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ドラゴンだけを森に残し、メイストたちは勇者に連れられて都へと戻った。森からすぐの、都の中心部から見れば郊外に位置する場所だ。そこにたった一軒だけ開いていた料理屋に案内された。
「今戻ったぞ」
オーウェンが大きな袋を掲げて料理屋に入ると、店内から歓声が上がる。
「オーウェン様、おかえりなさい!」
「遅くなってしまってすまないな。旅の人たちをモンスターから助けていたのだ」
「さすが勇者様ね!」
「いい子にしていたか?そら、土産だぞ」
オーウェンは袋の中から棒付きのキャンディを取り出すと、子供たちに振舞った。
「店主よ、待たせたな。モンスターが増えていて、時間がかかってしまった」
「いいんだよ!アンタの仕入れが頼みの綱なんだ。おかげでいい料理を店に並べられるぜ」
「ならば、さっそく彼らに何か作ってくれないか?とびきりうまいものを頼むぞ」
「任せとけって!」
「……魔王様、なんとした?顔色がどんどん悪くなってるど」
腐ったゴミの匂いを嗅いだような顔をしている。和気藹々と触れ合う人々を見る顔ではない。
「俺、こういうのダメなの。眩しすぎて死にそう。自分が凄く悪い奴だってこと思い出す」
「しっかりしろよぉ!魔王様は立派な人だ、自信を持て!」
「どうした?そのようなところに立ってないで、こちらに座るといい」
「ほらほら、勇者様がこう言ってるんだからさ!座った座った!」
鼻の頭にそばかすのある、元気な娘がメイストたちを店内に引き入れる。
「おーい、あいつまた勇者様にべったりだぜ」
「う、うるさいよっ!安ワインしか飲まないアンタみたいな客に用はないんだ!勇者様はこのくたびれた都で、お金をたーっくさん使って下さる上客なんだから……」
「ジェリア、いつも感謝する。あとでこちらに来ると良い。一緒に飲もうではないか」
顔を真っ赤にする娘に、ヒューヒューと口笛が飛ぶ。
「メイスト、顔、顔」
この世の終わりのような顔のメイストに、ロニーがこっそりと声をかける。
ティティはメイストの隣に座った。メイストの前にはオーウェンが、その隣にロニーが腰を下ろす。
「よければ彼女の服に隠れたままの、小さなお嬢さんも一緒に」
ティティのフードの中で、モニクがびくりと震えた。
「……出てくればいいでねか。こういってるんだし」
「だ、だって、そいつは勇者よ!姿を見せたら、殺されて経験値のこやしにされておしまいよ!」
「……モニク。少しでいいから、出てきてアイツのレベルを見てくれ」
メイストはモニクに囁きかけたのだろうが、彼女はティティのフードのなかだ。結果的にティティと顔を寄せることになる。いつもと違い、人間に近い風貌をしているメイストは異性を意識させて、ティティは微かに緊張した。
メイストの説得に応じて、モニクはフードからそろりと顔を出した。
「可愛らしいお嬢さんだ。妖精族は、話には聞いていたが初めて見る」
オーウェンはニコリと微笑んだ。白金色の髪の毛が、頬に薄い色の影を落とす。その途端に、モニクはフードの中に引っ込んだ。
「モニク?モニクってば」ティティが呼びかけても、モニクは出てこない。
「おや、怖がらせてしまったようだ」
「た、たぶん……照れてるだけだべ。気にしねで下せえ。この子は容姿端麗な殿方が好きなんだ」
「ははは!それは光栄だ」
オーウェンはビールのジョッキを傾けた。見た目に合わず、豪快な飲み方をする男だった。
「山の向こうから来たといったが……お主たちはルミノクス地方の出か?」
ルミノクス地方は、ティティの住んでいたカナシ村やメイストの城がある辺りのことだ。ルミノクス地方の大半がメイストの支配地となっている。しかし、町や村の距離が互いにとても離れている広大な土地なので、その呼び名を忘れている者も多い。
「あちらから来たとなると、この都の様子には驚いたであろう。ルミノクス地方は、魔王メイストの存在で平和が保たれているというからな。だが、このままではいかん。魔王と人は、けして相容れぬ。いつ、ルミノクス地方もこのような状態になるかわからぬよ」
言い回しが大仰なせいで、ティティの頭がオーウェンの言葉を理解するには、わずかな間が必要だった。つまり分かりやすくすると……。
