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贄の娘と支配の魔王  作者: 八千
<1>生贄の娘・ユースティティア
1/20

闇から魔王が生まれた。

世界が暗黒に包まれた。


〈天恵の姫〉が囚われる。

世界に正義の光が灯る。


光から〈真の勇者〉が現れる。

世界は永遠の光に包まれる。


伝説はここに築かれた。



(古の伝説より 抜粋)




 カナシ村は、滅ぶ寸前だった。

 三年間ひどい日照りが続き、作物はみな枯れてしまった。昨年はこれでもかというほど雨が降り、やはり作物は育たなかった。今年は寒さが続き、夏が近いというのに村のあちこちに雪が残っている。

 前の生贄が役立たずだったんだ、と誰かが言った。

 今、村の集会所には男たちが寄り合っている。皆痩せており、目の周りが落ち窪んでいた。体力のない子供が異常気象でまず倒れ、家族に食料を譲った女たちが次に倒れた。今、この村で動けるのはここにいる男たちだけだ。

「確かに魔王メイストは、人を襲ったり、モンスターをけしかけることはしねえ。それをいいことに、ほかの町の連中が適当な生贄をやるから……」

「五年前にメイストに生贄をやったサカエの町じゃ、身寄りのない未亡人を生贄にしたというぞ」

「乙女を捧げるのが、決まりのはずだろう。それじゃダメに決まってる!」

「だから俺たちの村ではきちんとした娘を差し出させるために、飢饉が起きたんだ。これは魔王の呪いに違いねえ」

 そうだそうだ、と声が上がる。

「今年はようやく、この村が生贄をやる番だ。長い飢饉に耐え、ようやくこれで魔王の怒りを静めることができる」

「伝説に倣い、今年十六になる生娘を魔王に捧げる。……ティティが適格だろう」

 反対する者はない。それは、この村でまともに動ける娘がティティしかいないからではない。

 その少女と父親は、余所者として疎外されていた。二人が泣いても、いなくなっても、誰も困らなかったのだ。



 ティティは病床の父と共に、村の外れて暮らしている。本名はユースティティアと言ったが長すぎるため、皆彼女をティティと呼ぶ。名づけたはずの父もそう呼ぶので、ティティはたまに自分の本名を忘れてしまう。

