辛辣な事実
キングに連れられていった先で、眼前に存在する建物を見て、ジョージは一瞬、懐かしさを感じた。
《デジャ・ヴ》。もちろん、この世界にあるもの全てがジョージにとっては、一度は見たことのある、既視感の洪水だ。でも、それとは全く異質の既視感。
他のものは子供のおもちゃらしく、カラフルでわくわくする雰囲気だ。でも、この目の前にある家は、どちらかと言えば、地味でアンティークというよりも、古めかしい雰囲気だ。
まーくんが幼い頃、【昔ばなし】というアニメを見ていたのを思い出す。たいてい、おじいさんやおばあさんがでてきて、犬やら猫やらという、人が自分の家で可愛がっているような動物が出てくる。そして、意地悪なおじいさんやおばあさん、おじさんおばさんが意地悪を仕掛けるが、最後は決まって懲らしめられる。そんなアニメから飛び出してきたような風情の家だ。
「ばぁさん、入りますよ」
キングがたぶん、いつもそうするのだろうと思うような手馴れた様子で、開けたドアのその奥へ向かって声をかけた。奥のふすまがすす、と小さな音を立てて開くと、音も立てずに綺麗な白猫がそろり、そろりと出てくる。
(あれ?オモチャじゃ・・ない。本物の猫だ・・・)
「こら、キング。女を呼ぶのにばあさん、はないだろう」
美猫が口をもごもごと動かすと、どこからか声が聞こえた。
「あ、いや。ミヨさん」
「例の相談、ってのはこの坊やのことかね?」
慌てふためくキングを無視して、猫はジョージの正面まで歩いて、そして止まった。
「名前は?」
また声がする。
「しゃべった・・・!」
「私からすれば、ぬいぐるみがしゃべるほうがよぽど驚きだと思うがね」
「そ、そういう意味じゃ・・・」
自分の考えていたことが口からついて出てしまったことに慌てふためき、ジョージの声がうわずった。
「・・・坊や、まー坊のとこにいたね。まー坊は私を可愛がってくれたが、あんたにだけは近寄らせてくれなかった。あんたを噛んだり食い破ったりするんじゃないかと心配だったんだろうが・・・」
「え・・・・?」
一瞬、ジョージは後ずさった。言葉にされると、噛んだり食い破ったりされるんじゃないかと、急に不安になる。
「・・・私はそんなに粗暴じゃないよ」
「そ、そっか・・・」
「まあ、それだけ大切にされてたってことだろう。」
まーくんが自分を大切にしていた。もちろん、ジョージ自身にも、それは十分に伝わっていたが、他から言われると、心から温かいものが広がっていくような気分だ。
「入っといで」
そう言うと、白猫は身を翻して、奥の部屋へと戻っていく。ジョージはその後についていく。この美しい猫に、どこで会ったのかは思い出せないが、彼女は自分を覚えているらしい。
部屋へ入ると、白猫はクッションのようなものをくわえて、テーブルのそばへと置いた。
「これにお座り・・・名前はなんだったかね」
「ジョージです。ありがとう・・・・えっと。」
「ミヨだ」
「ミヨさん・・・」
名前を呼ばれ、彼女は微笑んだ・・・ように見えた。
どこから話すべきか思案して、無意識のうちにあたりを見回した。黒い棚が部屋の隅にあり、そこには写真立てが置かれている。その前には、煙を出す棒のようなものが立っている容器。
(まただ。)
自分はやはり、この光景を見たことがある。
「この家はね」
ジョージの気持ちを見透かすように、ミヨさんは話しだした。
「この家は、私を大切にしてくれた友達の家だったんだ。私はまだ小さくて、どっかの公園に捨てられていたらしい。そこを、トミが、連れて帰ってくれたんだ」
ミヨさんはテーブルのところへ来て自分も座り、所在無げにしていたキングにも、座れ、と仕草で示した。
キングのクッションは用意されなかったが、キングも慣れたように座った。部屋の床は、まーくんの家のように木ではなく、植物のようなものが編みこまれたもののようだ。物珍しいと思うのに、それでもどこか懐かしいのだ。
「トミは今頃、どうしているんだろうね。私が彼女に拾われた頃、息子がいてね。まー坊と同じ年頃だった。それがまー坊の父親だ」
やっと合点がいった。つまり、トミさんというのはまーくんのおばあちゃんで、ミヨさんはおばあちゃんが飼っていた猫だろう。でも、あの猫はもっと年老いていた気がするのだが・・・
お父さんにも、まーくんくらいの小さな頃があった。それを想像しようとしてみたが、どうしてもジョージの中でまーくんになってしまう。すぐに諦めた。
「トミさんは、まーくんのおばあちゃん、なんですね」
確か、まーくんのおばあちゃん、おじいちゃんは、まーくんが、いつも同じ黒い服を着て学校へ行く頃には、皆亡くなっていたはずだ。でも、それをミヨさんに伝えるのは憚られた。ミヨさんにとってのおばあちゃんは、ジョージにとってのまーくんだったから。
「ここに最初にきたのはね、私なんだ。」
「ミヨさんが・・・?」
ミヨさんは静かに頷いた。
「ここは何もない、真っ白な世界だった。分かったのは、ただ、自分がたぶん死んだのだろうということだけだった。なにしろ、最後の記憶は、暗闇に光る二つの白い光。恐らく、車にひかれたんだろうよ。」