――あれ?確か、こんなことを魔王様も言っていたような気が……。
ロニーはとっくに会話に飽きてしまい、近くの女性を口説いている。
「よくお考えで。勇者殿は先見の明がおありのようだ」
「これぐらい、当然のことよ。人は確かに弱いかも知れぬ。だからこそ、力ある者が立ち上がり、導いてやらねばならん」オーウェンはぐっと拳を握った。「私は人々に、真の平和を取り戻したいのだ。魔王の姿に怯えずとも明日を迎えることのできる、永遠の平和を」
メイストの口の端が、緩やかな弧を描いていた。目は笑っていない。
「だが、魔王であろうと人であろうと、平和にはいつか終わりが来るのでは。人の命のほうが短い分、不安定である気がしますがね。人間同士の争いを魔王のせいにすることで、避けている衝突もある」
「その通りだ。まったく、嘆かわしいことよ……だが、人の心がそのように堕落したのは、やはり魔王が原因であると私は考えている。私は、魔王を倒すだけではなく、人々を心から救いたいのだ。弱さという魔物から……」
ティティには、二人が何に共感しているのかわからなかった。人々を弱いと思ったことはない。カナシ村のことは不幸だったけれど、メイストは生贄の言葉を聞いて、救い出してくれた。
女性にフラれたロニーが、酒をあおる。ロニーは酔うのが早かった。「何の話だぁ?」とメイストに尋ねるが、彼は答えなかった。
「……具体的には?魔王を倒して、どうするんです」
「ほう……。そのようなことまで興味を持ってくれたのは、お主が初めてであるぞ」
嬉しそう、というよりは、満足げな笑みだった。清廉な勇者にも、欲望があることを気づかせる瞳だった。
「ヒロイの都を魔王の手より取り戻したあかつきには、国王家の生き残りに戻ってもらうことになるだろう」
「魔王から解放された土地では、勇者が王となるのが通例ですが」
「私は政治には向かぬ。玉座に座るよりも、戦いたい。魔王はデリランテだけではない。メイストもそうだ。私はヒロイの民だけではなく、世界中の人々を救いたいのだ」
「なるほど……あなたが〈真の勇者〉と呼ばれる意味がよくわかる」
「む……そのようなことを言われておるのか。私には勿体無い言葉だ。確かに、そうであればどれだけ良いだろうか。魔王を永遠に封じる力が、私にあれば……」
オーウェンの眉間に、深い影が落ちる。頬杖をついたロニーが、無言でオーウェンの横顔を見つめていた。モニクがフードに隠れながら、テーブルの様子を覗き見る。
ティティは黙っていた。
メイストが、微笑んでいたからだ。
帰り際、オーウェンはメイストたちを外まで送ってくれた。外はすっかり暗くなっている。
「ユースティティア殿にはつまぬ話ばかりであったろう。許して欲しい」
「い、いえっ……滅相もねえです」
丁寧に謝られた彼女は、自分が長い名前であることすら申し訳なくなっていた。
「馬は貸さなくて良いのか?このあたりに宿はないが……これから探すのか?」
「宿は必要ない。帰るから平気だ」
「帰る……とは、これから、ルミノクスまでか?」
「あっ、いや、これは!」
ティティがメイストとオーウェンの間に割り込む。メイストはすっかりオーウェンと打ち解けて、酒も進んでいた。酔っていて、自分が誰と飲んでいたのか忘れてしまったのかもしれない。
「オーウェン。……俺は魔王メイストだ。森の外れに翼竜族を待たせてある。あの翼なら一時間とかからねえよ」
「なっ……なして言っちまっただ!魔王様!」
「ティティ!バカっ!」
フードの中のモニクに、思い切り髪を引っ張られる。
オーウェンは目を丸くしていた。だが、すぐさまその目元が和らぐ。
「驚いた……お主自ら、それを告白するとは」
「気づいてたんだろ?俺が魔王だって」
「ああ。だが、まさかこの場で言われるとは思わなかった」
心底楽しそうに笑うオーウェンに、今度はティティたちが驚く番だった。
「最初から承知しておったよ。魔王と酒を飲むなど、そうそう出来ることではない。今日のことは私の武勇伝として語らせてもらおう。人に慕われる魔王……その意味が少しわかったよ」
だが、と言ったオーウェンの顔から、笑顔が消える。「私は勇者だ。いずれはお主も倒さねばならん。その時は今日のことを……夢だと思うことにしよう」
