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その衝撃の中、目を開けていられたのはメイストだけだった。ドラゴンの背から人影がふたつ、降りてくる。
「魔王様!大丈夫だがっ!」
「おいしっかりしろぉ、メイスト!」
ティティとロニーだった。二人は傷だらけのメイストの脇の下に入り、彼を運び出す。
「お前ら……ロニー、やられたかと思ってた」
「その話はあとだ!とにかく逃げるぞ!」
「させるか!」
メイストの耳元を、チッと何かがかすめていった。
ティティたちが振り向くと、オーウェンはピストルを握っていた。最近人同士の争いで使われている、最新式の武器だ。
それを見て、驚きではなく怒りを露わにしたのはロニーだった。
「おま……そんなものを使うなんて、勇者として恥ずかしくねえのかよ!そいつは人殺しの道具だ!協会は、勇者にピストルの使用は認めてねえはずだぞ!」
「まったく……お主は殺したはずだったのだが……生きていたか」
オーウェンは質問に答えず、大げさな動作で悲しみを表現した。銃口は以前としてこちらを向いたままだ。ロニーが片手で剣を構えてくれてはいるが、防ぎきることはできないだろう。
「な、なんとする……?」
「やばい……俺もう魔力残ってない」
「さすがの俺も、ピストルは相手にできねえぞ」
「モニク!」
焦る三人の耳に聞こえたのは、ドラゴンの声だった。だから、ドラゴンのほうを向いた。
状況を把握するよりも先に、聞こえてきたのはオーウェンの怒号だった。
「何をする!離れろ!」
「あんたなんか〈真の勇者〉じゃないわ!ただの悪党よ!悪党に失礼なくらい悪党よ!」
モニクはオーウェンのピストルにしがみついていた。体を掴まれそうになるとひらりと舞い上がり、首元の鎧に張り付く。さすがのオーウェンも、自身に銃口は向けられない。魔導士たちは、指示がなければ攻撃どころか身動きひとつ取れないようだった。
「忌々しい妖精め!」
モニクは再び離れようとしたが、足を掴まれ、捕らえられる。そして、地面に容赦なく叩きつけられた。彼女はボールのように弾んだあと、糸が切れた操り人形のようにぴくりとも動かなかった。
その光景を見たティティの顔色が変わった。
「ロニーさん、魔王様を頼む!」
「ティティちゃん!」
モップを構えて、一目散にモニクの元へと向かった。オーウェンは鎧に傷がないかを悠長に確認しているところだった。モニクの前に立ちはだかったティティを見て、目を細める。
「これはこれは……ユースティティア殿。モップひとつで、大変勇敢なことであるな」
「オーウェン様……立派なお人だと思ってたのに……」
ティティは苦渋と哀れみを込めた目でオーウェンを見つめた。再び、自分はだまされてしまった。
そして、こんなに強い人が、卑怯な手で魔王を倒そうとしたことが悲しかった。メイストは、彼になら城を明け渡す覚悟でいたのに。
「……うう」
ティティの足元で、モニクは生きていた。傷だらけになりながらも、上半身を起こす。
「あんたなんか……〈真の勇者〉でもなんでもないわ……」
モニクの言葉に、オーウェンの顔色が変わる。それを見たティティは、モニクを抱いて走り出した。オーウェンの銃口が、ティティの背を追う。
それに気づいたメイストが、火を飛ばした。まさに火矢が、オーウェンのピストルを弾いた。
「お前……魔力残ってねえんじゃなかったのかよ!あれ?自分で立ってる?」
「話はあとだ……逃げるんだろ」
「お、おう!」
「追え!奴らを逃がすな!」
オーウェンの命令で、魔導士たちが再び攻撃を開始しようとしていた。
