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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<1>生贄の娘・ユースティティア
5/20

 城での労働は、ティティにとっては苦ではなかった。カナシ村での厳しい生活に比べればここは天国だったし、元々ティティは働くことが好きだった。

「お前、よく働くな」

 リビングの床を掃除したいと言ったので、メイストは窓辺に座り込んでいた。今日は「呪術と魔術」という本を読んでいる。

 先日ティティが城壁の外へ出てしまったことについて、あれ以来メイストは一言も触れなかった。だから、ティティも特に蒸し返さずにいた。

「すげぇプレッシャー。俺、お前の村の飢饉解決できるかわかんねえのに。あー、今すぐ引退して草むしりだけして生きていきたい」

「しっかりしてくだせぇ。おらの村の未来は、魔王様にかかってるんだ。足、あげてけれ」

 メイストの足があった場所に、ブラシを差し入れる。

「お前は農家に嫁がせたら、歓迎されそうだな。働きもんだし」

「へっ?おらぁ、村がよくなったら帰りてえだが……父ちゃんもいるし」

 カバイェが医者に見せてくれても、父もすぐには働けないだろう。できるなら、父の側にいたい。

「よくなる引き換えに生贄がいるんだから、帰るのはダメ」

「……?でも、おらが出て行きてぇと言えば、城から出してけるんですよね?」

「お前はカナシ村の犠牲だから、村には戻れない」

 メイストはハッキリと断言した。

 この否定は、彼の魔王らしさを感じさせる強いものだった。ティティは沈黙してしまう。城を出ていいのだから、村にも帰れると思っていたのだ。

 そういえば、メイストが生贄の話を聞かせてくれたとき、生まれた土地に戻った者の話はなかった。遠い国だとか、海の向こうだとかに、みんな行ってしまったのだ。

 天気の良い午後なのに、なぜか体が冷えていくのがわかった。それは、城壁の外に出てしまったとき、メイストと対面したあの緊張感と似ていた。掃除で汗をかいた体が、風に吹かれているからではない――。

