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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<1>生贄の娘・ユースティティア
7/20

「ドラゴン……あとでうんと怒られるんでねえか?」

 どこまでも続く森の上空。他に生物の気配はない。ドラゴンの羽ばたきの音しか聞こえなかった。

「だって、あんな話聞いたら放っておけないよ。僕、そこそこティティのこと好きだしさ」

「ありがとうな……」ティティの声が震えた。

「あのさ、ティティ……魔王様はきっと寂しかったんだ。魔王様がティティを村に行かせなかったのは、お父さんに会ったらもう帰ってこないと思ったんだよ」

「どうだべなあ」

 メイストのあの口ぶりは、そんな感傷的なものではない。ドラゴンの言うような理由ではないのは明らかだ。でも、主を信じているドラゴンの心中を思うと、ティティは自分の考えを伝えられなかった。

「魔王様も飛べるけど、追いつかれねえのけ?」

「うん。この前見回りにいったでしょ?あれ、結構魔力使うんだけど、まだ全快してないはず。……魔王様がカナシ村まで飛ぶならもう少し回復させないと。僕は翼竜族だから、魔王様と違ってこの羽だけで飛べるし、速度もあるんだ。でも、一応急ごうか」

 ドラゴンが翼を更に広げる。風の抵抗が増えて、ティティはドラゴンの手のなかで身を縮こまらせた。

――父ちゃん。待っててけれ。今行くからな……。




 二人がカナシ村に着く頃には、夜になっていた。ティティは、自分の家が村の外れでよかった、と思った。ドラゴンの姿を隠せるような木も、カナシ村にはもう残っていなかったからだ。

 家の扉は壊されていた。〈盗み見の蛇〉で見たのと同じ場所で、父は倒れこんだままだった。

「……父ちゃん!」

 ティティは父に駆け寄る。「父ちゃん、父ちゃん!しっかりしろ!」

 服には、あちこちに染みがついていた。薄暗くてよく見えないが、これは多分、血だった。体は、水をかけられたせいで冷え切っている。自分が羽織ってきたマントをかけると、ウィトスの体を、手のひらで懸命に擦った。

 それが功を奏したのか、ウィトスは瞼を震わせた。だが、目は開かない。乾いた唇から、ひゅう、と息が零れる。

「ティ……ティティ……か……?」

「んだ!ティティだよ!ティティが帰ってきたよ!」

「……こ、これは……夢か……?」

 ウィトスは、ティティの手に触れる。「あったけえ夢だ……おめぇの手は……昔から、触れると不思議と元気になる……」

「と、父ちゃん……何言ってるだ!しっかりしろ!」

「ティティ、落ち着いてよ」窓から室内を覗き込んでいたドラゴンが、狼狽する。

「どうしよう、ドラゴン……!このままじゃ父ちゃんが死んじまうよおっ」

 父の顔が、不意に明るく照らされた。

 光の源を辿ると、幾本もの松明が家の外に近づいてきていた。村人たちが、騒ぎに気づいたのだ。

「ドラゴン!おらと父ちゃんを運んでけれ!」

「う、うん!」

 ティティは父を引っ張り、連れ出そうとした。ドラゴンは裏口で手を伸ばして待ってくれている。手が大きすぎて、家の中に入らないのだ。

 しかし、いくら病気でやつれているとはいえ、大人の男だ。それも、体にまったく力が入っていない人間を運ぶのは、女の力では容易ではなかった。ティティの力では、引きずるしかない。