帰りは、ドラゴンの背中に全員が乗っていた。長時間の変身と行きの飛行で、メイストにはもう魔力が残っていなかった。
メイストは変身を解いて、仰向けになっていた。横になっているだけで眠ってはいなかった。近くにロニーも寝そべっている。地上よりも夜空に近い高度で、星に手が届きそうだ。
「僕も見たかったなー。〈真の勇者〉。ずっと森の中でひとりで、最悪だったよ」
ドラゴンは羽ばたくというよりも、滑るように空を飛んでいた。行きとは速度が桁違いだ。行きはメイストの速度にあわせて飛んでいたからだ、とティティは気づいた。
「〈真の勇者〉って決まったわけじゃないし」
「え?でも、モニク……見たんでしょ?レベルとか」
「……見てないわよっ。だって、あたしはずっと隠れてたんだもん」
モニクはドラゴンの頭の上にちょこんと座っていた。長い蜂蜜色の髪が風で舞い、羽がきらめいているのを見ると、ドラゴンの頭に王冠が載っているように見える。
「見てないんじゃなくて、見えなかったんだろ」
メイストの言葉に、モニクがびくりと肩を揺らす。
「見えないって……モニク、本当かよ?」ロニーが焦ったように体を起こした。「あいつ、リミットオーバーしてんのか!」
「み……み、たわよ!実は見てました!レベルはね――」
「嘘つけ。あいつは〈真の勇者〉だった。だからレベルが見えなかった――レベルが99を越えていたんだ、それでお前、ずっとティティのフードに引っ込んでたんだろ」
メイストのセリフに、モニクがぐっと唇を結んだ。大きな瞳の輝きが歪むのが、ティティの位置からでも見えた。
「ティティと同じ、モブかもしれないじゃない!」
「あいつは既に魔王をひとりやってる。モブの能力でそれは考えられない」
「そ、そんなことわからないじゃない!今日は私の調子が悪かっただけかもしれないし!あたしはあいつのこと、認めないから!」
「なんでだよ」
「だって、認めちゃったら魔王様、あいつに倒される気でしょ!」
モニクの言葉に、ティティは自分の不安の正体を知った。
メイストが正体を明かしたときに、ティティは慌てた。オーウェンに対し、正体が知れてしまったことにではなく――
オーウェンと過ごした後のメイストの態度が、明らかに違っていたから。普段から何を考えているのかわからない魔王だったけれど、なぜだか、急に離れていってはぐれてしまったかのように思えたのだ。
「あいつが本当に〈真の勇者〉だったら、どうするの!メイスト様、復活できないのよ?そうしたら、あの男があたしたちを支配するんでしょ!」
「勇者が支配じゃなくて、平和をもたらすんだよ」
「わけわかんない!同じことよ!魔王様がいなくなったら、全部同じことよ!」
不貞腐れたモニクは、それ以上何も言わなくなってしまった。ティティが声をかけると、コートのなかにするりと入ってきた。お腹のあたりにしがみついて、出てこない。
「あいつが本当に〈真の勇者〉かどうか、レベル以外に確かめる手段はないのか?」
「……本物じゃなければ、俺は百年後に復活する。それを待つしかないな」
メイストの答えに、ロニーは困ったように頭をかいた。
「お前はどう思った?」
「へっ?お、俺か?俺は……」
うーん、と腕を組む。「あいつは立派な奴だ。いろんな勇者を見てきたが、オーウェンは〈真の勇者〉って言われると……うーん、まあ、ありえるかもしれねぇなあ。ただよぉ……」
「なんだ?」
「……お前を倒すのは、俺であって欲しかった。本音を言うと、モニクの味方だ」
「……そうか」
「ティティちゃんだってそうだよなぁ?」
「えっ、おっ、おら……」
メイストがいなくなるなんて、嫌に決まっている。
でも、なぜだかそれを口にすることは憚られた。オーウェンと言葉を交わしてからのメイストは、ティティの知らない人のように感じられた。
ティティがどう答えても、メイストから返ってくる言葉の予想はついていた。
それを確かめるのが怖かった。
ふと、生贄の墓のことを思い出す。ティティは今でも時折墓参りに行くが、メイストの口から墓のことを語られることは無い。
やはり、メイストは過去のことを悔やんでいるのではないか。
それに、なぜ今気づいてしまったのか。ティティは、必死に忘れようと首を振った。