ドラゴンは魔王たちとティティたちの近くを低く飛ぶ。背中にまわる時間はなかった。砂をすくうように、それぞれがうまくドラゴンの手に収まった。
魔導士の魔法を交わし、ドラゴンは夜の闇へと消える。ここから逃げれば、魔王は城を追われたということになり、勇者の勝利になってしまう。
だから、逃げるわけにはいかなかった。
オーウェンにも、それはわかっていた。ドラゴンが消えた先には、城から突き出た大きな広間があった。
五人が逃げてきたのは、王の間だった。
メイストは玉座にもたれかかった。すさまじい胸の傷に、いちばんうろたえていたのはティティだった。
「魔王様!しっかりしてけろ!」
「大丈夫だ……もう塞がってる。それよりロニーとモニクが……」
「俺は平気だ!ピンピンしてる!」
メイストは、気だるげにロニーに視線をやった。ロニーの鎧はボロボロだ。それでも元気だということは、この防具が彼を守ったということだ。
「お前……ずいぶんいい防具持ってたんだな。俺もこいつ食らう前に欲しかったわ」
「――そうだ!そのことなんだけどよ!違うんだ!」
ロニーはティティの肩をつかんだ。「これはティティちゃんがやったんだ!なんだか知らねえが、ティティちゃんが応急手当てしてくれたところから、みるみるうちに傷が治って……」
メイストの視線に、ティティはぶんぶんと首を振った。
ロニーは、ルミノクスへの移動中、ずっとそう言っているのだ。だが、ティティには何ひとつ身に覚えがない。そんな才能があったなら、今頃どこかで魔導士でもやっている頃合だ。
「おっ、おらそったらことできねえだ!鎧の力でねえのか?」
「この鎧にそんな力ねえって!絶対ティティちゃんだ!」
言い合う二人に割り込むようにして、メイストがちょいちょいと指先を動かす。
「……ティティ、ちょっと来い」
「へ……へえっ」
素直にメイストに近寄った途端――おもむろに抱きしめられた。
「うええええっ!」
ティティは、メイストの抱擁に赤面した。背中のモップと同じぐらいピンと硬直したティティを、メイストは無言で抱きしめ続ける。そして、周りにいたモニクたち三人も、突然の抱擁には何の反応も示さず、メイストの傷に見入っていた。
みるみるうちに肉が盛り上がり、メイストの肌色が戻ってくる。足に開いていた傷も、頭部の傷も、嘘のように回復していく。
その頃には、ティティも異変に気づいていた。自分を抱きしめているメイストに、精力が戻ってきているのを、肌で感じたからだ。
あっという間に、メイストは全快した。服は元には戻っていない。それも、ロニーと同じだろう。
「こ、これって……」
ロニーが、ティティを見つめて息を呑んだ。呆けるティティに、モニクがぺたりと触れる。
すると、触れたところから擦り傷が消えていく。あっという間に、モニクの元の美しい肌が戻ってきた。
さすがにティティも、それを見ると自分のおかしな能力を認めざるを得なかった。
「変だと思ったのよ……あんなに強く叩きつけられたのに、ティティに抱き上げられた途端、痛みが消えたから」
「俺もだ!ティティちゃんが最初、デリランテの城で俺に触れてくれたところで、意識が戻ったんだ。俺、本当はあのときもう死んでたんじゃないかと……それが、ティティちゃんの力で生き返ったんじゃないか?」
「モニク……ティティを見てみろ」
「見てるわよっ!でも、相変わらず見えないわ!レベルも、ステータスも……」
「じゃあ、それって……」ロニーが乾いた唇を舐める。「ティティちゃん……〈天恵の姫〉ってことなんじゃ……」
全員の視線が、ティティに注がれた。
――おらが、〈天恵の姫〉?
