1、フレデリックと吟遊詩人
セイラたちがこの世界に召喚された日より遡ること約1ヶ月半。
皇帝カルブライトが崩御したという連絡はその3時間後には、北端に位置する辺境伯領主の孫フレデリックの執務室まで届いた。
「なに? それは本当か」
だが、フレデリックが驚いたのはそんなことのためにではない。
「はい」
それを知らせた吟遊詩人風の男は、無念の表情を露わにした。
「父上が……」
椅子に座って書類整理をしていたフレデリックは手を止め、吟遊詩人に目をやった。
白いダブダブのシャツ、品のいい緑のベスト。同じ色のズボン。
「取り急ぎ、報告まで。では私はこれで」
派手な羽のついた帽子の男は一礼し来た時と同じように姿を消そうとし、呼び止められる。
「待て。ボスはどうした?」
「はっ。ピエール様はアレでして……その……」
とたん優雅さをなくし吟遊詩人はしどろもどろになった。
「ああ……またあれか」
しかしそれを見て納得したのか、部屋の主は左手をクイッと払う。
それとともに吟遊詩人はまるで最初からいなかったかのように消えた。
皇帝が亡くなった。側近である父フォレスターとともに。
フレデリックはやるせなさに歯を食いしばり、机に拳を打ち付けた。
父であるフォレスターは、側近とは名ばかりで実際は影武者のようなことをさせられていた。
皇帝に逆らえなかったからというのもあるが、父は妹――フレデリックから見れば叔母である――ミランダの失踪事件の謎を追うために皇帝の元にいたのだった。
それなのに、志半ばで命を落とすとは……。
この国は初代皇帝トラトスと魔女ユニべシによって創られた。
その時の争いで仲間が傷ついていくのを嘆き、トラトスは西の国に住んでいた水の魔女に願った。
仲間の傷を癒してほしい、と。
水の魔女はトラトスの優しい心に打たれ、かと言って一人の人間に何人もの魔女が力を貸すということを避けるため、彼に治癒の力を与えた。
『お前たちが仲間を大切に思う、その心がある限り力は受け継がれるだろう』
そう言って伝わったその力は『慈悲の回復魔法 』 と呼ばれ、現在も皇家に受け継がれている。
しかしいつしか、その力があることが皇位を継ぐための条件となっていった。
フレデリックにしてみれば、王の素質とはそんなもので決まるはずないと思っているのだが、皇家にとってはそうはいかないらしい。
まさに『カルナーヒール』 こそが皇位継承の証と捉えられている。
いわく、皇帝は慈悲深く国民をその優しい心で導かねばならない……と。
しかし現在その力が実際に国民の前で披露されることはほとんどなく、形骸化してしまっている。
なぜなら長い間の政略結婚と養子縁組で彼らの血は薄まり、カルナーヒールを使える皇帝なんて実際には存在しないからだ。
そんな皇帝の横で、代わりにカルナーヒールを使っていたのは父フォレスターだった。
フォレスターが影武者となり、カルナーヒールを使っていたのだ。
これは現皇帝に仕えるものでもほとんど知らない事実だった。
フレデリックだって、父が影武者をしていることを知ったのはピエールの情報によってだ。
カルナーヒールを使えない皇帝は、それを隠すように代わりに各地で慈悲という言葉をばらまいた。
それは外交の面でも発揮され、慈悲という言葉を借りた優柔不断な対外交渉によって、国民はむしろ他国の脅威にさらされていた。
異教を信じるトニトゥルス聖教国と国境を接する、辺境の地デンブルグ領にとってそれは深刻だった。
デンブルグの北西に位置するトニトゥルス聖教国は、冬が厳しく作物がほとんど取れない。
そのために何年も前から、冬の時期になると必ず食料調達のためにデンブルグ領に攻めてくるからだ。
二度と攻めて来る気になれないほど追い詰めてやればよいものを。
フレデリックはそう思うのだけれど、皇帝は慈悲の名のもとにトニトゥルス聖教国に対し、はっきりとした制裁措置を示さない。
慈悲なんてろくなもんじゃない! 本当に。
だが、この腹立たしい慣習――カルナーヒールを使える慈悲深き者が皇帝位を継ぐ――に一番振り回されているのは、皇兄に違いない。
皇兄ジルブライトは、頭脳、政治的手腕、外交等全てにおいて弟であるカルブライトに勝っていた。
それなのにただ『カルナーヒール』 が使えない、それだけで皇位を弟に譲らざるを得なかったからだ。
ジルブライトは弟を憎んだに違いない。
しかしそんな弟ですら、実際にその力を持ってはいなかったのだから皮肉なものである。
皇帝になる者――『カルナーヒール』 を使える者――は慈悲の心、人を慈しむ心をなくさないため、幼い頃から汚い政治的駆け引きの全てから遠ざけられ育てられる。
なんて言われているが、皇帝は慈悲の皮をかぶった為政者で、国民どころか家族までをも騙し続けていたのだ。フォレスターを使うことによって。
それを知っってしまったジルブライトが皇帝を殺したいと思ったのはむしろ当然と言えるだろう。
それに……フレデリックはジルブライトに1年に一回は会うため、どういう人物か知っていた。
ジルブライトは軍務大臣として聖教国の狂信者から国と領地を守るため、国軍を率いて毎年冬が近くなると援軍に来るからだ。
その時の彼は特に信頼し相談する副官というものを持たず、ほとんど自分一人で軍の采配をしていた。
昔はその判断力に憧れていたが、今になってみればただの傲慢だったとわかる。
自分の能力に絶対の自信を持っていたからこそ、誰をも信じることなくすべてを一人でこなしていたのだ。
そんなジルブライトだからこそ、能力で劣る弟が皇位に就くのを許せなかったに違いない。
皇帝を暗殺したのは、ジルブライトでは? 直接手は下さないとしても、彼が仕組んだものではないのか。
そしてその場合、影武者として実際にカルナーヒールを使っていたフォレスターも彼にしてみれば邪魔でしかなかったはずだ。
フレデリックは重いため息をつくと席を立った。
皇帝の崩御と、父の訃報が正式に皇都から届けられるにはおそらく一週間はかかるだろう。
その前に祖父と今後のことを相談しなければならない。
サブタイトルは適当です。
ごめんなさい、いいものが思い浮かばなかったので……。