2、フェクトゥスと村人
フェクトゥスが俺の所と言ったアルトヒューゲル領は、三角森の真北に位置するインディタース領を挟んで、皇太子領ウェールのちょうど反対側にある。
今頃カルムフレたちはウェールに着いているころだろう。
彼らがこの先どうなろうと、全く関係ないけれど。
森を出てすぐに広がるのどかな田園風景を見て、あれは小麦なのかそれとも米? いやいや米はないだろうなんて、話しながら私たちはゆっくり歩いていた。
昨日までと違って、なんて開放感!
楽しそうにあるく私たちを見るフェクトゥスはさながら子供連れのお兄さんってところだ。
早く歩けよー。なんて、言いつつ今夜の宿をどこにするか考えてるに違いない。
そして結局、今夜は森からそう離れていない村長の家にお世話になることなった。
この村は隣をインディタース領と接していて、土地の線引で度々揉めている地域だ。
インディタース領を治める侯爵の娘は、太后の遠い親戚で皇太子カルムフレの婚約者だから、その威を借りて侯爵はやりたい放題。
最近では隣にある、このアルトヒューゲルの領地を狙って、事あるごとに強気な要求を突きつけているみたい。
この村はモロにその被害を被っているから、フェクトゥスの顔を見てみんな近づいてくる。
「若、聞いてくださいよ。奴らあっちの兵のくせにわざわざこっちまで治安維持を理由にやってくるんですよ。しかもこっちが下手に出るのをいいことにやりたい放題で……」
「そうですよ。昨日も川端の娘が絡まれて」
「村長の息子が止めに行って殴られました!」
アルトヒューゲルの後継は意外に人から慕われているらしい。
村人たちも愚痴ったって解決するとは思っていないんだろうけれど、聞いてくれる者を見つけて、我慢できなかったんだろう。
彼の領、アルトヒューゲルはフェクトゥスの父デュークトスが領主をしている。
だから息子であるフェクトゥスは傍目にはいつまでもフラフラと好きなことをしているようにしか見えないけれど、実は次期領主様だったりするのである。
そして面倒見がよく、村人の話もきちんと聞く辺りがみんなに慕われる理由なんじゃないかな。
「若だって!」
「私たちもそう呼ぶ?」
村人をとりなすのに忙しそうな彼の後ろで、私とケイはクスクス笑いながら様子をうかがう。
たまに、アイツら、あとで覚えておけよって目でこっちを見てくるけれど知らん振り。
こんな風に私たちにいじらせてくれるあたり、彼はいいお兄さんになれると思うよ。
実際、妹が一人いるみたいだし。
「若、そんなに嫌がらないでくださいよ。聞いてくれるだけでワシらは気分が軽くなるんですから」
私たちに対してやった舌打ちに、勘違いした村人が慌てた様子でますますフェクトゥスに群がる。
こんなのどかな日が、ずっと続けばいいのに。
――のどかな日はやっぱり長く続かない。
「本当はあんたなんだろ? 魔女ユニベシの後継者ってのは」
二人きりになった時フェクトゥスそう聞かれてしまったから。
やっぱり彼は、本当の魔女がマリンではないことに気づいていたんだ。
「知ってたの?」
「そりゃあ分かるさ」
ケイから離れた場所で、小さな声でささやくフェクトゥスの言葉を、私は否定しなかった。
男爵家アルトヒューゲルは身分こそ男爵位だが、その血は古く、初代はユニベシと並んで初代皇帝の右腕左腕と称されていた人物だ。
今ではそれを知るものは少なくなったが、彼らの一族はユニベシが三角森に住み着いた時から、この地アルトヒューゲル領を治めている。
表向きはユニベシの住む森を含む、領地の領主。
でも、裏では誰にも言えない仕事を請け負ってきた。
だから魔女の公にされていない名、ユニベシを出すことで嘘はつくなと私に牽制してきた。
あーあ、彼の言葉でどうやら私ののどかな日常は一日と持たずに終わりを告げたらしい。
「ところで、本当のこと――魔女の後継者があんただってこと――を一緒についてきたお友達には打ち明けないのかい?」
フェクトゥスはそう聞くけれど、ケイは友だちじゃないし、言えるわけないじゃない。
あの日、転校さえしなけれは彼らを巻き込むことはなかったんだから。
私は臆病な人間だから、面と向かってケイに、巻き込んでごめんなさいと謝る勇気がない。
それに、お前のせいだって責められたくない。
卑怯だと自覚しているけれど、今はまだ……。
「うん、言わない」
それに、魔女との約束を守るのは私だけでいいから。
言えばきっとケイは手伝おうとする。
フェクトゥスはおや? と不思議そうに首をかたむけた。
「言わないの? ユニベシの召喚に巻き込まれた彼らに同情して、ちょっとした魔法まで使えるようにしてあげたのに? 言えば彼、盾とは言わなくても一緒にいてくれたりはすると思うよ」
「それは解ってるけど言わないって決めたから」
ケイはいい人みたいだから、きっとしばらくは一緒に行動してくれる。
だけど、そのうちに彼だって私から離れていくに決まっている。
だってケイはこの国で一人でも生きていける力を持っている。
いつまでも私と一緒にいる必要なんてないでしょ。
それに魔女の後継者としてユニベシの願いを聞くって約束したのは私だけ。
巻き添えでこの世界に来てしまっただけのケイに、私の手伝いなんかさせられない。
「ん。わかった。じゃ彼は俺の領で暮らしていけるように手配するよ。まあ、本人次第だけど」
「ありがとう」
たぶん、こっちの心なんてすっかり見透かしているんだろうけれど、それを指摘しないフェクトゥスに、私はほっと表情をゆるめた。