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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<1>生贄の娘・ユースティティア
3/20

 窓から差し込む光で、ティティは目を覚ました。

 立派な天蓋と、滑らかなシーツ。あたたかくて、気持ちいい。なんていい夢だろう。

「はあああ!夢じゃねえ!」

 ティティは飛び起きた。いつの間にか、眠ってしまっていたのだ。

「……あれ?ま、魔王様……?」

 真っ先に窓際のソファを確認すると、そこにメイストの姿はなかった。代わりに、ティティが昨日メイストの体にかけたブランケットが、綺麗な正方形に畳まれていた。

 ベッドの脇を見ると、スツールに女物の服が用意されていた。

 動きやすそうな服だが、上質なものであることはわかる。これを着ろ、ということなのだろう。


 服を着て、城の中を歩く。長く続く廊下には、朝日が差し込んでいたが、そのおかげで舞っている埃がきらきらと照らし出されていた。

 ティティ以外の気配はなかった。誰もいないというよりは、まだ皆が寝静まっているように感じた。昨夜、召使と思しきモンスターに連れられ、寝室にやってきた道筋を逆にたどる。

 すると途中で、ティティの鼻先をくすぐる良い匂いがあった。

 扉のないその部屋には、メイストが立っている。

 竈に大きな鍋がある。煮えていて、香りの正体はそれのようだ。メイストはまな板の上でナイフを動かしていたが、視線に気づいて振り返る。

「起きたか。やっぱり、人間は朝が早えな」

「早えって言っても、もう八時ですだ」

「魔族はみんな、この時間は寝てんだ。起きてるのは俺ぐらいだよ。……食うか?」

 メイストは剥いたばかりのリンゴをティティに差し出した。

「まだ、飯の準備できてねえから。それでも食って待ってろ」

「え……魔王様が朝食の用意をしてるだか?」

「だって、誰もやんねーし。寝てるし、人手……人じゃねえけど、不足してるし」

「お……おら、手伝いますだ」

「お。お前料理できるのか。頼むわ。これ切るの変わってくれ」

 ナイフを渡されて、ティティは台所に立つ。リンゴと砂糖があった。ジャムでも作るところなのだろうか。

 メイストは鍋に直接指を突っ込んで、味見をしていた。

「塩が足りねえな」

 その様子を見て、ティティはようやく……この魔王が、自分を食べるつもりは無いのでは、という考えに至った。

 ただ客を歓迎しているだけで、メイストに生贄をどうこうしようという意思はないように思える。

 だが、それではダメだ。カナシ村の飢饉の呪いが解けない。ティティが生贄としての運命を全うしなければ、父の病も治らない。

「ま、魔王様は……おらのことは食わねえのですかっ?」

「へ?」

「に、人間の娘は……お好みでねえのですか!」

 ナイフを持ったまま詰め寄るティティの剣幕に、メイストは一歩下がった。

「おらのこと、食ってくだせえ!」

「……いや、俺、朝はパンって決めてるから……」





 朝食のあとは、リビングに招かれた。紅茶を飲みながらメイストは話してくれた。

「五年に一度の生贄。人間の世界で五年もあれば、いろんな事件や災害が起きる。人間はそれを魔王のせいってことにして、生贄をよこす。それで、災厄を逃れようとする。もちろん、中には本当に魔王の呪いもあるだろう。けど、俺は生まれてこの方、そういう風に力を使ったことはない」

「な、なしてですか?」

「そんなことよりも、平和を保ってやれば人間は魔王に反抗心を持たねえもん。弱らせたっていいことねーよ。呪うってのも、疲れるし。支配するのも大変なんだよ」

「で、でも、この城にやってきた生贄たちは……どうなすったんです?魔王の城にいって、戻った者はねえと……」

「五年前に来たやつは、ここから離れた町に新しく仕事を用意してやった。その前は、海の向こうで夢だった教師になったよ。でも、大体は結婚して家庭を持って……信じられねえ、って顔してるな」

「だって……」

 悲しい運命にあるはずの生贄が、そんなに幸せな生活を送っているだなんて。ティティの想像には無かった。

 メイストは少し待つように言うと、棚からなにか箱を持ってきた。

 写真である。身分の高そうな老齢の女性が、子供たちと写っている。

 メイストはティティに写真の裏を見せた。親愛なるメイストへ、と書かれている。

「遠い異国の王室に嫁いだ生贄だ。昨日話した、小麦がだめだったっていうのはこの女。もう八十になるばーさんだけど。娘息子が十人に、孫が六十五人だと。……捏造だって言われちまったらどうしようもねえけど。それからこっちは……」