「……なんだ、あいつは!」

 あと少しというところで、村人が声をあげた。家の外にいるドラゴンの姿に気づいたのだ。

「あれは……魔王の遣いのドラゴンじゃねえか!」

 カバイェと数人の村人が、家の中に飛び込んできた。ティティはまだ、父を運んでいる途中だった。斧や木の棒を構える村人から、父を庇う。

「お前!どうしてここにいる!」

「に……逃げてきた!なして父ちゃんを医者に診せてけねがったの!」

「きちんと飢饉が解決してから、診せるつもりだったさ。こうなったのは誰の責任だ」

「だ……だども、父ちゃんをいじめることはねえべ!父ちゃんは病気なんだぞ!これじゃあ死んじまう!」

 カバイェは、まばたきひとつせずに、ティティたち親子を見ていた。

 その手に握られた松明が、不気味に揺れた。親子の肌を、舐めるように照らす。その沈黙で、彼女は知った。

「……さ、最初っから……そのつもりだったのが」

「余所者のお前らに、医者なんて用意してやると思ったのか?」

 この時ティティは、父が病気でよかったと始めて思った。

 もしこの言葉を聞いていたら、ウィトスは怒り狂って、彼らを殺してしまったかもしれない。

 あまりに怒りを覚えると、人は感覚が消えることを知った。寒さも感じない。目の前も真っ暗だ。耳も遠ざかり、手足から力が抜ける――そんなティティにはお構いなしに、村人たちはおぞましい相談をする。

「こいつ、どうする?このまま村にいられたら、匿っていると思われるぞ」

「ああ……生贄が逃げたと知って、今頃探しているかもしれん」

「そうしたら、この村が襲われちまう!このままじゃ……」

 口々に言い合っていた村人は、カバイェの顔を見つめる。

 決定権は、彼にある――そういうよりも、彼に従うことで自分たちの行動の罪深さから逃れたいのだろう。

「……俺たちの手で、この女を殺す」

 だが、カバイェは違った。村人たちの贖罪など、どうでもよかった。自らの意思で、命令を下すのだ。

「俺たちの手で葬って、魔王の怒りを鎮めよう」

「ティティを殺したら、魔王様はおさまるどころか怒るよ!」

 話を聞いていたドラゴンは、家の正面に回って村人たちを追い払う。

「な、なんだあのドラゴン!喋ったぞ!うわあ!」

「怯むな!火矢を放て!」

「待って!やめてってば!」

 暴れるドラゴンの前で、カバイェたちが松明を振り回す。ドラゴンにとって、人間がいくら小さくても、火は火だ。足止めをされている間に、後方にいた村人たちから火矢が放たれる。

 乾いた屋根に突き刺さり、あるいは窓を破り、火矢がティティの家を襲う。

「ティティ!逃げてえ!」



 家の中で呆然としていたティティは、ドラゴンの声で意識を取り戻した。

 気づけばティティのまわりには火がついた矢が突き刺さっている。その火は溶け出した蝋のように、床に、壁に、這い始めていた。

「と、父ちゃん!起きて!逃げねば!」

 ウィトスの体を揺さぶるが、反応はない。肩の下に潜り込み、父を支えようとするが、うまくいかない。

「起きれぇ!父ちゃん!このままじゃ死んじまうぞ!」

 あちこちに散らばっていた火がひとつに繋がり、大きく広がった。枯れ葉のように乾いたカーテンに燃え移ると、一気に天井に広がる。その上では屋根も、炎に包まり始めていた。

 ティティは、室内に漂う煙を吸い込み、大きくむせた。

「父ちゃん……」

 涙で滲む父の姿。扉にも、窓の近くにも、火が回っていた。目を開けていられない。熱いせいか、眩い光のせいか、ティティにはわからなかった。

 あきらめてはならない、がティティの信条だった。飢饉が5年も続いても、ティティは前向きだった。明日起きたら青空が広がって、草木の輝く大地が戻ってくるかもしれない。そんな風に考えて生きてきた。