静まり返った王の間に、靴底が床を叩く音が響いた。
「ならば、ユースティティア殿を手に入れれば、この世は私のものということだな」
オーウェンが現れた。魔導士たちの魔法で王の間に入ってきたのだろう。
「ははは……やはりこの幸運。世界が私に味方をしているとしか思えぬ。この〈真の勇者〉たる私にな」
「あんたは〈真の勇者〉じゃないわ!あたし、さっき見たもの!」
声をあげたのは、モニクだった。「あんたには魔法がかかってる!靄の向こうに、うっすらとだけどレベルが見えた……魔導士たちの力で、レベルを見えなくしているわね!」
モニクの言葉で、メイストがオーウェンの背後に並んでいた魔導士たちを攻撃した。三本の炎の軌跡が、あっという間に魔導士たちを飲み込む。メイストがこれまで劣勢だったのは、オーウェンから受けた最初の一撃が効いていたからだ。あれさえ無くなれば、もはやオーウェンや魔導士など敵ではない。
魔導士たちは黒い塊となり、倒れこんでしまった。
「くっ……卑怯者め!」
「おもしれー冗談だな」
「やーい、へっぽこ勇者!」
その言葉に、オーウェンがモニクを睨みつけた。魔導士を失い、魔法の解けたオーウェンは、モニクの眼前に全てがさらされていた。
「やっぱり!レベル99!リミットオーバーしてない!こいつは〈真の勇者〉じゃないわ!」
「フン……俺も見る目がねえな。ありがとな、モニク」
メイストは杖を握りながら、オーウェンに向かって歩いていった。
オーウェンは無表情でピストルを構える。メイストの耳に、肩に、銃弾が当たった。だが、メイストは歩みを止めなかった。
「俺は……あんたが〈真の勇者〉であろうとなかろうと、立派な勇者だと思ったから、この地をくれてやろうと思っていた。だが……見込み違いだったようだ」
メイストの太腿に弾が当たると、ピストルはそれ以上弾を放つことはなかった。オーウェンは顔を歪めてピストルを捨てると、剣を構えた。
「それでいいんだよ、勇者様。勝負しようじゃねえか。俺はこの地を支配し続けてやる。あんたは勇者なんだから、ここに平和を取り戻すため、その剣で戦えばいい。それで俺が負けるなら……あんたが正しいってことだ」
「小癪な……!愚劣で汚らわしい魔王よ!」
オーウェンはメイスト目掛けて、剣を振り下ろした。杖で剣を受け止めたメイストの肩や太腿から、血が吹き出る。
「〈真の勇者〉じゃなくても、さすがレベルが高いと骨があるな」
「フン!予定とは違ったが……お主を倒す結果に変わりはない。このオーウェンの前に、灰燼と化すがよい!」
メイストとオーウェンの打ち合いは続く。オーウェンも、メイストに炎を呼ぶ時間を与えない。口だけの男ではないのだ。レベルを99まで上げた実力は、この男の中に確かにある。
「魔王様、頑張ってー!」
「負けないでー!」
「いけー!メイストー!」
ティティもまた、声をかけようとした。
しかしそのとき、彼女の足元には黒い手が近づいていた。悪意の塊のような蠢きは、彼女にそっと忍びよった。
「ひぎゃあああっ!」
突然足首を掴まれて、ティティは尻餅をついた。大きな毛虫のような黒い塊には、かろうじてアクセサリーが見える。それを見たティティは、先ほどメイストに燃やされた魔導士だと気づいた。
「ティティ!」
塊はティティを連れ去った。彼らは、既に人としての形を成していなかった。炎で焼かれた布や、肉の匂いに、吐き気がこみ上げる。ティティの不思議な能力で、再生も始まっている。でも、慌てて片付けられたおもちゃのような、ひどい姿だった。
「魔王様、ティティが!」
「早くその娘を寄越せ!」
魔導士たちは、ティティをオーウェンに差し出す。オーウェンは乱暴にティティを立ち上がらせ、羽交い絞めにした。
オーウェンは魔導士たちを蹴り飛ばすと、ティティから引き剥がした。もう少しティティに触れていれば回復できたかもしれないのに、彼らはそこで力尽きてしまった。
「ひでぇ……仲間じゃねえのか!」
「仲間?こいつらは私の手駒だ。役に立たなければ、死ぬのは当然のことであろう」
