外を指した。
「では、こちらに」




