おいでよナユタ狩猟区ー新人研修は危険な香り(3)
《神龍》がいるはずの場所を特定するのは素人にでもそう困難なことではなかった。何故ならばさっきの場所から血の跡がずっと続いていたからだ。
そしてその終着点にいたのは。
「ミコト……」
標的を追いつめているミコトさん、そして。
不吉なほどに美しく、同時に邪悪な雰囲気を纏った龍だった。とてつもなく巨大で圧倒的で狂ってもなお神々しい。神や鬼と呼ばれる理由が一目で分かった。あれは起源は人でありながらも今となっては人間とは相容れない存在だと。より純粋な自然の力の具現だ。
「―――あんた、どうして狂った?」
ミコトさんの問いに龍は吠える。それだけで木々が何本かへし折れた。ミコトさんは俺達には気づいていない。
「まぁ、いいさ。俺を裏切り者と怨嗟するがいい。俺はハンターなんだから」
刀が抜かれる。その美しい刀身が冷たい光を放つ。そこで気づく。彼の刀は目の前の龍の額から生えている角のと同じものから作られていることに。ただ、同じではあるが質は全然違う。彼の刀はまさに三日月を思わせるほど研ぎ澄まされているのに対し、目の前のそれは比べればただの角でしかない。
ミコトさんの足が地を蹴る。次の瞬間その刀は的確に龍の足の関節部を切り裂いていた。そしてその数秒後には飛んできた尾を身を反らすだけでかわし、今度はその尾の先端を切り落とす。軽やかなそれは傍から見ればまるで剣舞にしか見えなかった。しかし、実際はいつ叩き潰されてもおかしくない殺し合いだ。ミコトさんの表情は分からないが、その所作は見たことが無いほど優雅で洗練されていた。
「な、だから言ったろ。《神龍》ならかえってミコトだけでいいんだよ」
シエロが呟く。
「奴は神龍でありながら神龍殺しの剣舞を継いだ神龍の長の生き残りなんだから」
その頃にはもう全身を切り刻まれた神龍は絶命していた。ミコトが顔にとんだ返り血を乱暴に袖で拭う。よく見れば本気の時の装備だ。
「……二人とも来てたのか」
「ミコトさん、あの」
なんと声をかければいいかわからない俺の頭をミコトさんが少し背伸びして撫でる。
「これが俺の生まれた世界だ。弱肉強食。そして同時に強いものですらあっさり死ぬ。俺ら人間はそんな世界の片隅でなんとか許されて生きているだけの存在。だから生きとし生けるものの命に感謝をし、そして殺して生かされる。そういう世界があることをお前にも知っておいてほしかったんだ」
以前シエロはミコトさんの戦い方を泥臭いなどといった。だが、実際に現地で見て理解する。
彼らにとってはそういう風に戦うことこそ生きることなのだ、と。命が軽すぎるが故に命の大切さを誰よりも知り、殺すことで生かされることを選んだ世界。重い。そうやって面々と続けられてきた人々の一種の宗教性が重い。
「さーて、しょっぱなからヘビーなものになっちまったな。大丈夫、《神龍》じゃない相手には割と普通に苦戦するからお前らの出番あるぞ」
ミコトさんがにやりと笑う。
「はい?」
「とりあえずこのフィールドは生態系保護でしばらく使えないから海とか湿地になるか。あそこらへんは面倒な敵が多いからな、覚悟しておけよ」
軽い調子で言われたが、聞き捨てならない。まさか、俺らは結局狩りに行かないといけないのか?そんな言葉に動揺していた俺はミコトさんが一瞬哀しげな目で《神龍》の亡骸を見たことには気づけなかった。
《神龍》は基本的にヤバすぎる相手なので多少ハンターが喰われたとしてもどのギルドも放置しておく相手である。だが、唯一の例外がある。
それは狂っている時。普段秘境に引きこもっている彼らが人里に近づいてくるのはその兆候の一つだ。そういう手合いは三大欲求すら破綻し、食べもしない他の生命体をひたすら殺戮する。それが本格的に村に来たら村はおろか、周辺一帯が壊滅すると言っても過言ではない。だが、一つだけ人々が知らない、狂った《神龍》の弱点がある。
それは彼らが各部族に伝わっている異能を使えなくなること。精緻な制御を求められているが故、異能を使えば暴発して死ぬことを本能的に彼らは理解しているのである。だからハンターに狩られるような類には異能は使えない。
俺は不自然な濃霧の広がりを確認しつつ神龍がいると思われる場所へ向かおうとし、すぐに立ち止まった。
嗚呼、これはもう手遅れだ。
《神龍》が狂う時。それは二種類ある。本当に狂っている時と狂っていない時。後者は何らかの理由で死にたい《神龍》がとる手段だ。俺の《育ての母》は後者だった。その結果村一番のハンターへと成長した俺は山のボスであった彼女を討ち取った。だが、周りに満ちた生臭さに俺は甘い感傷を捨てすぐに現実を見据える。喰い散らかされた死体はどれもちゃんと食べつくされていない。つまり正気を失っている。ならば狩るのに一切支障は無い。
俺は跡を追う。このままではあの村が滅びてしまうから。目的地はすぐそこだった。
そこにいたのは紛れもない《神龍》だった。奴はハンターの姿をしている俺を見て少しだけ目を細める。
〈汝、何者だ〉
彼らの言葉はその咆哮の短さに見合わない圧倒的な意味を含む。俺は吼え返した。
〈我、コノハナ氏族の者にして最後のニニギなり。汝、速やかに元の場所に去ね〉
勿論これで帰ってくれるようならそれは狂ってない。しかし《神龍》は弄んでいた死骸を踏み潰した。
〈《神龍》なのに人間に与し、我を止めるのか!?餓えが餓えが餓え餓え餓え餓え餓え餓え餓え餓え!〉
本格的におかしくなっている手合いか。俺は唇を舐める。気を抜けばすぐ首が吹っ飛びうる状況だ。もっとも俺の場合、本当にそれでも死ぬのか分からないが。何しろシズカに弄くられたこの体には真っ二つにされても数年後には完全に再生するという驚異的な回復力が備わっているのだから。
「おっけー。これで交渉はおじゃんだ……ハンターとして俺はあんたを狩るよ」
あとは染み付いた剣舞を舞うだけ。その間ずっと怨唆の咆哮が耳を離れることは無かった。