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数日後……。
それは、気持ちのよい晴れの日だった。
城壁の間際にある、生贄の墓。
苔むした大岩を丁寧に拭き、花を添えた。
「ありがとな。きっとあいつも喜んでる」
「綺麗になったもんなあ。よかったべ。……魔王様、たまには会いにきてやらねえとダメだぞ?」
ティティの言葉に、メイストは目を反らした。
「草刈りはしてたさ。けど、恨まれてるだろ。なかなか足が向かねえよ」
「恨むことなんて、ねえべよ。同じ生贄のおらが言うんだから、間違いねえです」
胸の前で手を組み、祈りを捧げる。
ふと、横に気配を感じた。メイストも墓に向かって膝をつき、頭を垂れていた。
「今度は守れたよ。ぎりぎりだったけど。……少しは償えたか?」
城の出口に、メイスト自らが見送りに出た。
「色々お世話になりますた!」
頭を下げるティティの背後には、眠るウィトスを手に乗せたドラゴンがいる。これから二人は、勇者のいる土地に向かうことになった。そこで、ウィトスを療養するのだ。
「ティティ、本当にお城を出るんだね。僕、結構寂しいよ」
「なぁに、ドラゴンの翼があれば、ひとっ飛びの距離だべさ」
「うん。いつでも迎えにいってあげる。だから遊びにきて」
「こらこら。そんなに涙ぐんだら、前が見れねえべ?おらと父ちゃんを、しっかり運んでけれよ」
「魔王の城に遊びに来る人間なんて聞いたこと無いわよ!」
モニクはメイストの頭の上にいる。羽が生えきっておらず、まだ飛べないらしかった。
「それは悪かったなぁ。モニクも元気でな?怖がらねで、虫とか鼠、倒すんだど?」
「ふ……ふん!アンタがいなくたって平気よ!魔王様がいるんだからっ!」
そうして、モニクはメイストのマントにすっぽりと隠れてしまった。
「俺のマントで涙拭くなよ……」
ふいてないわよっ、という声が、くぐもって聞こえてきた。
「元気でな。お前といると面白かったわ」
「はい……おらもです」
「そこの勇者に言っとけよ。生ぬるい平和な治世なら、魔王が襲いに行くぞってな」
「へへへ!それじゃ全世界が魔王様に支配されちまうべ!」
メイストが目を細める。ティティは、初めてメイストが笑うところを見た。
――こんなやさしい笑顔の魔王様なんて、やっぱりおかしいべ。
ドラゴンが飛び立った。次第に城が遠ざかる。緑の畑と、色とりどりの実が成る木に囲まれた、穏やかな魔王の城。その内面は黴臭く、虫と埃だらけの異様な姿。
メイストは、ずっとティティたちを見送ってくれていた。
さよならの言葉が出てこなかった。この土地を離れても、気持ちが離れることはないかもしれない。
それは多分……ティティは既に、支配されてしまったからだ。
ティティが旅立ってから、月日が流れた。
「ぎゃーっ!ネズミぃぃぃ!」
メイストの耳元で、モニクが飛び回る。その元気があってなぜネズミを倒せないのか、メイストにはいつも不思議だった。
「魔王様ぁ!退治してよお!」
「今、読書中」
「魔王様の魔王でなし!いやーっ!」
「モニク~、僕のノミ取ってよー」メイストの近くで眠るドラゴンが、かゆそうに体をよじる。
「自分でやんなさいよ!今それどころじゃないの!」
モニクが大騒ぎするリビングで、メイストは静かにページをめくる。
「そろそろ新しい生贄の時期よね!ねっ!早く来ないと、こき使わないと、あたしが死んじゃう!もう五年くらい経ったでしょ!」
「ちっとも経ってねえから。まだ三ヶ月だから」
「ウソつきー!ティティがいなくなったのってだいぶ前だもん!」
「その間に魔王会議あったか?」
「……無かった!ああっ、どうしよう!ってことは、このまま生贄不在で魔王会議に行くことになるの?つまり……次の予算はどうなるの?」
メイストは無言で、ぱらりとページをめくる。モニクは身震いした。
「もう貧乏生活はイヤー!イケメン執事ー!あーん!」
「泣くなよ。……ほら、これやるから」
溜息をつきながら、足元のマントをめくる。すると、鉄製の容器が表れた。彼は靴を履いたまま、足をそこに入れていた。その容器から、石の塊を取り出す。割れ目から赤い輝きが波打っているのが見え、ジュウウ、と音を立てていた。
「なにこれ」
「フシ山の火岸石。風呂に入れたらグツグツって、ジャグジーみたいに……気持ちは金持ち」
「いらないわよ!それ、魔王様の足あっためてる奴!」
