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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<4>最終決戦
19/20

 その衝撃の中、目を開けていられたのはメイストだけだった。ドラゴンの背から人影がふたつ、降りてくる。

「魔王様!大丈夫だがっ!」

「おいしっかりしろぉ、メイスト!」

 ティティとロニーだった。二人は傷だらけのメイストの脇の下に入り、彼を運び出す。

「お前ら……ロニー、やられたかと思ってた」

「その話はあとだ!とにかく逃げるぞ!」

「させるか!」

 メイストの耳元を、チッと何かがかすめていった。

 ティティたちが振り向くと、オーウェンはピストルを握っていた。最近人同士の争いで使われている、最新式の武器だ。

 それを見て、驚きではなく怒りを露わにしたのはロニーだった。

「おま……そんなものを使うなんて、勇者として恥ずかしくねえのかよ!そいつは人殺しの道具だ!協会は、勇者にピストルの使用は認めてねえはずだぞ!」

「まったく……お主は殺したはずだったのだが……生きていたか」

 オーウェンは質問に答えず、大げさな動作で悲しみを表現した。銃口は以前としてこちらを向いたままだ。ロニーが片手で剣を構えてくれてはいるが、防ぎきることはできないだろう。

「な、なんとする……?」

「やばい……俺もう魔力残ってない」

「さすがの俺も、ピストルは相手にできねえぞ」

「モニク!」

 焦る三人の耳に聞こえたのは、ドラゴンの声だった。だから、ドラゴンのほうを向いた。

 状況を把握するよりも先に、聞こえてきたのはオーウェンの怒号だった。

「何をする!離れろ!」

「あんたなんか〈真の勇者〉じゃないわ!ただの悪党よ!悪党に失礼なくらい悪党よ!」

 モニクはオーウェンのピストルにしがみついていた。体を掴まれそうになるとひらりと舞い上がり、首元の鎧に張り付く。さすがのオーウェンも、自身に銃口は向けられない。魔導士たちは、指示がなければ攻撃どころか身動きひとつ取れないようだった。

「忌々しい妖精め!」

 モニクは再び離れようとしたが、足を掴まれ、捕らえられる。そして、地面に容赦なく叩きつけられた。彼女はボールのように弾んだあと、糸が切れた操り人形のようにぴくりとも動かなかった。

 その光景を見たティティの顔色が変わった。

「ロニーさん、魔王様を頼む!」

「ティティちゃん!」

 モップを構えて、一目散にモニクの元へと向かった。オーウェンは鎧に傷がないかを悠長に確認しているところだった。モニクの前に立ちはだかったティティを見て、目を細める。

