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晩餐会の会場にはバルコニーがついている。魔王会議のあと、ヴォーゲントはここでくつろぐのがお気に入りだった。大きな椅子に腰を下ろし、料理はほとんど食べず、ウィスキーを飲むだけだ。
「いい景色だろ」
「何も見えません」
メイストに見えるのは、ぼうぼうと音を立てる上も下もない空間だけだ。昼夜変わらずに赤紫色のまま、変化しそうで、まったくしない。永遠のような時間を生きる魔王を嗤っているようで、メイストはこの景色が嫌いだった。
「オーウェンに会ったのか」
ヴォーゲントは空のグラスを持ち上げる。メイストは、そこに琥珀色の液体を注いだ。人間も飲んでいる、普通の酒だ。
「影を出したときに、オメェの顔色が変わったからな」
「なら、話は早く済みます」
「奴は〈真の勇者〉なのか?」
「……さあ、わかりません。だが、立派な男でした」
グラスを揺らすと、氷がカラカラと音を立てた。人間だろうと魔王だろうと、ウィスキーを飲めばこの音は同じだ。ヴォーゲントが、唸りながら首をひねる。
「ハァ~……オメェは昔っからそうだよなァ」
「オヤジに似たんだと思いますが」
「そーだな。女の趣味までソックリだ。ティティを見てると、女房を思い出すぜ」
「……オヤジは、人間が好きか?」
バリバリと頭をかいていたヴォーゲントの手が止まる。
「ああ、好きだぜ。歯向かわないで、こっちの言うことさえ聞いてりゃぁ、人間ほど使える種族はいねェからなぁ。食っちまうのは勿体ねェよ。そこまで美味くもねェしな」
素直じゃないところもそっくりだ、とメイストは思った。
「……俺は怖いんです。こんなでも、俺は魔王だから、人間が俺たちに歯向かってきたら、力で支配せざるを得ない。勇者なら戦えばいいが、弱い人間たちが向かってきたら……」
ゆっくりと話すメイストに、ヴォーゲントは返事をしなかった。この先に話が続くとわかっていたからだろう。
「ティティが襲われました。生贄が逃げ出したっつって……殺されかけたんです。俺は学んでなかった。あの時、思いました。俺さえいなければ、ティティはこんな思いをすることはなかった。そもそも魔王がいなければ、村人たちの飢饉はあそこまでひどいことにはならなかった。……俺の支配は、やっぱりろくでもないんです」
ティティと過ごせば過ごすほど、あの日の出来事が恐ろしいものだったと思えてくる。
初めは、過ちを繰り返したことへの後悔だと思っていた。だが、違ったのだ。
ティティを傷つけたことが怖かった。これ以上何かあったときに、その先にある結果に、メイストは耐えられないだろうと、彼は気づいてしまった。
魔王として自分は未熟で……支配が完全でないことに。
生贄を逃がし続けたのは、彼女たちへの同情ではない。ただの保身だった。
「だからオーウェンにやられて魔王をやめちまう、ってかァ?甘ったれてんじゃねェ」
ヴォーゲントは、そんなメイストの単純な思考など見抜いていた。
「じゃあ、兄弟たちのために犠牲になるってことで」
「わかったよ。もう決めてんだろ?好きにしろよ。オレぁ、オーウェンって野郎が〈真の勇者〉だとは思ってねェからなァ。百年後に復活するオメェの間抜け面を楽しみにしてるぜ」
「なぜ、そう思うんです」
「勘だ」
豪胆な見かけと態度でも、ヴォーゲントは理知的な男だった。慎重で、確証のない行動は取ろうとしない。そのヴォーゲントが、感覚で判断していることにメイストは面食らった。
「ははは!だから言ってんだろ。好きにしろって。昔はわざと勇者に倒されて、封印される奴もいたくれェだ。復活のために、百年分のエネルギーが集中するからな、お手軽に強くなれるからよォ」
「俺がマジで死んじまったらどうすんですか」
「なんだよオメェ、俺にしくしくと泣いて欲しいのかァ?」
「あまり想像したくないですね」
「おうおう。口ばっかり達者だなァ」
にやにやと笑いながら、彼は皺だらけの頬を撫でた。
「しかし、オーウェンに倒されるってお前……そりゃあ、ティティが〈天恵の姫〉じゃねェって言ってるのと同じだろ?失礼な奴だな。言ったろ。嬢ちゃんが生贄で、〈真の勇者〉がいる以上、〈天恵の姫〉の可能性はあるんだぞ」
「あいつは普通の女ですよ。妙な喋り方した、痩せっぽちで、働き者の人間の女です」
――そして、俺は魔王だ。
生贄たちと触れるほどに、自分の心とはかけ離れた自覚をする。
その夜のうちに、ティティとメイストは〈裂け目〉をあとにした。
来るときの不自然な暗さと違い、今度こそ本当の夜だった。空に月が出ていて、海面がガラス玉を散らしたように光っていた。
「魔王様、寝ねくていいのか?ずいぶん遅ぇど?」
「あの場所には魔王に最適のエネルギーが満ちてんだ。お前の村の飢饉の原因になったようなやつが。一日いるだけで、しばらく寝ずに動けるようになる」
「ほあっ!それはいいなぁ~へへっ」
「嫌だよ。夜が長くて暇になるだけ。……お前、飲みすぎ」
「にはは……勧められちまって……」
アメリアの声かけで集まった生贄の女性たちと、延々と飲んでいた。メイストたちが魔王会議をしたように、ティティたちは生贄会議だった。
顔が熱い。肩が出たドレスも、夜の風も、酔ったティティには心地よかった。
「魔王様は、オヤジさんと、何話してただ?」
「あー、まぁ、色々」
「久しぶりだから、積もる話もあったべ?」
「久しぶりってほどでもねぇよ。一年前には会ってるし」
「一年も会わねでいれば、十分久しぶりだべ!」
「お前らとは時間の感じ方が違うから。それに、別に父親でもないしな。ボスっつうか、頭下げる相手だから」
「人間みてえな繋がりは無いのかもしれねえども……でも、魔王様にとってはお父さんみてえなもんだべ?」
メイストが黙っていた時間は、どれぐらいだっただろうか。長くも感じられたし、一瞬のことのようにも思えた。酔っていたティティには、正しく感じることができなかった。
「……まあ、そうかもな」
「んひひ……だよなぁ。あー、なんだかおらも、父ちゃんに会いたくなってきただ……」
「眠かったら、寝ていいぞ、ティティ」
「ん……うん」
突然、ティティは眠気に襲われる。疲れていたせいか、メイストがあたたかいせいか。自然と、目を閉じてしまった。




