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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<1>生贄の娘・ユースティティア
4/20

――父ちゃん。最初に考えてたのとは違ったが、おらはなんとか生きてるよ。

「はああっ!」

 箒を剣のように振りかぶり、棚の後ろから出てきたムカデを叩き潰す。今の一振りで、二匹を同時にしとめる神業だ。

 ムカデに気を取られている彼女の隙をつき、足元をゴキブリがすり抜けようとする。だが、ティティはそちらを一切見ることなく、足でそれを踏み潰した。

「このティティが来たからには、好きにはさせねえど!」

 城中の窓を開け放ち、カーテンを、カーペットを干す。かび臭い家具類も全部庭に出して、天日干しを行った。

「いやあ、助かっただ、ドラゴン!寝てるとこ、悪かったな。おら一人じゃさすがに大変で」

「ううん。いいよ。僕っては偉いからね」

 ティティを城に連れてきたドラゴンの名は、「ドラゴン」と言った。彼自身、自分の名前を知らず、まわりの呼び名がそのまま定着したらしい。

「いい天気だなぁ。魔王様のお城って言うがら、毎日、来た時みてえに暗雲が立ち込めてるのかと思っただよ」

「あの日は天気悪かったからね。雨が降らなくてよかったよ」

 こうして日の光を浴びるのも、ティティには久しぶりのことだ。こうしていると、自分が生贄であることなど忘れてしまいそうになる。

 しかし、目の前の、庭園を耕したと思われる畑には、魔王メイストがいた。腹の部分に無数の爪がついたような亀型のモンスターの背に乗り、片手で手綱を操っている。モンスターの爪は畑を耕し、メイストは空いた手で「呪いの研究」という本を読んでいた。

――かっこええ……。

 畑の隅では、モニクが自分の頭ぐらいのサイズのトマトにかじりついている。

 城のあちこちには多種多様なモンスターが下働きとして勤めていたし、この異様な光景は、確かに自分が魔王の城にいることを示している。




 とっくにわかっていたが、メイストは魔王らしくなかった。とはいえ、人間が魔王について知っていることといえば、古の伝説や人の間で語り継がれてきたことだけで、すべて「――らしい」という想像でしかない。

 実際彼らに会ってきた人間は、生きて戻ってきた勇者やそのパーティー……そして、生贄の娘たちだ。

 人を食い、手を動かすだけで恐ろしい破壊魔法を使う。目は爛々と光り、怒らせた者の命はない……。

 しかしメイストはパスタを食う。手を動かしたかと思いきや鋭い爪でチーズを削って振りかけた。目の前のパスタに瞳を輝かせ、嬉しそうにフォークに巻きつけている。

 それを頬張ろうとしたところで、上からコショウの塊が降ってきた。

 メイストの頭上で遊んでいたモニクがこぼしたのだ。

「そっ……それぐらいスパイスが効いてたほうが、おいしいんじゃないっ?」

 メイストは猛烈に怒った。どれぐらい怒っていたかというと、モニクのお尻を五回も叩き、たまねぎと一緒に吊るしてしまった。

「食事中に遊ぶ奴と、食べ物を粗末にする奴は許さん」

「ごめんなさあい!もうしないからぁ~!」

 夕食前になってようやく、モニクは解放された。ティティがメイストを怖いと思ったのは、この時が初めてだった。




「お前、何でそこに突っ立ってんだ?」

 唯一慣れなかったのは、夜の時間だった。

 彼女が何度訴えても、メイストはティティにベッドを譲った。生贄なのだから牢屋に転がされても当然だというのに、頑なに自分がソファに横たわった。

「今日こそはベッドで寝てけれ!このままじゃ風邪ひいちまうし、疲れも取れねぇです」

「母ちゃんかよ」

「魔王様がベッドで寝るまで、おらはあきらめねえ!」

 メイストは非常に眠そうだ。九時には眠る、健康的な魔王だ。だからティティは、この時間にしつこく言えば眠気に負けて言うことを聞いてくれるだろうと踏んでいた。

「……俺がベッドで寝ればいいんだな?」

「んだ!」

「わかった」

 メイストはティティの首根っこを掴むと、ベッドに向かって放り投げた。

「ぎゃうんっ!」

「じゃーお前もベッドで寝ろ」

「へぇっ?」

「お前がソファで寝ねぇなら何でもいーわもう。おやすみ」

 ティティがいるベッドに、メイストはどっかりと横たわり、三秒で寝息を立てはじめた。

――そういうことじゃねえっ!