 メイストはバタンと本を閉じた。その音に、ティティはハッと顔を上げる。

「出かけるわ」

「ど、どこへ?」

「見回り」

「見回り?」首をかしげるティティの横を、立ち上がったメイストが通り過ぎた。

「自分が支配してる土地の見回りに、たまに出かけてる。つっても、空から眺めるだけだけど」

 空から。

 ティティの脳裏に、ドラゴンに連れられてこの城にやってきた日のことが蘇った。その目の輝きに、メイストは肩をすくめる。

「……一緒に行くか?」

「いいのがっ?」

「散歩に連れていってもらいたい犬みたいな顔してる」

 羽織るものを持ってくるように告げると、ティティは見えない尻尾を振りながらリビングを出ていった。




「おおう……」

 城の尖塔に上がり、いざ飛び立とうとしたところでメイストはティティを抱きかかえた。小さな子供を抱っこするような格好だ。

「これ、こっぱずかしいですだ」

「じゃあ、俺の背中に乗るか?落ちるかもしんねーけど」

「それじゃ、魔王様がそりみてぇだ」いくらなんでも、格好悪い。

「なら行くぞ」

 メイストは尖塔から飛び上がった。城がぐんぐん遠ざかっていく。

「うわあ~!すげえ~!」

 暗緑色の森が、まるで絨毯のように見える高さまで斜めに飛ぶ。それからは、雲と同じ高さを保ち平行に飛び続けた。

「魔王様も飛べるんだなぁ」

「当然だろ。魔王なんだから。魔族ができることの大体のことはできる」

「へええ~!」

 森が途切れて、鮮やかな緑の平地が見えた。丸い形をした家が点在している。

「あっ、あれ、村だか?」

「そう」

「あそこ、畑だな?何育ててるだ?」

「あそこは緑豆の特産地だな。何十年だか前に生贄貰ったけど、正直生贄よりも豆持ってこいって思ったわ」

「ははは!そんなにうめぇだか」

「土とか水が違うんだろうな。城の庭で育てても、あんなにうまくならねーもん」

「あ、あっちは?あれは家だか?」

 大きな長方形の建物に、いくつも煙突が生えている。ティティが今までの人生で見てきた建物のなかで、いちばん大きな建物だ。

「あれは家じゃなくて工場」

「こーじょー」

「知らねえの?人がいっぱい働いてて、色々作ってる。あそこは縫製工場。大人数で布作ってる」

「へええ~!うわぁ、家がいっぺえだ!」

 工場を越えると、たくさんの家が見えてきた。人々が行き交っているのが、この高さからでも見える。

「元々養蚕が盛んな集落だった。けど、山間の地形のせいで、暮らすには不便だったんだよな。町に行くにも来るにも、崖から落ちて死んじまう奴が多くて。だから、俺が一発地震起こして、地形変えた。当時は人間に恨まれたけど。魔王会議からの給付金はすごくて、モニクは大喜びだったけどな。でも、あの平地になったとこに工場ができて、町ができた」

「す、すげえ……そんなこともできるだか」

「めちゃくちゃ疲れたよ。三日ぐらい体起こせねぇし。俺、やっぱ魔王向いてねーわ」

 メイストは支配地のあちこちを回った。何かを見つけるたびに声をあげるティティに、いろんな話を聞かせてくれた。争いが絶えなかった町と町のあいだに広大な川を作り行き来ができないようにした話。人里を襲うモンスターたちのために、支配地内の囚人や凶悪犯を一箇所に集めて、好きなだけいじめられるようにした話。

「王様よりもよっぽど立派だべ……魔王様」

「魔王様だからな」

「ほんとだ!王様が入ってる!」

「けど、お前の村の飢饉はなぁ……どうしたもんか。五年も気づかなくて悪かったよ」

 きちんと別れも告げられなかった父のことが、ふと蘇る。

 ティティはきょろきょろと辺りを見渡した。今、どこを飛んでいるのかさっぱりわからない。彼女はこの地方に、逃げるようにしてやってきた。村から出たこともほとんどない。カナシ村がどの方向にあるのかもわからない。

「な、なあ魔王様。カナシ村は見回りしねえだか?」

 ティティの問いかけに、メイストは無言のままだった。

「魔王さ……」

「降りるぞ。掴まってろ」

「へぇっ?」

 メイストは急に反転すると、降下をはじめた。

「あわわわわ」

 渡り鳥のようなゆったりとした速度で飛んでいたのに、突然矢のようなスピードで地上に向かう。

 ティティは「あっ」と声を上げた。

 メイストの向かう方向に、モンスターから逃げる少女がいたのだ。木の根に躓き、襲われる寸前だ。




「へへへ……もう逃げられねえぞ……」

「いやあーっ!」

 少女を襲っていたのは、豚鼻で、隆々とした筋肉を持つモンスターだ。少女は森の中でうずくまっている彼らを、人だと勘違いして声をかけてしまったのだ。

 モンスターは仲間を呼び、三匹で少女を囲んでいた。

 少女は、先ほど転んだときに、足をひねってしまっていた。もう走れない。こんなに人里に近い森に、モンスターが現れるなんて思ってもいなかったのだ。子供の頃から、何度も遊んでいた森だったから。

 忍び寄る三匹のモンスター。恐ろしくて、それ以上見ていられなくなった少女は目を閉じる。胸元で指を組んで、せめてすぐに死ねるようにと祈った。

「オイ」

「ああっ?」

 その直後、悲鳴が上がった。

 少女のものではない。三匹の豚たちの、情けない声だった。




「何してる」

「ひいい!メ、メイスト様!」

 突然現れた魔王の姿に、モンスターたちは竦みあがり、少女に伸ばしかけていた手を上に上げた。

「俺の許可なく人を襲うなっつったよな?」

「す、すみません……」

「けけけど、俺たちにも魔族のプライドっつうもんがありますし……」

「そうっすよ!森の中に少女が一人。これを襲わないなんて、魔族が廃る……」

 メイストは顔の高さに掲げた拳を、きゅっとひねった。その手には台座だけのあの杖が握られていた。

 ドン、という音がして、モンスターたちの向こうにあった木の上半分がむしり取られたように無くなっていた。三本分。それぞれが燃え尽きたマッチ棒のように焦げて、煙を上げていた。