「年々寒さが堪えるな。今年はもう出しちまった」
良いアイデアだと思ったのだが、モニクはバカバカと叫びながらリビングを出ていった。仕方なく、火岸石を缶に戻す。
「……モニクは寂しいんだね」
静かになったリビングで、ドラゴンがぽつりと呟いた。メイストは黙って本を閉じると、ドラゴンの頭を撫でてやった。
「どこだ、ノミ。取ってやる」
メイストはドラゴンの横に座り、ノミ取りを始めた。
ティティがいなくなって、たった三ヶ月だ。
魔王たち異種族の三人は、人間に比べて時間の概念があいまいだ。人間の何十倍も生きるために、時の流れの感覚が人とは違う。この三ヶ月は、自分たちにとっては半月程度の時間だったはずだ。……ティティが現れるまでは、そのはずだった。
人と違う時間を生きているはずの魔王にも、この三ヶ月は、確かに三か月分の長さを持っていた。むしろ、それより長くさえ感じたかもしれない。
生贄との別れなど、数え切れないほどあった。早く出て行けと思った者もいたし、最後まで心を開かなかった者もいた。ティティのように城の異種族と仲良くなり、モニクやドラゴンが別れ際に駄々をこねることもあった。こんな状況は、初めてではない。
だからこの気持ちも、いずれは消えることも知っていた。人より長く生きる分、人よりそれにかかる時間が長いだけで……。
「ティティ、元気にしてるかな」
「あいつなら平気だろ」
「僕知ってるよ。魔王様が、勇者様のいる土地に生贄を行かせるときは寂しい時だって」
ノミを潰そうとしていた手が止まった。
「だって、勇者様がいるところには見回りに行けないから。顔を見たら、攫いたくなっちゃうしね。魔王のショーブン?ってやつで」
「うるせえよ」
ドラゴンの発言のせいで、ノミが逃げた。 膝に手をつき立ち上がる。翼竜族についたノミは、魔力を帯びて光っているので見つけやすい。それを追って――
顔を上げたところで、ぎょっとした。
ティティが……いや、ティティの服が、廊下に立っていた。
「あ、ああ……お前か。何か用か」
一瞬、呆けていたメイストは、そこにノーバディがいるのだと気づいた。ティティの服を着せたのは、多分モニクだろう。
ノーバディは一生懸命に何かを訴えていた。
「……誰か来てるのか?」
玄関にいた少女の姿に、メイストは言葉を失った。
「お前……」
ティティだった。大きな袋を背負い、一人で立っていた。この城に、初めて彼女が訪れた日と同じように。誰かがティティに化けているのかもしれないと、確かめるために近づいていく。
しかし顔をよく見る前に、彼女は深く頭を下げた。太腿にべたりと額をつける、彼女がティティであることを証明付ける何よりの動作だった。
「あ……あの!おらのこと……もう一度生贄にしてくだせえっ!」
ティティは自分の茶を自分で入れて、皆の分も一緒にいれて、この三ヶ月の間にあったことを話した。父はすっかりよくなり、今では元気に畑を耕している。
「父ちゃんにこの城での生活のことを……生贄のことを話したら、おめぇも魔王様にいい嫁ぎ先を紹介してもらえ!って」
「娘の言うこと、そんな簡単に信用するなよ親父……」
「でも、魔王様もみんなも優しかったっていうのは事実だべ!それに……おら、生贄としてはてんで役立たずだったから。今度はちゃんとお仕えしてえんです」
「いい心がけじゃない!それでこそ、生贄の鑑だわ!」
モニクはティティの膝の間に座ってふんぞり返っていた。その横では、ドラゴンもまるで犬のように嬉しそうに尾を振っている。
「自分から魔王に捕まりにくる生贄なんて聞いたことねえよ。しかも、勇者のいる土地から生贄って……全面戦争モンだぞ」
「そうしたら、魔王様の勝ちに決まってるべ!」
ティティは、にんまりと笑った。
「勇者との戦い!最高ねっ!勇者から土地を奪うなんてことになったら予算は倍額……ううん、桁が増えるわ!」
「僕、戦いは苦手だな……火も吐けないし」
「アンタなんかお呼びじゃないわよ。魔王様ひとりで、勇者なんかあっという間にドッカーンよ!やったあ!」
ティティは再び、支配されることを選んだ。勇者のいる美しく優しい土地よりも、魔王の統べる土地にいたいと思った。
それは、メイストが魔王たる何よりの証。力も呪いも使わずに、人間を支配する魔王の――。
「俺、これ以上支配地が広がったら過労働で死ぬわ」
それが本気なのか照れ隠しなのかは、メイストにも、誰にも、わからなかった。




