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「もしもし……受付業務を担当しているエナガです……外来の方がいらっしゃったのですが、ヒイラギさんにお渡しするものがあるそうで……お名前ですか?」男は板を耳から離し、アキを見た。
「すいません、失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
アキが名乗ると、男はまたしても板を耳に押し当て、そこにいない誰かに向かって――ヒイラギに向かって?――低い声で話し始めた。
「アキさんとおっしゃる方です……はい、わかりました……失礼します」
見えない相手との会話を終えたらしい男は、再度耳から板を離した。
「ただいまヒイラギは手が離せないとのことなので、恐れ入りますがお届け物はヒイラギの研究室までお持ちいただけないでしょうか?」と無理をして作ったような笑みを浮かべて言う。
「入ってもいいんですか?」アキはここで惑星をこの男にでも渡して帰れたらいいのに、と思いながら不安げに尋ねた。
「もちろんですよ。ゆっくりご見学なさってください」男は頑張ってにっこり笑いを続けながら言うと、長い紐のついた札をカウンターの下から取り出した。札には「見学」と書かれている。男はその下の余白部分を指した。
「ここにお名前をご記入ください」
アキは奇妙な形のペンを受け取ると、しぶしぶ名前を書いて、札を首に下げた。
「そちらの階段を下りていただくと研究施設です。案内の者がおりますので、お申し付けください」男は部屋の奥の大きな戸口を指して言った。
アキはカウンターの前を通って戸口へ進んだ。そこから先は下り階段になっていて、両側の壁には白く細長い棒が取り付けられ、まばゆく輝いている。どうやら照明らしい。アキは階段をゆっくりと下りて行った。
階段を下りて行くとすぐに踊り場があった。そこで曲がると、突然様子ががらりと変わった。それまでは壁も階段も木でできていたのに、そこから先はすべて真っ白になっている。階段を下りていくとカッカッと硬い音が響いた。大理石でできているんだろうか、とアキは思った。
白い階段を下りると突き当たりはT字路のように横に広がった部屋になっていた。取っ手のない両開きの扉が四つ並んでいる。アキは部屋を見回したが、さっきの男が言っていた「案内の者」はどこにもいないようだった。
アキは顔をしかめた。さっきの男と言い、どうにもいい加減だ。数日前に、ヒイラギが雑貨屋を訪れた時のことを思い出した。ヒイラギもリンゴも、この研究施設に客がほとんど来ない、というようなことを言っていた。対応がおざなりなのは、多分そのせいだろう。受付に戻って案内がいないことを知らせようとアキが踵を返しかけた時、四つ並んだ扉の一番左端が突然するすると開き、誰かが出てきた。
若い男だった。少年と言った方がいいだろう。幼さがわずかに残る顔と低い身長からして、アキよりも年下に見える。受付の男と同じ白い長衣を着ていたが、もしかするとあれがここの制服なのかもしれない。
少年はアキに気付くと、礼儀正しい笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。
「僕が案内を担当させていただきます。よろしくお願いします」と会釈をしながらそう言う。
「そうですか……」アキは一瞬、こんな若い人が案内するのかとまじまじと少年を見つめたが、すぐに会釈を返した。
「お願いします」
「はい、それでは参りましょうか。こちらへどうぞ」少年が今しがた出てきた取っ手のないドアの方へすたすたと歩きだし、アキはついて行った。
「電動エレベータをご覧になるのは初めてですか?」アキが取っ手のないドアをしげしげと眺めていると、少年が愛想よく話しかけてきた。
「電動エレベータ?」アキがオウム返しに聞き返すと、少年は頷いた。
「はい、電気という動力で稼働する昇降機のことですよ。これに乗ることで階段を上り下りせずとも、容易に各階への移動ができるんです。一般社会でも滑車を用いた人力の巻き上げ機がありますが、それを発展させたものですね」少年は説明口調ですらすらといいながら、ドアの脇に付いている三角形の模様があるボタンを押した。ドアの上に「B10」という橙色に光る文字が突然現れ、「B9」「B8」と矢継ぎ早に変化していく。
どうです、と言うように少年がアキを見上げた。少年が解説したことはどうにも分かりづらかったが、乗ることで他の階へ行ったり来たりできるということは、アキは何とか理解できた。
「すごいですね」とちょっと微笑んで適当な感想を述べたが、少年は誇らしげに頷いた。
「ここでは一般社会では普及していない様々な科学技術を扱っています。すでに僕たちの生活には欠かせなくなっているものばかりです。もちろん、一般社会にも普及させることが最善なのですが」少年は分かるでしょうと言うように頷いた。
「ご存知かもしれませんが、世間一般の評価はすこぶるいいとは言えないものですから……さあ、どうぞ」
ピーンというような高い音がしてドアが開き、少年はその中へ入ってアキを手招いた。
続いて入ったアキは目をぱちくりさせた。ドアの先は人が数人やっと入れるほどの大きさの小部屋で、向かいの壁に取り付けてある縦長の鏡以外には何もない。振り向くと、部屋のこちら側にもドアの脇にボタンが付いており、そのうちの「5」とあるものを少年が押した。ひとりでにドアがするすると閉まる。
「まず地下2階へ参ります。確か、ヒイラギさんに御用があるのでしたね」少年はアキの方を向いてにっこりした。
明らかに行き止まりの小さな小部屋に入ってどうやって地下に行くのか、とアキが問う前に、突然奇妙な感覚が襲った。まるで足が宙に浮くような感じ、更に足の裏がぐいっと押し上げられるような感じがしたかと思うと、すぐに消えた。
「今のは――?」アキが発した問いは、再びピーンという音とともにドアが開いた途端、驚きのあまり消えてしまった。