 箱のなかには、他にも写真や、たくさんの手紙が入っていた。そのどれもが女性からのものだ。

 何よりも、それらを大切に保管しているメイストの人柄は、ティティにも伝わった。

「……本当に……みんな、幸せに暮らしてるだか……」

「……どんな理由であれ、生贄たちは村や町の犠牲になって選ばれてきた。だからせめて、その後の人生は面倒見てやろうと思ってよ」

 角の付け根をぼりぼりとかきながら、「つうわけで」とメイストはソファに座りなおした。「お前も、出て行きたいなら出ていっていいよ。当面の金も用意してやるし」

「ええっ!」

「ただし、ひとつだけ条件がある」

「こ、困るだ!魔王様の生贄にしてもらわねえと、おらの村が助からねえ!」

 城を出る前提で話を進められそうになったティティは、慌てて口を挟んだ。

「さっきも言ったろ?お前の村……カナシ村だっけ。そこに呪いをかけた覚えはない。あれはただの不幸だ。お前を食ったところで、飢饉が消えてなくなるわけじゃない」

「そんなあ……」

「もう!メイスト様ってば生贄に甘すぎ~!」

 ヒュン、と音を立てて、モニクが飛んできた。

「それじゃダメなんだってば!ただでさえ魔王業の怠慢で予算減らされてるのに、また逃がしてどうするのよっ!」

 モニクはメイストの両方の耳にまとわりつく。

「よ、予算……?」

「魔王会議から給付されるお金のこと!人間から巻き上げないメイスト様には、これが唯一の収入なのよ!」

「魔王会議……」なんて恐ろしい響きだろうか。

「よその人に家計の話をするな」

「だってぇ!メイスト様、ほいほい生贄逃がすんだもの!お金ないのに仕事のない魔族は雇用するし、お城を直すお金もないじゃないっ」

「飯が食えれば、それで十分」

「それだって家庭菜園で取れたやつ!魔王が野菜育ててどうするのよぉ~!人間にやらせなさいよぉ~!」

 モニクはメイストの頭に取りすがる。髪の毛がめちゃくちゃに引っ張られているが、涼しい顔で紅茶を飲んでいたが……。

 モニクのすすり泣きが聞こえて、手を止める。

「魔王様は誰よりも実力があるのに、人間に舐められてるのが悔しいのっ……今年はようやくそれらしい生贄がきたのに、もう逃がしちゃうなんて……」

「モニク……」

「出世したら、イケメン執事雇ってくれるっていったのに……」

「本音はそれかよ。俺、出世より引退したい。引退して、畑耕して暮らす」

「魔王様のばかばかぁ!そんなのできないでしょ!」

 モニクはキッとティティを睨みつけた。

「アンタは逃がさないからね!しっかりと生贄を勤めあげてもらうわ!」

「おらは出ていくなんて行ってねえだ!い、生贄って何をすればいいだか?」

「……何するの?魔王様」

「……こき使ったり、閉じ込めたりして、かわいそうな目に遭わせて勇者をおびき寄せればいんだっけ?食ってたのは大昔の話だな。今は処女の生命力より鶏肉のほうが栄養あるって」

「せ、せば……おら、精一杯働きます!んだがら何卒、村のことをよろしく頼みますだ!」

 ティティは立ち上がると、深く頭を下げた。「おねげぇします!」

「っていっても、あの飢饉は俺のせいじゃねえし……」

「……そうだ!」

 モニクがティティの髪の毛を引っ張り、顔を上げさせる。

「この子は生贄らしくうんと働かせて、魔王様は村の飢饉を解決する!そしたら、人間たちはメイスト様の力を思い知るわ!魔王業として十分な仕事だし、何より次からの生贄は安泰よ!人間たちが喜んで若い生娘を送り込んでくるわっ!」

 モニクの言葉に、メイストは何かを考えこんでいた。それは初めて見る彼の真剣な表情で、彼が魔王である威厳に――

「それじゃ、俺が悪者じゃん……」

 ……満ちていなかった。

「これで決まりよ!今年の給付金はきっと大増額よ~!」

 モニクの高笑いが、城中に響いた……。

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