「これはこれは……ユースティティア殿。モップひとつで、大変勇敢なことであるな」

「オーウェン様……立派なお人だと思ってたのに……」

 ティティは苦渋と哀れみを込めた目でオーウェンを見つめた。再び、自分はだまされてしまった。

 そして、こんなに強い人が、卑怯な手で魔王を倒そうとしたことが悲しかった。メイストは、彼になら城を明け渡す覚悟でいたのに。

「……うう」

 ティティの足元で、モニクは生きていた。傷だらけになりながらも、上半身を起こす。

「あんたなんか……〈真の勇者〉でもなんでもないわ……」

 モニクの言葉に、オーウェンの顔色が変わる。それを見たティティは、モニクを抱いて走り出した。オーウェンの銃口が、ティティの背を追う。

 それに気づいたメイストが、火を飛ばした。まさに火矢が、オーウェンのピストルを弾いた。

「お前……魔力残ってねえんじゃなかったのかよ!あれ?自分で立ってる?」

「話はあとだ……逃げるんだろ」

「お、おう!」

「追え!奴らを逃がすな!」

 オーウェンの命令で、魔導士たちが再び攻撃を開始しようとしていた。

 ドラゴンは魔王たちとティティたちの近くを低く飛ぶ。背中にまわる時間はなかった。砂をすくうように、それぞれがうまくドラゴンの手に収まった。

 魔導士の魔法を交わし、ドラゴンは夜の闇へと消える。ここから逃げれば、魔王は城を追われたということになり、勇者の勝利になってしまう。

 だから、逃げるわけにはいかなかった。

 オーウェンにも、それはわかっていた。ドラゴンが消えた先には、城から突き出た大きな広間があった。



 五人が逃げてきたのは、王の間だった。

 メイストは玉座にもたれかかった。すさまじい胸の傷に、いちばんうろたえていたのはティティだった。

「魔王様!しっかりしてけろ!」

「大丈夫だ……もう塞がってる。それよりロニーとモニクが……」

「俺は平気だ!ピンピンしてる!」

 メイストは、気だるげにロニーに視線をやった。ロニーの鎧はボロボロだ。それでも元気だということは、この防具が彼を守ったということだ。

「お前……ずいぶんいい防具持ってたんだな。俺もこいつ食らう前に欲しかったわ」

「――そうだ!そのことなんだけどよ!違うんだ!」

 ロニーはティティの肩をつかんだ。「これはティティちゃんがやったんだ!なんだか知らねえが、ティティちゃんが応急手当てしてくれたところから、みるみるうちに傷が治って……」

 メイストの視線に、ティティはぶんぶんと首を振った。

 ロニーは、ルミノクスへの移動中、ずっとそう言っているのだ。だが、ティティには何ひとつ身に覚えがない。そんな才能があったなら、今頃どこかで魔導士でもやっている頃合だ。

「おっ、おらそったらことできねえだ!鎧の力でねえのか?」

「この鎧にそんな力ねえって!絶対ティティちゃんだ!」

 言い合う二人に割り込むようにして、メイストがちょいちょいと指先を動かす。

「……ティティ、ちょっと来い」

「へ……へえっ」

 素直にメイストに近寄った途端――おもむろに抱きしめられた。

「うええええっ!」

 ティティは、メイストの抱擁に赤面した。背中のモップと同じぐらいピンと硬直したティティを、メイストは無言で抱きしめ続ける。そして、周りにいたモニクたち三人も、突然の抱擁には何の反応も示さず、メイストの傷に見入っていた。

 みるみるうちに肉が盛り上がり、メイストの肌色が戻ってくる。足に開いていた傷も、頭部の傷も、嘘のように回復していく。

 その頃には、ティティも異変に気づいていた。自分を抱きしめているメイストに、精力が戻ってきているのを、肌で感じたからだ。

 あっという間に、メイストは全快した。服は元には戻っていない。それも、ロニーと同じだろう。

「こ、これって……」

 ロニーが、ティティを見つめて息を呑んだ。呆けるティティに、モニクがぺたりと触れる。

 すると、触れたところから擦り傷が消えていく。あっという間に、モニクの元の美しい肌が戻ってきた。

 さすがにティティも、それを見ると自分のおかしな能力を認めざるを得なかった。

「変だと思ったのよ……あんなに強く叩きつけられたのに、ティティに抱き上げられた途端、痛みが消えたから」

「俺もだ!ティティちゃんが最初、デリランテの城で俺に触れてくれたところで、意識が戻ったんだ。俺、本当はあのときもう死んでたんじゃないかと……それが、ティティちゃんの力で生き返ったんじゃないか?」

「モニク……ティティを見てみろ」

「見てるわよっ!でも、相変わらず見えないわ!レベルも、ステータスも……」

「じゃあ、それって……」ロニーが乾いた唇を舐める。「ティティちゃん……〈天恵の姫〉ってことなんじゃ……」

 全員の視線が、ティティに注がれた。

――おらが、〈天恵の姫〉?

