7
それは見覚えのある人物だった。ただ普段の姿とは少々違っていたが。それは大きめなつり目がちな瞳が幼く感じる、どちらかというと可愛い系の顔立ちをしたやや女性的、より的確に言うならば童女めいた青年だ。年は俺と同じなのだろうがだいぶ小柄である。
そう、彼が魔法少女シズカの中の人、もとい変身前の人物、平柳静である。
「…シズカさ」
「その名前で呼ばないでくれると嬉しいかな。シズカの兄ってことにしておいてくれないかな?対外的にはその人物がエンドレスの社員の一人ってことになってるんだ」
人をからかうようなニヤリとした笑みは変身前後で変わりがない。テレビで見る姿より成長しているのと黒シャツに黒のスラックスというスタイリッシュな服装だから全く少女には見えないが。俺も彼ぐらい変身前後で違いがあれば良かったのに。
「…分かった。お兄さん、何の用ですか?」
「お兄さん!うんうん、いい響き!ちょっと新鮮な気分!まあ、僕がここに来てるのはちょっと気になることがあってね…でも君の方が深刻そうだ」
少し考えた挙句、彼は近くの喫茶店に俺を引っ張ってゆく。誰かに話を聞いてもらいたかった俺は素直についていった。手ぶらな俺の分まで飲み物を頼んでから彼は心配そうに切り出した。
「で、何があったんだい?」
「周囲の人に俺がシリウスだってバレてた…もう何も考えたくない。笑われるのは嫌だ。だからただ前みたいに何も考えずに戦い続けていたい」
中学三年生の時はいきなり異世界に飛ばされたから世間体とかを考える余裕もなかった。でもがむしゃらに戦っているうちに何かしらの結果が出ていた。そしてそれこそが俺に求めていた勇者としての姿だった。すると彼は難しい表情を浮かべた。困っているような怒っているようなはっきりとは表現しにくい表情だ。
「これはシエロちゃん、後でお説教だなあ…ねぇ、光くん、ちょっとあの腕時計貸して?」
何をするつもりなのだろうか。不安に感じつつも腕時計型の装置を渡すと、彼は憂いを帯びた様子で小さく呟く。周辺の空気が一変するのが俺には分かった。
「《条件を満たさない限りしばらく彼は魔法青年になれない》」
さり気ない様子だったが言葉が紡がれると同時に膨大な魔力が動いた。それこそこの周囲が別世界になったように感じてしまうほどに。俺は慌てて周囲を確かめたが他の客は何事もなかったかのように雑談を続けている。いくら最強の魔法少女と呼ばれてるとはいえ公衆の場でこの人は何をやっているのか。そう怒りたいが、同時に少し安堵した。おそらくバレない自信があるから彼も堂々としているんだろうけれど。
彼はそんな俺に苦笑いをしながら腕時計型の装置を返してくれた。
「今ので分かったと思うけどしばらく君は戦うの禁止だよ」
「…え?」
思わず俺はつけなおそうとした手を止めてしまった。
「相手がいくらモンスターとはいえ、勇者たるもの、モンスターに八つ当たりするようなのはあまりよろしくないよ。あと、精神的に疲弊しきった勇者はちゃんと休ませるのが僕らエンドレスの規定だから」
「何で…」
彼には俺が戦いたい理由を伝えたい。それでも戦ってはいけないのか。その大きな瞳で彼はじっと俺を見ていた。それは不憫なものに対する憐れみのように思えた。
「もしそれが嫌なら条件をクリアすればいい。普段の君ならすぐクリア出来るはずだから」
彼はそれだけ言うと机の上に二人分のコーヒー代にしてはお釣りが多すぎるほどのお金を置いて店を出て行った。
しばらく平和な日々が続いた。シズカがくれたお釣りで無事家に着いたが、その後は全く出動要請もない。それに甘えて単に引き籠っていただけだが。あの日学校に置いてきた荷物は魚谷が届けてくれていたし、仕送りのカップラーメンが大量に溜まっていたから本当にマンションの自室から一歩も出ることはなかった。テレビを付けることもなく、ただ、ただ惰眠を貪った。こんなにゆっくり休むのは久しぶりだった。
何日が過ぎて行ったのだろうか。ここしばらく静かだった携帯が突然鳴った。魚谷からの着信音だ。そういえば荷物を届けてくれた時も直接会ったわけじゃないからお礼言ってなかった。
「…何?」
〈犬星、大変だ!〉
電話の向こうから聞こえてきたのは悲鳴と破壊音だった。
〈大学に強力なモンスターが落ちてきたんだ!怪我人もいる!〉
「…それが?」
あぁ、そうか、なんだ、魚谷も俺が魔法青年だってとっくに知っていたのか。友人の裏切りに体中の神経が一瞬で冷え切っていくのを感じた。
〈それが、って…お前なぁ!他の人が死にそうなら何かしら連絡とろうとするのは当たり前だろうが!!だから早く救急…あれは!?大変だっ。魔法少女達が一網打尽にされている!?〉
それでも所詮他人事だ。俺は通話を切ろうとするが携帯から再び爆発音と、そして確かに魚谷の苦痛に耐える声が聞こえた。思わず携帯を握り締める手に力が入る。
「魚谷!」
だが無慈悲にもぐしゃりという音と共に通話は切れた。壁に叩きつけられて傷付いた魚谷の姿が脳裏を過ぎる。
そうだよな。俺が間違っていた。彼は人として立派だからあえて言わなかったが、自分が死にそうな時、確実に助かりそうな手段があるならそれを実行する。それは当たり前の生存本能だ。生きたいと思って何が悪い。だがそれを俺ははき違えていたようだ。
待ってろ。じっとしていられず、俺は久しぶりに部屋を飛び出した。