 ティティは生贄で、当然、嫁入り前の娘だ。魔王とは言え、メイストは男。同じベッドで寝ることなど、できるわけがない。転がりながらベッドから逃げようとして――天蓋の間にあった見えない膜に遮られる。

「ふべぉっ!」

 ティティが膜に飛び込んだ勢いと同じだけの力で、ベッドに押し戻される。

 メイストの顔が、間近にあった。うつ伏せで、少し開いた口から小さないびきが聞こえる。こんなにじっくりとメイストの顔を見たのは初めてだ。

――こうしてると、結構めんこいなってうわあああ!ここから出してけれえ!

 いつの間にか、まじまじと顔を近づけていたことに気づいて、赤面する。ティティの脱走防止の膜と、ベッドの弾力のあいだでボールのように転がりながら、長い夜を過ごした。




「城の中は好きに歩き回ってもいい」と、メイストに言われていた。

 ただし、最上階の王の間は階段が崩れていて危険なので近づかないようにと。言われていたのはそれだけだ。

――生贄って、こんなに自由なものなんだべが?

 一週間も城で過ごしながらあちこちの部屋を掃除してまわると、ここは元々メイストの城ではないのだということがわかった。

 古びた肖像画や、年代物の宝飾も見つけた。埃だらけの書物の発行年月日は、三百年も昔だった。おそらく、ここを統括していた王の城だったのだろう。

 今の年寄りの祖父母の世代が子供の頃には、このあたりは既にメイストに支配されていたと聞いている。

――魔王様、一体おいくつなんだべ。

 そんなある日。この日は城の西にある古びた書斎を掃除していた。ここは普段使われていないのか、誰かが最近足を踏み入れた気配もなかった。

しばらくそこに籠もって埃を落としていたが……。

「ティティ?どこにいる?」

 御飯の時間になって、メイストの近くにいないと、彼は必ず呼びにきた。

 生理的にモンスターたちが睡眠をとっている朝食を除き、ご飯は揃って食べはじめる、のが彼の信条らしい。

 なのだが……。

――まだ飯の時間には早えな?