 静まり返った王の間に、靴底が床を叩く音が響いた。

「ならば、ユースティティア殿を手に入れれば、この世は私のものということだな」

 オーウェンが現れた。魔導士たちの魔法で王の間に入ってきたのだろう。

「ははは……やはりこの幸運。世界が私に味方をしているとしか思えぬ。この〈真の勇者〉たる私にな」

「あんたは〈真の勇者〉じゃないわ!あたし、さっき見たもの!」

 声をあげたのは、モニクだった。「あんたには魔法がかかってる!靄の向こうに、うっすらとだけどレベルが見えた……魔導士たちの力で、レベルを見えなくしているわね!」

 モニクの言葉で、メイストがオーウェンの背後に並んでいた魔導士たちを攻撃した。三本の炎の軌跡が、あっという間に魔導士たちを飲み込む。メイストがこれまで劣勢だったのは、オーウェンから受けた最初の一撃が効いていたからだ。あれさえ無くなれば、もはやオーウェンや魔導士など敵ではない。

 魔導士たちは黒い塊となり、倒れこんでしまった。

「くっ……卑怯者め!」

「おもしれー冗談だな」

「やーい、へっぽこ勇者!」

 その言葉に、オーウェンがモニクを睨みつけた。魔導士を失い、魔法の解けたオーウェンは、モニクの眼前に全てがさらされていた。

「やっぱり!レベル99!リミットオーバーしてない!こいつは〈真の勇者〉じゃないわ!」

「フン……俺も見る目がねえな。ありがとな、モニク」

 メイストは杖を握りながら、オーウェンに向かって歩いていった。

 オーウェンは無表情でピストルを構える。メイストの耳に、肩に、銃弾が当たった。だが、メイストは歩みを止めなかった。

「俺は……あんたが〈真の勇者〉であろうとなかろうと、立派な勇者だと思ったから、この地をくれてやろうと思っていた。だが……見込み違いだったようだ」

 メイストの太腿に弾が当たると、ピストルはそれ以上弾を放つことはなかった。オーウェンは顔を歪めてピストルを捨てると、剣を構えた。

「それでいいんだよ、勇者様。勝負しようじゃねえか。俺はこの地を支配し続けてやる。あんたは勇者なんだから、ここに平和を取り戻すため、その剣で戦えばいい。それで俺が負けるなら……あんたが正しいってことだ」

「小癪な……!愚劣で汚らわしい魔王よ!」

 オーウェンはメイスト目掛けて、剣を振り下ろした。杖で剣を受け止めたメイストの肩や太腿から、血が吹き出る。

「〈真の勇者〉じゃなくても、さすがレベルが高いと骨があるな」

「フン!予定とは違ったが……お主を倒す結果に変わりはない。このオーウェンの前に、灰燼と化すがよい!」

 メイストとオーウェンの打ち合いは続く。オーウェンも、メイストに炎を呼ぶ時間を与えない。口だけの男ではないのだ。レベルを99まで上げた実力は、この男の中に確かにある。

「魔王様、頑張ってー!」

「負けないでー!」

「いけー!メイストー!」

 ティティもまた、声をかけようとした。

 しかしそのとき、彼女の足元には黒い手が近づいていた。悪意の塊のような蠢きは、彼女にそっと忍びよった。

「ひぎゃあああっ!」

 突然足首を掴まれて、ティティは尻餅をついた。大きな毛虫のような黒い塊には、かろうじてアクセサリーが見える。それを見たティティは、先ほどメイストに燃やされた魔導士だと気づいた。

「ティティ!」

 塊はティティを連れ去った。彼らは、既に人としての形を成していなかった。炎で焼かれた布や、肉の匂いに、吐き気がこみ上げる。ティティの不思議な能力で、再生も始まっている。でも、慌てて片付けられたおもちゃのような、ひどい姿だった。

「魔王様、ティティが!」

「早くその娘を寄越せ!」

 魔導士たちは、ティティをオーウェンに差し出す。オーウェンは乱暴にティティを立ち上がらせ、羽交い絞めにした。

 オーウェンは魔導士たちを蹴り飛ばすと、ティティから引き剥がした。もう少しティティに触れていれば回復できたかもしれないのに、彼らはそこで力尽きてしまった。

「ひでぇ……仲間じゃねえのか!」

「仲間?こいつらは私の手駒だ。役に立たなければ、死ぬのは当然のことであろう」

 オーウェンは、ティティの体を更に強く抱きしめた。耳元にかかる息や、鼻をつく香水の強い匂い。体内に侵入されているような錯覚に、ティティは震える。

「ひいっ……」

「おお……確かに体に力が漲ってくる。お主のような子供が〈天恵の姫〉とはな……。私の趣味ではないが、硬い蕾を開くのもまた一興。ゆっくりと可愛がってやろうではないか」