ふと、ジョージの脳裏に、ミヨさんが道路に横たわる姿が思い浮かんだ。ぞっとして、慌てて打ち消す。
「そんなに悲しい顔するんじゃないよ。少なくとも私は幸せだったし、今も幸せなのさ。この子らがいるからね。」
ミヨさんは穏やかな表情でキングの方を見た。キングはなんだか照れくさそうに、頭をしきりに掻いている。
「ここへ最初にきて、思ったのは家へ帰りたい、ということだった。トミのいる、あの家へ」
あの家、とミヨさんは確かに言った。この家だって、恐らくはミヨさんのかつての家のイメージそのものだろう。それでもたぶん、ミヨさんにとっては、この家ではなく、【あの家】に帰りたかったんだろう。トミさんのいる、その場所へ。
「どんなに思っても、この家以外は、トミとの思い出は手に入らなかった。もちろん、トミにも、・・・・会えんかった。」
ちくり、とジョージの胸に痛みが走る。ミヨさんの気持ちが、ジョージには分かりすぎるほど、分かったから。
「そのうち、この子が現れた。顔が怖いもんで、一目散に逃げたら、この子も逆方向に一目散ににげるもんだから・・・まあ、たまげたね」
「ミヨさん、そんなこと、もう忘れてくださいよう」
キングが眉尻を下げて情けない顔で訴える。そんな様子を見て、ミヨさんは玉を転がすような声で、明るく笑った。
「全く、見た目に中身の方が負けちまってるんだ。でもね、それはこの子の良さなのさ。この子はトミの息子のところにいたってことで、息子みたいなもんだし。次々に現れるここの住人が、どこの誰で、と、私らとの共通点も調べて回った。研究熱心なのさ」
ジョージは先ほどのキングの様子から、怖いからだろうな、と内心思ったが、わざわざ言わないようにした。
「いやあ、ミヨさん・・・」
そんなに褒めないでくださいよう、などと言いながら、キングがひとしきり照れていたからだ。
「この世界は、恐らくまー坊が作った」
キングの照れは放っておいて、ミヨさんは強い口調で、そう続けた。
「ジョージ、まー坊には友達はいなかったのかい」
「ぼくは、まーくんの親友です」
少しむきになってジョージは言う。しかし、ミヨさんはそれにため息をついた。
「私もトミと友達さ。でもね、人間には、人間の友達が必要なのさ。何かあったら、人間は自分でそれを乗り切らなくちゃならない。だけど、それには助けが必要なのさ。心を癒してあげるとか、それも必要なことなのだけど、具体的にアドバイスしたり、慰めたり、場合によっては叱りつけたり。」
具体的な助け・・・何をどうしたいと思っても、何もできなかった自分をジョージは思い出した。胸がズキン、と痛んだ。
「でも・・・」
言おうとして、ジョージは口ごもる。何もできなくても、自分は友達だ、そう言おうとして、できなかった。まーくんの苦しみに寄り添うことはできても、それをまーくんに伝える方法はない。何度も悔しい思いをしてきたはずだった。今はこうして動けても、元の世界では、ジョージは自分の意思で動くことすらできなかった。
ジョージの顔色から、ジョージの考えていることがわかったのだろう、ミヨさんは優しい表情になって、言った。
「私たちにできるのは、ただ、見守ること。・・・でも、坊やには、他にできることがありそうだね」
「え?」
「ここにいるのは、みんな現実では存在をなくした者たちばっかりだ。そして、まー坊の記憶の中だけにいる。・・・でも、坊やはたぶん違うだろう?あんなにまー坊が大切にしていたのに、まー坊本人や家族が捨てたり、どっかやったりするとは考えにくいからね」
(そう・・・なのだろうか)
確かに家族はジョージを大切にしてくれた。どんなに汚くなっても。でも、捨てたりなくしたりしない、と、本当に言い切れるだろうか。
「会いたいだろう?まー坊に」
「うん!!!でも・・・でも・・・」
だったら、と言ってニヨさんは瞬きした。
「坊やの知っていることを、私に話しなさい。ここは、まー坊の幼い頃のもので溢れている。・・・それが問題なんだ」
「・・・それは、どういう・・・?」
ジョージは混乱した。ここがまーくんの記憶の中の世界なら、まーくんの幼い頃の思い出がたくさんあることに、なんの問題があるというのだろう。
「いいかい。ここにはまー坊の【現在】がない。人間てのはね、幼い頃を少しずつ忘れ、現在を生きていく生き物なんだ。思い出だけでは生きていけない。」
部屋に、一瞬外からの風がふきぬけた。煙がそれに合わせてゆらめき、ジョージの鼻腔をくすぐった。やっぱり、懐かしい匂いがした。
「昔を懐かしんでいる間は、未来へ向かって歩いていけない。そうだろう?」
ミヨさんの言葉は、ジョージの胸を突き刺した。抉った。でも、ジョージはその言葉の意味を理解した。分からないふりなんて、できなかった。
「話しなさい、ジョージ。坊やが見てきたことを」
まっすぐに見据えてくるミヨさんに、ジョージは意を決した。そして、ゆっくりと口を開いた。