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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<4>最終決戦
18/20

 昔はこの城に一人だった。魔族が増え始めたきっかけを、メイストは覚えている。森をさまよっていたノーバディを雇い入れた時だ。そこから、どこで話を聞きつけたのか、勇者によって住処を追われた魔族もやってきた。見回り先で人間の子供に攻撃を受けていたところを助けたのが、畑を耕す亀に似た魔族だ。ずいぶん古い魔族らしく、図鑑を引いても彼の名前はわからなかった。

 いつからかドラゴンやモニクもやってきて、生贄がいる時期には城はずいぶん賑やかになった。彼らは程度の違いはあれど、それぞれの生贄によく懐いて、別れ際には悲しんでいた。突然連絡もなしにやってくるロニーの存在は、二人の寂しさをずいぶん紛らわせてくれた。

 いちばん長く生贄暮らしをすることになったのが、ティティだ。どんなにこの城の生活に馴染んだ生贄でも、人間の世界に戻ればこの城には帰ってこなかった。

 だが、彼女は戻ってきた。

 それは、メイストの長い魔王生活のなかで、初めての経験だった。

「ん……」

 玄関ホールの階段に座り込んでいたメイストは、寒さで目を開けた。

 いつの間にか、眠ってしまっていた。久々の眠りだった。〈裂け目〉で当てられたエネルギーの効果が切れたのだろう。オーウェンが自分を倒しやすくなるだろうし、何も困ったことはない。

 ただ、足元を暖めてくれていた火岸石の効果がほとんど切れていた。魔族たちを全て城から出したので、客が来ても呼んでくれる者がいない。だからメイスト自らここで待っていたのだが、寒さに耐えかねて暖をとっていた。

――火を支配する魔王だってのに、情けねえな。こんなことまで出来やしねえ。

 メイストは立ち上がると、火岸石を口に放り込んだ。これで、もう少しは体が温まるはずだ。バリバリと噛み砕きながら、容器を片付けた。

 ロニーはまだ来ていなかった。朝には城に来るように約束したはずなのに、現れる気配がない。

 そして、それ以上の問題がティティの不在だった。

 このルミノクス地方に平和がもたらされるには、メイストがオーウェンに倒されるだけでなく、生贄の娘を助けさせる必要がある。それがこの世界の約束なのだ。それを破れば、何が起こるかわからない。

 昨夜のうちに遣い魔を飛ばして、ティティたちがヒロイの都方面に向かったことはわかっていた。おおかた、デリランテにオーウェンを倒してもらおうとでもしたのだろう。だからといって、メイストがむやみにヒロイの都に乗り込むことはできない。デリランテとの衝突は避けられないからだ。

 どうしたものか。メイストは案山子のように立ち尽くした。

 そして、ある閃きが浮かんだ。

――よし。最終決戦を延期してもらう。

 メイストは至って真面目に、その結論に達した。

 こんな事態が起きた時のために、事前に打ち合わせをしておいたのだ。勇者との意思の疎通が図れているからこそ、互いに融通が利く。それに、彼だって卑怯者の烙印は押されたくないはずだ。

 しかし、ティティの不在の言い訳を思いつく前に、オーウェンたちがやってきてしまった。

 オーウェンはずいぶん張り切った鎧装具を身にまとっていた。最終決戦なのだから気合は入って当然だが、〈真の勇者〉というには低俗な趣味に思えた。後ろにいる魔導士たちは先日会ったときと変わらない格好だ。

「やあ、メイスト殿。準備は整っておいでか」

「ああ、そのことなんだけどな……」逡巡の後、メイストは正直に話すことにした。「ティティに逃げられちまった。最終決戦が嫌になったらしい」

「逃げられた……ははは!それは誠に痛快であるな」

 オーウェンは肩についた雪を払いながら、メイストに近づいてくる。

「うん。それに、証人のロニーも来てねえし……悪いんだが、日を改めてもらえねえか。ここまでにかかった旅の金とか、パーティーの雇用費については弁償するから……」

 ぱっ、とメイストの視界に朱が散った。

 オーウェンの笑顔に、返り血がかかる。判で押したような笑顔は、瞬きひとつしない。

 剣ではない。オーウェンは抜いていない。この感覚は、魔法だ。

 メイストは胸に手をやった。綺麗に風穴が空いていた。魔導士たちが全員、同じ高さに手を掲げていた。動きまで模写のようにそっくりだ。

「……おや。今の一撃で倒れぬとは……さすが魔王と言うべきか」

 メイストはたまらずに膝をついた。即死に至る傷ではないが、このまま回復魔法をかけなければ、何時間ともたないだろう。

「不意打ちの上に、魔法かよ……その剣は飾りか?」

「これは今日の最終決戦のために仕立てたもの。魔王の血で汚すには勿体無い一品だ」

 言葉さえ聞かなければ、どこに出しても立派な勇者となり得る佇まいだった。その笑顔は爽やかで、自分のしていることに何の罪悪も感じていない。

「どうすんだよ……生贄も助けずに……俺を倒すのも魔導士って……どうなるかわかってんのか……」

 この後どうするべきか。時間稼ぎに話を振り、メイストは必死に考えた。

「約束、のことか。そんなものを恐れて何になる。私は人間を支配するのだからな。人の心がどう動こうと、さしたる問題ではない。私は〈真の勇者〉となる男だぞ?」

 魔導士たちから追撃があった。今度は準備動作を確認できたので、避けることはできた。

 だが、頭ではわかっていても、攻撃を受けた体がついてこない。マントと足に攻撃が当たる。そこには人の身長ほどの氷柱が刺さっていた。先ほどの攻撃もこれだったのだろう。まもなく、じゅう、と音を立てて水に戻る。