オーウェンは、ティティの体を更に強く抱きしめた。耳元にかかる息や、鼻をつく香水の強い匂い。体内に侵入されているような錯覚に、ティティは震える。
「ひいっ……」
「おお……確かに体に力が漲ってくる。お主のような子供が〈天恵の姫〉とはな……。私の趣味ではないが、硬い蕾を開くのもまた一興。ゆっくりと可愛がってやろうではないか」
おっと、とオーウェンが剣を掲げた。メイストが一歩を踏み出したからだ。「動くなよ、メイスト殿。後ろの奴らもだ。彼女の顔に傷はつけたくあるまい?」
「あんた、魔王のほうが向いてるよ」
オーウェンはためらいもなく、メイストを斬りつけた。胸元に、大きな横向きの傷がついた。人間なら、即死してもおかしくない一撃だった。
「魔王様あああっ!」
「ごほっ……だ、大丈夫……多分」
メイストは胸元を押さえて、痰でも吐くように血を吐いた。
「なんという生命力……恐ろしい生き物よ」
オーウェンは前傾姿勢のメイストの背中に、切っ先を落とす。倒れたオーウェンに、剣を突き刺す。
「ああ!魔王様!しっかりしてけれ!」
ロニーたちが歯噛みして、手を出せない状況に苛立っていた。オーウェンは、そのままでも強いのだ。メイストと渡り合えるほどの能力がある。動けば返り討ちにあうだけでなく、ティティを傷つけるだけだ。
メイストは、全身が傷つきながらも立ち上がろうとしていた。杖を支えに、体を起こす。血で濡れていないところのほうが少ないぐらい、ぼろぼろだ。
その姿を見たティティの目に、大粒の涙が浮かんだ。
メイストに触れようと必死に手を伸ばすが、オーウェンがそれを許さない。
「おらのことなら気にしねえで!早くこいつを倒してけれ!魔王様なら一発だ!」
メイストの顔を、血が流れていった。体中のあちこちから、血が滴り落ちる。メイストが全て崩れて無くなってしまいそうな勢いで。
「……お前は……俺の……生贄だから……」
「え……?」
「お前のことは……俺が……、決める……」
オーウェンが剣を振り上げる。メイストの首元に、切っ先の形の影が落ちる。
ティティが、握っていたモップの柄で、オーウェンの顎を突いた。オーウェンの体から力が抜けた隙に脱出し、メイストに抱きついた。
「魔王様!魔王様あ!」
「この小娘……!」
「ティティ……どけっ!」
メイストはそう唸ったが、ティティに触れていた時間は短く、動けるような状態までは回復できなかった。
ティティはモップを構える。そして、オーウェンに向かっていった。ロニーたちがティティを守ろうと動き出すが、間に合わない。
「やめろ、ティティ!」
「うおあああああああああ!」
ティティのモップが、オーウェンの鎧を突いた。
オーウェンの剣は、ティティには届いていなかった。それはモップの柄と剣という間合いの差ではなく――ティティのほうがオーウェンのスピードを上回っていたからだった。
オーウェンは、動かなかった。
ティティの一撃を食らい、そこで時が止まってしまったかのように、剣を振り上げた姿勢のまま。彼がこのままルミノクスを支配すれば、このようなポーズの石像が各地に建てられたであろう。
彼の剣は、いつまで経っても振り下ろされなかった。
その時には、周囲の者たちもオーウェンの様子がおかしいことに気づいていた。
見る間に彼は口から泡を吹き、剣を振り上げた体勢のまま、倒れこんだ。剣は跳ね、床を回転しながら滑っていく。その音が、やけに大きく響いた。
「お、オーウェン……様……?」
ティティはそっと、彼の体をモップでつつく。触れば回復してしまうかもしれないからだ。だが、まさか、このまま動かなかったら……。
オーウェンの反応はない。白目剥いたまま、何も見ていない。
「うわあああ!死んじまっただか、勇者様あああ!」
「いや……大丈夫……、生きてる」
メイストが、オーウェンの体を確かめた。うつ伏せになっていた体をひっくり返すと、自慢の下ろしたての鎧は、見事にひび割れていた。凄まじく酷い状態だが、とりあえず生きてはいる。
「ティティ……お前……何をした?」
「はい?」
「お前は……何なんだ?」
目に涙を溜めながら、ティティはメイストを見つめた。