 そんなティティをバカだと、何も考えていないと、村人たちは蔑んだ。

――ああ、んだな。おらはバカだったよ……

――おめだちのこと、ずっと信じてだんだもの……

「ごほっ、ごほ!」

 ウィトスの背中にすがりついたまま、激しく咳き込んだ。屋根から、みしりみしりと音がする。煙と熱のせいで、目を開けていられない。

 ふと、ティティの脳裏に、魔王城での生活が思い出された。

――魔王様、お怒りだべな……

 村には戻るなと言われていたのに、言いつけを破って戻った結果が、この有様だ。

きっと今頃、呆れているだろう。村人たちと同じように……。

「ばかやろう」

 メイストの声がする。

 なんとか瞼を持ち上げると、炎の中に人の姿が見える。燃え盛る火をアクセサリーのように纏い、火の粉には雨のように打たれても、平然としている。

 人ではなく……魔王だ。人は、炎の中に立つことなどできない。

 これは死ぬ前に見るという幻だろうか。

 その幻は、ティティを肩に抱えて、ウィトスを片腕で持ち上げると、家の出口に向かった。床を踏みしめるように歩く振動で、全身が揺れる。

――魔王様、やっぱり怒ってら……




 扉が蹴破られた。表では、ドラゴンが村人たちを相手に抵抗を続けていた。

 ほとんど火に包まれた家から出てきた男の姿に、村人たちは息を呑む。

 誰もが、彼が魔王だと気づいた。ティティを迎えにきたドラゴンを見た時と同じように、あるいはティティが彼に相見えたときのように、その圧倒的な存在感から察知する。

「魔王様!」

 ドラゴンは、メイストに寄り添った。健闘を称えて、頷いて見せる。ドラゴンがいなければ、ティティたちはもっと早くに殺されていただろう。

「ま、魔王だ……!」

「逃げろ!殺される!」

 斧を捨て、矢を捨て、村人たちは散り散りに逃げていく。あるいはその場で、腰が抜ける。

 だが、カバイェは違った。怒りに肩を揺らし、メイストに向けて矢を向けた。

「この村の飢饉の呪いを解け!」

「呪いじゃねーよ。飢饉を呼んでるのはお前らだ」

「なんだとっ……」

「五年も自然に飢饉が続くわけねーだろ。お前らの恨みや憎悪が、草木の代わりに地に根付いたんだ」

「何を言っている!これはお前がやったんだ!」

「言ってもわかんねえか」

「お前さえ死ねば!」

 カバイェが矢を放った。

 メイストを守るように、ティティの家から炎が伸びてくる。炎は鞭のようにしなり、矢を一瞬で燃やしてしまった。カバイェは続けざまに数本の矢を放つが、同じように矢が消し炭となるだけだった。

「……わかった。見せてやるよ」

 メイストは、腰の杖を抜いた。杖を握り、天に向かって掲げる。何かに気づいたドラゴンが、メイストの傍を離れていく。

 背後で燃え盛る炎が、ぶわりと空中に広がった。

 火はメイストの杖に集まっていった。杖を茎とした花束のようだった。

 その花弁の先端から、炎が弧を描き、次々と地中に突き刺さっていく。すべての火が流れるように移動し、潜っていった。

 辺りに暗闇が戻った。

 ティティの家を燃やしていた火は、微塵も残っていない。火が、そっくりそのまま移動してしまった。辺りは、耳が痛いほどの静寂に満ちる。

「これが飢饉の正体だ」

 メイストは杖を振り上げると、先端を地面に向かって突き刺した。

 カバイェの足元が揺れた。沸騰する鍋の湯のように、ゴトゴトと地面が揺れる。痩せた土が割れていき……炎と共に、どす黒い塊が現れた。炎が、地中から何かを引きずり出したのだ。

「うわあああ!」

「くれてやる」

 炎が、カバイェたちに向かって黒い塊を投げる。それは、心臓のようにドクドクと波打っていた。小さな小屋ぐらいはあろうかというサイズだった。メイストは近くに落ちていたの木の破片に、自分の杖から火を移した。