 おっと、とオーウェンが剣を掲げた。メイストが一歩を踏み出したからだ。「動くなよ、メイスト殿。後ろの奴らもだ。彼女の顔に傷はつけたくあるまい?」

「あんた、魔王のほうが向いてるよ」

 オーウェンはためらいもなく、メイストを斬りつけた。胸元に、大きな横向きの傷がついた。人間なら、即死してもおかしくない一撃だった。

「魔王様あああっ!」

「ごほっ……だ、大丈夫……多分」

 メイストは胸元を押さえて、痰でも吐くように血を吐いた。

「なんという生命力……恐ろしい生き物よ」

 オーウェンは前傾姿勢のメイストの背中に、切っ先を落とす。倒れたオーウェンに、剣を突き刺す。

「ああ!魔王様!しっかりしてけれ!」

 ロニーたちが歯噛みして、手を出せない状況に苛立っていた。オーウェンは、そのままでも強いのだ。メイストと渡り合えるほどの能力がある。動けば返り討ちにあうだけでなく、ティティを傷つけるだけだ。

 メイストは、全身が傷つきながらも立ち上がろうとしていた。杖を支えに、体を起こす。血で濡れていないところのほうが少ないぐらい、ぼろぼろだ。

 その姿を見たティティの目に、大粒の涙が浮かんだ。

 メイストに触れようと必死に手を伸ばすが、オーウェンがそれを許さない。

「おらのことなら気にしねえで!早くこいつを倒してけれ!魔王様なら一発だ!」

 メイストの顔を、血が流れていった。体中のあちこちから、血が滴り落ちる。メイストが全て崩れて無くなってしまいそうな勢いで。

「……お前は……俺の……生贄だから……」

「え……?」

「お前のことは……俺が……、決める……」

 オーウェンが剣を振り上げる。メイストの首元に、切っ先の形の影が落ちる。

 ティティが、握っていたモップの柄で、オーウェンの顎を突いた。オーウェンの体から力が抜けた隙に脱出し、メイストに抱きついた。

「魔王様!魔王様あ!」

「この小娘……!」

「ティティ……どけっ!」

 メイストはそう唸ったが、ティティに触れていた時間は短く、動けるような状態までは回復できなかった。

 ティティはモップを構える。そして、オーウェンに向かっていった。ロニーたちがティティを守ろうと動き出すが、間に合わない。

「やめろ、ティティ!」

「うおあああああああああ!」

 ティティのモップが、オーウェンの鎧を突いた。

 オーウェンの剣は、ティティには届いていなかった。それはモップの柄と剣という間合いの差ではなく――ティティのほうがオーウェンのスピードを上回っていたからだった。

 オーウェンは、動かなかった。

 ティティの一撃を食らい、そこで時が止まってしまったかのように、剣を振り上げた姿勢のまま。彼がこのままルミノクスを支配すれば、このようなポーズの石像が各地に建てられたであろう。

 彼の剣は、いつまで経っても振り下ろされなかった。

 その時には、周囲の者たちもオーウェンの様子がおかしいことに気づいていた。

見る間に彼は口から泡を吹き、剣を振り上げた体勢のまま、倒れこんだ。剣は跳ね、床を回転しながら滑っていく。その音が、やけに大きく響いた。

「お、オーウェン……様……?」

 ティティはそっと、彼の体をモップでつつく。触れば回復してしまうかもしれないからだ。だが、まさか、このまま動かなかったら……。

 オーウェンの反応はない。白目剥いたまま、何も見ていない。

「うわあああ!死んじまっただか、勇者様あああ!」

「いや……大丈夫……、生きてる」

 メイストが、オーウェンの体を確かめた。うつ伏せになっていた体をひっくり返すと、自慢の下ろしたての鎧は、見事にひび割れていた。凄まじく酷い状態だが、とりあえず生きてはいる。

「ティティ……お前……何をした?」

「はい?」

「お前は……何なんだ?」

 目に涙を溜めながら、ティティはメイストを見つめた。

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