 まだ、先ほどに午後のお茶の時間をとったばかりだ。

「魔王様!ティティはここにおりますだ!」

 足場にしていた箱を降りて、顔を出す。

「なんとしました?」

「気配が消えたから。階段でも転げ落ちて死んだかと思ってよ。誰もお前のこと見てねえっていうし」

「し、死んでねえです。気配……そったらこともわかるのですか」

「うん。でも、このあたりは物が多すぎて少し感じづらいな。俺もあまり調べてないから、変な魔具があるかもしんねえし。あまり入り浸るなよ」

「わかりますた」

 せば、と掃除を再開しはじめると、メイストは再び戻っていった。

――心配してくれたんだべが……。

 心の中に浮かんだ心配という単語とメイストの視線とは差異があるように感じた。そんなに感情的なものではない。

――こういうの、何て言うんだべ。ええと……。

 視界にヒュッと黒い影がよぎった。

「ネズミ!!」

 ティティは箒を取り出して、ひとまずネズミ退治に注力することとなった。



 夕方になって、城で飼っているニワトリを小屋へ戻しにいく。これは、いつもティティの役割だった。

「よーし、これで全部だな?いち、にー、さん、しぃ、ご、ろく、なな……」

 二十五まで数えたところで、ティティは首をかしげた。

――一匹足りねえ。

 いつもすんなり数が合うのに、どう数えても二十六にならない。

 また一から数えてみる。しかし、やっぱり一匹足りない。

「ああっ!」

 気がつけば、柵が一カ所壊れていた。そこに真新しい羽が引っかかっている。

 魔王の鶏に何かあってはいけないと、ティティはすぐに柵を越えてニワトリを探した。飛び出す前に、柵の前に木箱を置いて、中のニワトリが出られないようにする。

 幸いにも、ニワトリは逃げ出したばかりだった。追いかけはじめてすぐに、白くて丸いお尻を振るニワトリの姿が視界に入ってきた。

「待てえ!鶏肉にしちまうぞ!」

 ティティの呼びかけもむなしく、ニワトリはどんどん先に進んでいく。

 畑の横の林を通り抜け、朽ち果てた城壁の近くまで来た。城壁にはびっしりと蔦が絡み、緑色の壁のようになっている。

――……ん?なんだべ、ここ。

 林を抜けたところで、夕日が差し込む場所があった。足下の草はよく乾いている。門扉と地続きの敷地内は、どこもだいたい鬱蒼と茂った背の高い雑草と、多すぎる葉で枝が曲がった木々で日が当たらず、地面が湿っている。その中のわずかに開けたところに、畑や家畜小屋が点在しているのだ。

 でも、ここは日当たりがよかった。しかも、どうも草刈りが行われたような形跡がある。こんな場所があるなんて、ティティは知らなかった。

 ただ、ここには……何もなかった。思わせぶりな広場があるだけだ。

 めぼしいものといえば、大きな石がひとつ置かれているだけ。

 城の庭には枯れた噴水広場があるが、あそこは石畳で、元々きちんとした庭園だったのだろうと思う。でもここはあとから誰かが手を入れたように感じた。それも、最近に。

 大きな石はずいぶんほったらかしにされてはいるけど、周りの草は手入れのあとがある。庭の一部ではなさそうだ。

――誰かって……そりゃあ。

 メイスト以外に、誰がいるのだろうか。

 ばさばさという草を踏む音に、ティティはハッと意識を取り戻す。

「待てえ、ニワトリ!」

 白いお尻が、城壁の中に消えていった。

 運が悪いことに、柵と同じように城壁にも崩れている場所があったのだ。あそこを出て行かれたら、あるのは広い森だ。逃げ込まれたら今度こそニワトリを捕まえるのは困難になる。

 ティティもまた、城壁の中に潜り込んだ。屈めば、手を突かずとも通り抜けられるぐらいの大きな穴が開いていた。

 少し走ったところで、ニワトリが水たまりに捕まっていた。喉が渇いていたのか、水をつついている。

「捕まえた――どっ!」

 そこを背後から一気にかっさらった。

 暴れるニワトリを羽交い締めにして、ようやく息をつく。

「危ねえ危ねえ、これで魔王様に怒られずに済……」

 目の前に、メイストが立っていた。

 さっきまでは、いなかった。顔を上げた途端、夕暮れの森のなかに黒い影が現れた。

 メイストの視線に、ティティは背中に這うものを感じた。

 怒っているわけではない。だが、メイスト本人も気づいていないのだろう、威圧感があった。それは、彼が気づかないからこそ、あっさりとティティを押しつぶしてしまうほどのものだった。

「……ニワトリが逃げ出したのか」

「……は、い」

 ティティの怯えに、メイストは気づいていないらしい。

 その長い指を、ティティに伸ばす。ティティは身動きも取れずに、長い腕とマントが作る影に覆われることしかできなかった。

「城の外は危ねぇから……勝手に外に出るなよ。モンスターとか、出るから」

 メイストは歯切れ悪く言うと、ティティの腕からニワトリを取った。

 そして、ティティの背中にそっと手を添えて、城壁の内側に戻るように促した。

 メイストから、先ほどの緊迫した威圧感は失われていた。ティティのよく知る、メイストの横顔だった。


 城壁をくぐり抜けて、二人で城の敷地に戻る。

 二人で歩いていると、何かが崩れるような音がした。振り向くと、先ほど通り抜けた城壁の穴が、崩れて塞がっていた。

――そうか……魔王様にいつも見られているようなあれは……。


 監視、だった。

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