「……ここの支配者は誰だ?」

「メイスト様でぇす!」

 三人の声が綺麗に揃う。次の一撃は、木ではないだろう。

その返事を聞いて、メイストは溜息をついた。

「……俺の城に来い。こんな細い子供よりも、もっと食いでがある肉を食わせてやる」

「え……マジっすか。行ってもいいんすか?」

「ま、魔王様の食いモンだなんて、きっとすげえいい肉なんでしょうね」

「ああ。脂ものってるし、新鮮な肉だぞ」

 鶏肉を出す気だ――ティティにはわかった。けれど、メイストの飼っている鶏はおいしいから、きっとモンスターも気に入るんじゃないかと思った。

「この女は俺が預かる」

「へいっ!もちろんです!」

 メイストは小麦の入った袋でも担ぐように、少女を肩に乗せた。メイストの顔と角を見て怯える少女に、ティティは小声で「大丈夫だよ」と伝えた。




 少女を村まで送り届ける頃には、もう夕方になっていた。

「あの子、大した怪我でねくてよかったですね!」

「ああ。しかし疲れたわ」

 二人は今、朽ち果てた寺院の屋根にいる。山の上にあって、今日飛んできた土地がよく見渡せた。ティティと少女を抱いて飛んだせいで、疲れたメイストが休みたいと言ったのだ。

「……魔王様は、なして魔王やってるだ?」

 ティティの問いかけに、メイストは目を丸くした。そんなことを聞かれるとは思ってもみなかった、というような顔だ。 

「魔王様、人間にうんと優しいべ。魔王って言ったら、人間を苦しめて、わっはっはって喜ぶ奴のことだべ?んだども、魔王様は正反対だべ」

 メイストは西の山に沈み行く夕日を、じっと眺めていた。赤い毛が夕日に染まり、まるで火のように輝いている。

「……ここはオレが支配してる……つまりオレのものだ。自分のものを、こういうやりかたで支配するのが好きな魔王っつーだけだ。人間はうまい食い物を作るし、学ぶべき点は多い。殺しちまうのは勿体ねえ。それだけだ」

「ふーん……?んだっすか」

「腹の立つ顔しやがって」

「へへへ」

 ティティにはもうわかっていた。

 この魔王様は、人間のことが好きなのだ。でも、それを言うことはできないのだ。魔王様だから。

「そもそもな、勇者がグータラしてんのがダメなんだ。どうなってんだ、最近の勇者は」

「勇者様がなしたのです?」

「勇者は魔王から生贄を取り戻して、人の手に平和を取り戻すのが仕事だ。でも、百年ぐらいろくな奴が現れねえ。そんな勇者に、俺の土地はやれねぇ。だから俺は魔王をやってんだ」

「引退してえのに?」

「そうだ。引退して、畑を耕して暮らしたい」

「ぶへへっ!」

「お前な……ここに置いてくぞ」

「ああっ、そ、それだけはご堪忍を!」

 立ち上がったメイストに、ティティがすがりついた。モニクへのお仕置きを見ていると、本当にここに置いていきかねない。

 メイストはひょいとティティを抱きかかえると、崩れた寺院から突き出た柱を、一歩一歩進んでいく。

「……魔王様は、魔王様をやめられねえですだ。だって、魔王様に支配されて暮らす人間たちは、みんな幸せそうだったべ」

「……そりゃ、ありがとよ」

 そのときのティティの言葉に、メイストが何を思ったか――。

 漆黒のマントに夕日がひとたび遮られ……彼の顔に過ぎった陰りをティティが目にすることはできなかった。

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