 家屋の煉瓦は剥がれ落ち、屋根も昨年の長雨でだいぶ腐り落ちてしまった。現在は小屋の戸を外して、なんとか屋根を塞いでいる。

 ティティは鍬を握り、畑にいた。

 それは作物を収穫したり、土を耕すためではない。

「ふっふっふっ……おらからは逃げられねえ……ど!」

 逃げ回っていた小さな影に、鍬を振り下ろす。その一撃で捕らえられたネズミは息絶えていたが、確実に仕留めるために更に鍬をぐっぐっと土に押し付けた。

 土から鍬を引き抜くと、ネズミはしっかりと刺さっていた。

「まーったく、あったかくなるとすぐこれだぁ。畑荒らされちゃ困るだよ」

 鍬からネズミを捕り、にんまりと笑う。「でもまあ、久しぶりに父ちゃんに肉を食わせてやれるだ!」

 背負った空っぽの収穫用のカゴに、初めての食料を放り込んだ。




「父ちゃん!今日はごちそうだべ!」

 あの後、ティティは畑から古い芋を掘り当てた。もう何年も新しい芽が出ていなかったからあきらめていたが、あるところにはあるものだ。

「芋とよ、ネズミが獲れたがら。待ってろよ。今、作るからな」

 久しぶりに、竈に火をつけて料理をしよう、とティティは思った。だって、水もある。昨日は、これから一人になる父のために一日かけて水をたくさん汲んできておいた。

 何から何まで運がいい。これは、出発前の良い前触れに違いない。

「ティティ……今日はゆっくり過ごせと言ったべ」

 ベッドの上から、ティティの父・ウィトスが声をかける。頬は痩せこけて、頭髪は砂を被ったように真っ白だ。年老いた者の白髪ではない、病的な色の変わり方だった。

「んだども、いつも通りにしてたほうが落ち着くからよ」

「おめぇよう……」

 ウィトスが何かを言いかけたところで、ドアが叩かれる。急かすような、激しい叩き方だった。

「へえへえ、ここにおりますよ!」

 けたたましいノックに負けないよう、声を張り上げる。そんなに叩かなくても逃げやしない。やれやれとこぼしながら、ドアを開けに向かう。

 ドアを開けると、武器を持った村人たちがティティの家を囲んでいた。武器といっても、ティティが先ほど振り回していたような鍬や、ボロボロの斧ばかりだ。

「明日の朝、魔王の城から迎えが来る。わかっているな」

 喋ったのは、村長の息子カバイェだった。ティティがこの村を訪れた当時は逞しい体つきをしていたが、それもこの飢饉で失われてしまっていた。

「へえへえ。もちろんでごぜえます。ちゃあんと用意してますだ」

 カバイェはちらりと家の奥を覗いた。ウィトスが、ベッドの上から彼らを睨みつけている。それに怯まない村人たちとの視線の応酬が、ティティの肩越しに繰り広げられていた。

「あのー」

 そんな緊迫した空気は露知らず、ティティはのんびりと声をあげた。

「おらが生贄で連れていかれたあと、父ちゃんはちゃんとお医者に見せてけるんですよね?」

「……ああ。お前はそれだけのことをするのだからな」カバイェは鍬を担ぎなおす。「俺たちも鬼ではない。約束は守る」 

「せば、安心しました!何卒、よろしくお願いしますだ!」

 ティティは顔が太ももにつきそうなくらい、深く深く頭を下げた。村人たちは互いに何かを確認すると、ぞろぞろと去っていった。

 ドアを閉めると、ベッドの上でウィトスが嗚咽をあげていた。

「ううっ……くっ……すまねえ、すまねえなぁ、ティティ」

「とっ、父ちゃん!なんとしたの?どこか、痛えだか?」

 ティティは仰天して、ウィトスに駆け寄る。

 父はどんなに体が痛くても、辛くても、涙を見せたことはない。子供にとって、親の涙ほど慌てるものはないだろう。

「俺がこんな体じゃなけりゃ、おめぇのこと連れて逃げるのによお」

「ああ……そっかぁ。おらが心配で泣いてくれだのがぁ」

 首を振って、ティティは微笑んだ。

「いいんだよ、父ちゃん。父ちゃんは医者に見てもらって、元気になって、うんといっぺえ畑を耕してけれ。おら、魔王様に気に入ってもらえるような生贄になるからよ。そしたら、きっとこの村は前みてぇに風が気持ちいい村に戻るだよ」

 それによお、とティティは秘密を打ち明けるようにこそりとつぶやく。「おらもタダじゃ死なねぇ。考えがあるんだ」

「考え……?」痩せたせいで、ぎょろりと剥いたウィトスの目が、ティティを見つめる。

「んー、おら、ずっと考えでだんだ。なんとすれば、魔王様に気に入ってもらえるかって。いやだって泣いたってダメ、魔王様と戦うわけにもいかねえし……だったら、こいつは食っちまうには惜しいって思われるように、うんと働いて、お仕えすればいいんでねえがって……」

「バカ言うでねえ!」

 ウィトスは声を荒げた。怒りで顔が赤くなっているのかもしれないが、病のために青白い顔は、微かに肌色を取り戻しただけだ。

「魔王がどんだけ恐ろしいもんか、おめぇは知らねえだけだ!人間なんて、魔王にとったら虫けら以下なんだ!」

 体力もないのに怒鳴ったウィトスは、大きく咳き込むと、それから喋らなくなってしまった。ふてくされているのか、眠っているのかわからなかった。

仕方なく、芋のスープとネズミの丸焼きというご馳走は、一人で少しだけ食べた。残りは父のために取っておいた。



 眠れなくて、家の外に出た。

 村の広場で、火が焚かれているのがわかる。燃えあがる炎の端が、空を赤く染めていたからだ。ティティが逃げ出さないよう、村の男たちが交代で番をしているのだろう。ティティの家の真裏は高い崖になっており、どこに行くにも広場を通らなければならない。

 乾いた切り株に、腰を下ろす。何をするでもなく、夜空を見上げた。

 ティティがこの村にやってきたのは、五年前。故郷がモンスターに襲われて、遠いこの地へ、親子の身ひとつで逃げ延びてきた。

 村という集合体が、余所者に対し排他的であることはティティも子供心に感じていた。彼女の育った故郷もそうであったように……。自分たちの村やそこに住む人々を守る結束が堅い代わりに、余所者を強く嫌悪する。

 タイミングも悪かった。ティティたちがカナシ村に住み始めた頃に、カナシ村では飢饉が始まった。ティティたちが不幸を運んできたのだと罵られた。それでもウィトスは、ティティを食べさせるために懸命に働いた。だが、他の多くの村人たちと同じように、倒れてしまった。

 生贄のことを頼まれた時に、ティティは自分の犠牲と引き換えにみんなが助かるのなら良いと思っていた。ティティたち親子は嫌われていたけれど、ティティは別に村人を嫌いではなかったから。しかし、ウィトスは猛反対した。それなら止めたほうがいいかと思ったときに、カバイェが医者のことを持ち出したのだ。すると今度は、ティティが父に対し、自分を生贄にするべきだと説得を始めた。