 杖を抜き、火を呼ぶ。吸い込まれるように集まってきた火の欠片は、竜巻のようにメイストの手中に収まる。

 それをオーウェンたちに向けて、煙幕代わりに放つ。

「逃げたぞ!奴を追うのだ!」

 上階へ逃げようとするメイストを、魔導士たちが追った。階段目掛けて、二撃目を放った。石階段はクッキーのように簡単に崩れていく。一人ぐらい巻き込めているといいのだがと思いながら、メイストは上を目指した。

 魔導士たちが見えなくなった頃を見計らって、二階の窓から中庭へと飛び立った。オーウェンたちの目から逃れられるところまで、逃げる魔力は残っていない。せいぜい城の敷地で逃げ回れる程度だろう。

 中庭の噴水の影に隠れ、傷を塞ぐ程度に治癒する。全部回復させてしまえば、オーウェンたちと戦う魔力まで使い切ってしまうからだ。

 噴水の淵にもたれかかり、メイストは空を仰いだ。

 あの様子では、ロニーはオーウェンにやられてしまったのかもしれない。だが、曲がりなりにも三十年も勇者をやっていたのだから、そう簡単には死なないはずだ。

 ティティが脱走したことも、今となっては幸運だった。おそらく、あのままメイストが倒されていたら、ティティも悲惨なことになっていたはずだ。

――なんてザマだ。

 ヒロイの都の惨状に、ティティの存在に、自分が魔王であることに、目が曇っていた。おかげで人ひとりの本性も見抜けなかった。

 オーウェンになら倒されてもいいと判断したのは状況からで、本心は――。

 ティティの首輪が、不意に脳裏に蘇る。

 空には星が瞬いていた。静かで、何の気配もない。城にメイスト以外の生物がいないのは、何百年ぶりだろうか。自分はいつのまに、彼らがいることに慣れていたのだろうか。

 見上げていた星空が、メイストに向かって落ちてきた。それは大きく平らな氷の塊だった。

 メイストは杖を掲げるが、火が間に合わない。パイ生地みたいに平らになってしまう前に、氷を砕くのが精一杯だった。

 火の勢いも弱く、氷は溶けなかった。氷塊は凶器となり、メイストの体に降り注いだ。

「おやおや……こんなところにいたのか。メイスト殿」

 散歩でも楽しむように、空を優雅に漂うオーウェンがいた。

 氷の山の中心が盛り上がり、メイストが立ち上がった。頭かどこかを斬ったのか、顔から下が、血の雨を浴びたように濡れていた。

「戦おうではないか。魔王殿の実力を見せてくれたまえ」

「お前が戦ってねーだろ。魔導士任せじゃねえか」

「彼らは私の忠実な僕。手足である。すなわち、彼らの力は私の力だ」

「勇者が僕とか言わないでくれるか……そこは、仲間だろ」

 オーウェンの目が、弓なりに細められた。背中をそらせて、大きな声で笑う。

「仲間などいらぬよ。私は人間の頂点に立つ者――〈真の勇者〉なのだから」

「そーかよ。お前を選んだ〈天恵の姫〉は、男を見る目がねえな」

 魔導士とメイストが同時に攻撃の動作を取る。メイストが僅かに間に合わず、炎は氷に絡め取られる。氷は火によって溶けた端から凍りつき、じわじわと距離を詰めていく。炎が水系魔法に弱いことは、わかっていての攻撃だろう。万全の状態のメイストであれば何なく交わせる出力だが、胸の傷が響いている。

 これ以上やりあえば、魔力が切れる。どうにか退けたいが、まともに組み合ってしまい、離れようとしてもできなかった。攻撃を受け止めることが、最大の防御だった。逃げればその途端にやられておしまいだ。

 オーウェンは、勝利を確信していた。冷気は勢いを増し、炎を凍らせ始めた。

「元々、私に倒されるつもりであったのだろう?もう、あきらめよ。メイスト殿。楽に死なせてさしあげよう」

「……やなこった。せめてお前に一発食らわせないと気が済まない」

 杖を握る手もまた、氷に喰われはじめる。

――ここまでか。

 これまでの人生の悔恨が思い浮かぶ。いよいよ自分が諦めているのを感じた。

 思い浮かぶのは、人間たちのことだ。

 魔王として不完全なメイストは、生贄を逃がすことでバランスを取ろうとしていた。自分には、人を完全に支配することなどできない。人の心を掴まえておくことなどできない。

 でも、それはただの臆病だった。

 人間の欲も、喜び悲しみも、生も死も、全てに向かいあい、支配してやればいい。

 それができないことが、生贄を見ていればわかった。生贄ひとり支配できないのに、大勢の人間をどうしろというのだ。けれど、ティティは――。


――今気づいたって、もう遅ぇけどな。



「……ぉぉぉさまああああああ!」

 着地ではなく、ドラゴンが地面に向かって飛んできた。ドラゴンの体が氷と火の渦を割る。次の瞬間、地面が津波のように立ち上がり、辺り一体が吹き飛んだ。

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