「そいつにこの火を移して、一週間、絶やさずに燃やせ。煙の方向に気をつけろよ。大量に吸い込むと気が狂うぞ」

 村人たちは、戦意を完全に喪失していた。カバイェも力なく弓を下ろしている。

 魔王を相手にすることの愚かさがわかったのか、飢饉の正体を知り呆然としているのか……それは、メイストの知るところではなかった。

 メイストはティティを担ぎなおした。「この娘は俺の物だ。俺の物に傷をつける奴は……次こそ容赦しねえからな」




 ティティが目を開けると、そこは見慣れた天蓋だった。

 横を向けば、メイストがスツールに腰掛けて本を読んでいた。ティティが起きたことに気づいて、ベッドを覗き込む。

「起きたか」

「……魔王様……助けてくださったのだが」

「お前は俺の生贄だからな。お前、けっこう煙吸ったろ。薬草の効果が出るまで、もう少し寝てろ」

「父ちゃんは……?」

「生きてるよ。今、別の部屋で休んでる。モニクの羽には万能薬の効能があるんだ。今回のことの罰に千切って煎じてやった」

「ひ、ひでえ!元はといえばおらが悪いのに!」

「大丈夫だよ。また生えてくんだ。髪の毛より早えーよ。完全に伸びるまで痛ぇけどな」

 はいそうですかと頷けるような内容ではなかったが、これ以上反論もできなかった。いつも無表情のメイストだが、言葉の端々に棘がある。

「……魔王様、怒ってるだか?」

「どっちかというと怒ってる」

「……村に帰っちゃなんねえって何度も言ってたのは、こうなることがわかってたからですか?」

 メイストはティティを見つめたまま、しばし沈黙した。その瞳が悲しく曇るのを、隠すつもりはないようだった。

 ティティはそれで、メイストはきっと、この話を一生ティティにするつもりはなかったのだろうと察した。ティティだけではなく……誰にも話すつもりはなかったのだろうと。

 彼は俯いて、自分の組んだ足に視線を落とした。

「……魔王になって、最初に生贄でやってきた娘が、お前みたいに城から逃げた。つうか、帰りたいって頼まれたから……好きにしろって言ったんだ」

 結果はわかるだろ、と溜息交じりにもらす。「助けられなかった。裏切ったって追いかけ回されて……家族共々、村の奴らの手にかかった。……それ以来、生贄が村に戻ることだけはないように、約束させた。それ以外のことなら、できる限りのことをしてやったよ」

 ティティは、城の片隅にあった場所のことを思い出した。この城にあって、日当たりの良い場所。城の中でも、外の世界に近いところ。

 あの大きな石は生贄の墓標だったのではないか。

「魔王様は……なしてそんなに、生贄に優しくしてくれるだ?」

「こんなでも、俺は魔王だ。それを止めることはできねえ。人間が人間であることをやめられないように。魔王は職業じゃなくて、生物の名前だからな」

「でも、引退してぇっていつも……」

「叶わぬ夢ってやつだ。いいだろ、したいことを口にするのぐらい。できるかできないかじゃねえんだ」

 メイストは、おもむろに立ち上がったかと思うと、仰向けにベッドに倒れこんだ。その重みでベッドが弾んだ。

「……子供の頃、俺が何になりたかったか予想してみろ」

「え?」

「勇者」

「えええ……」

「笑うとこだろ。魔王ジョーク」

「さっきの話を聞いてからじゃ、笑えねえです……」

「勇者にはなれない。でも、魔王として勇者に倒されることはできる。そうなりゃ、俺も伝説だ」

 メイストは、魔王をやりたくてやっているわけじゃない。その言葉の意味が、重くティティに圧し掛かった。

 メイストが目を閉じる。そういえば、今は何時なのだろうか。普段なら、彼はもう寝ている時間のはずだ。

「お前の村の話だが……ここは魔王に支配された土地だ。人間の暗い感情は、すぐ大地に根を張る。それが俺の力になるからな。そうすると、人には住みづらく、魔物にとって都合の良い空気になる。俺が飢饉に気づかなかったのは、それが原因。あと、飢饉が俺のせいだっていうのも、あながち間違いじゃない」

「……それは違ぇますだ」

「なんで」

「だって、魔王様は自分の土地を見回って……暮らしやすい土地を作ってけだ。そこを悪くしたのは、村の人間たちのせいだべ」

 うん、そうだ。と、ティティは力強く頷いた。「だから……ありがとうごぜえました。魔王様。魔王様は、最高の魔王様だべ」

 メイストは目を閉じたままだった。ティティの目には、その表情が少し和らいだように見えたが、気のせいだったかもしれない。

「そーか。じゃあ、俺の支配地を腐らせた代償に、生贄を食っちまうか」

「ぶへぇ!お、おら、食ったってうまくねえど!」

「お前、食う食う言ってるけど、他の意味もあるの知ってるか?つうか、最近はそっちの意味の生贄のほうが多いはず……」

「へあ?」

「いや……まあ。お前のアホ面見たら眠くなってきたし、寝るわ」

 ふぁ、と大きな欠伸をしたかと思うと。

 三つ数える間もなく、メイストは寝息を立て始めた。

 ティティは室内の時計を見た。天蓋から顔を出さなければわからないので、メイストを起こさないようにそっと動く。

 既に、日付が変わろうとしていた。

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