 魔王がどんな存在か、ティティにはよくわからない。だって、見たことがないから。

 わかっていることは、世界には魔王が何人もいて、それぞれ自分の支配地を持っている。そこに住む人間を苦しめて、モンスターを蔓延らせて……。その程度だ。

 みんな、魔王は恐ろしいといっているけど、魔王メイストはカナシ村を直接襲ったわけじゃない。ティティの故郷も何とかという魔王の支配地に入っていたことは知っている。そして、ティティの故郷は、あの日まではとても平和だった。

 ウィトスはあの日の出来事を、魔王の仕業だといつも言っていた。ティティには真実はわからない。普通に考えたらそうなのかもしれないが、直接襲ってきたのはモンスターだし、やはり、魔王を見たことがないからだ。

――うーん、おら、魔王の味方をしているわけではねえんだけども。

 いつの間にか、ずいぶん魔王を庇っているようではないか。それとも、魔王は怖くないと思いたい自分の心が、そうさせているのだろうか。

――そりゃあ、おらだって喜んで行きますってわけではねえよ?

――でも、父ちゃんのほうが、おらより辛い思いをしてる。自分の具合が悪いせいで、唯一の家族を差し出さねばなんねぇんだから。

 生贄になることが決まったとき、ウィトスが自ら命を絶ってしまうのではないかと、何日も恐れていた。しかし、ウィトスは自分の命を絶つほどの体力も残っていなかった。

 広場の炎は、どんどん大きくなっているように見えた。村人たちが喜び、明日を待ちわびているように、ティティの目には映った。

――こんなとき、物語のなかのお姫様だったら、勇者様が助けにきてくれるんだべか。

 ウィトスは故郷の学校で読んだ物語を思い出した。古の伝説をモチーフにした、少女向けの物語だった。魔王に攫われた姫を、勇者が颯爽と救い出す冒険譚だった。

――でも、おら、お姫様じゃねえしなぁ。

――だから助けてもらえねえんだなぁ……。



 翌朝、ティティは包みひとつの荷物を持ち、広場で魔王の使いを待っていた。武器を持った村人たちが、ティティの周囲を大きな円状に囲んでいる。

 父とは言葉を交わさないまま出てきた。娘がいなくなる所を、見ていられなかったのだろう。きちんと別れができなかったことは心残りだったが、ウィトスの心情を思うと仕方ない。

「お、おおっ……あれは……」

 誰かが、空を指差して声をあげた。ティティもその方向を向く。

 灰色の布を幾重にも重ねたような雲に、明らかに鳥ではない影があった。トカゲの腹を膨らませたような体に、とてつもなく大きな翼。その姿をよく見ようとしているうちに、それは近づいてきた。

 ドラゴンだ。

 ここにいる者は、皆初めて目にするはずなのに、その生き物をなんと呼ぶか知っていた。誰もが知っている古の伝説に出てくるドラゴン、そのものの姿だったのだ。

 ドラゴンは広場の真上で旋回し、ゆっくりと地上に降りてきた。

 羽ばたきで、乾いたカナシ村の土が舞い上がる。ドラゴンはティティの目の前にそっと降りてくる。その軽やかな降下は、僅かな振動も起こさなかった。村人たちは、怯んで一歩ずつ後ろに下がる。ティティを囲んでいた円陣が、一回り大きくなった。

 ティティはドラゴンをまじまじと見つめた。鱗のひとつひとつが、まるで生きているようだ。苔生した岩を思わせる、緑色のドラゴン。長い間この灰色の村に生きていたティティにとって、ドラゴンの姿は僅かに心安らぐものだった。

 ドラゴンは羽を畳まずに、ティティの前に右手を差し出した。大きな手で、爪のひとつでも赤子ほどのサイズがある。

「の……乗れってことけ?」

 ドラゴンは何も言わない。しかし、動きもしない。

 ティティは恐る恐る、その手に乗った。とりあえず、ドラゴンの腕に捕まった。思いのほか、暖かい。

 その瞬間、ドラゴンは翼をひらめかせた。飛ぶのだ。

 ぶわり、と風が起きた。その勢いで思わず目を閉じたティティが、次に見たのは村人たちが遠ざかる姿だった。

 ドラゴンは飛んできた方向へと戻っていく。そちらには、あの崖があった。切り立った高い崖で、ティティはその上を見るのが初めてだった。

 そして、その麓にはティティの家がある。思わず首を伸ばして、そちらを見る。

 父が家の外にいた。動けないはずなのに。ドアの前で這いつくばって、それでもなんとか顔を上へ向けている。

「ティティー!ティティー!」

「と、父ちゃん……」

 涙がこみあげてきた。それでも、ウィトスの姿は無情に遠ざかる。

「父ちゃん!父ちゃーん!」

 本当に、お別れなのだ。もう、父には会えないのだ。

 父のために生贄になることは、辛くなかった。ただ、ティティはこの時初めて、それが父との永遠の別れであることを知った。

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