2.5頭身の神様
朝焼けがまだ残る早朝。
一面田んぼが広がる中を、道子と、道子の幼馴染で腐れ縁の銅森が、並んでてくてくと歩いていた。
「何であんたと二人で登校しなきゃなんないのよ」
「そりゃあ同じ高校に通ってるから」
ほぼ毎朝似たような会話を交わしているのに、道子はそれでも言わずにはいられない。
「そーじゃなくて。あたしは部活の朝練があるから早く出るのに、何で帰宅部のあんたまで朝早くから学校に行くのかって言ってんのよ」
「“旅は道連れ世は情け”。始業前なのに“帰宅部”とは此は如何に」
銅森が呪文のようなことを唱えるのを聞いて、道子はげんなりとため息をついた。
……こいつと話してると疲れる。
「あんたが道連れなら、一人のほうがまだ気が楽だっつーの」
ぶつぶつ呟きながら田んぼの間を通る農道を出て、バス通りに入る。バス通りといっても、片側一車線の歩道も路肩もない通り。せめてもの救いは、アスファルトで舗装されているというところか。
道子はバスケットボール部の朝練に出るのでジャージ姿、早朝から学校に行って何をするつもりなのかわからない銅森は学ラン姿だ。
今日はまだ、道のはるか先にバスの姿は見えない。大変ローカルな地域なので、バス時間もかなりルーズだったりする。たまに早めに行ってしまうことがあるという噂を耳にして以来(←あくまで噂)、道子は遅刻しないようにするため、時刻の10分前にはバス停に到着しているようにしていた。
バス停の標識もとてもローカルで、市街地では電光掲示板タイプや四面タイプのバス停が普及しているのに、ここにあるのは昭和からある伝統的なポールに金属板を取り付けて塗装してあるだけのシンプルなものだ。それだけならまだしも、あまりに古いため塗装のはげが著しい。路線は一本しかないので目印にさえなれば十分だと思われているらしく、数年前に新しくなった時刻表は金属板の表面に時刻表がプリントされた紙が貼られ、その上をビニールで覆っているだけだった。
高校を卒業するまであと二年近く。それまでに新しくなることはきっとない……。
意味不明な哀愁を思いながら道子がバス停のてっぺんを見上げた時のことだった。
空の彼方で、何かがきらりと光る。
それは一言も声をあげられないうちに、道子の足もとに落ちてきた。
ドゴンッ、と重たい音を立て、アスファルトの道にめりこんだのは、2頭身……いや、2.5頭身くらいの、毛皮のチュニックみたいなものを着た男の子。
道子は思わず叫んだ。
「きゃーかわいい!」
「口の悪さに似合わず、かわいいもの好きだよね」
銅森の冷ややかなツッコミに、道子はぴしゃりと言い放つ。
「黙らっしゃい! ──ぼうや、大丈夫?」
「その台詞、どこをどう突っ込んでいいかわからないんだけど。でもって、大丈夫か確かめる以前に、はるか上空から落ちてきたのにどうして生きてるのかを疑ったほうがいいと思う。現実見ようよ、現実」
今度は無視して、「いたた……」と呟きながら体を起こそうとする男の子の側に屈みこんだ。
男の子の短い髪は柔らかい癖のある褐色で、目の色は青。動かなければお人形さんかと見紛うばかりのかわいらしさだ。
そのかわいらしさに僅かな間うっかりうっとりしていると、男の子は痛みから我に返って勢いよく立ち上がった。
「武器! 武器になるものはないか!?」
「へ?」
「これでいいか──」
男の子はバス停に飛びつくと、懐から光る球を取り出して、それをバス停に押し付ける。すると光る球は吸いこまれ、バス停全体が発光し始めた。男の子はポールを掴んで横向きにしながら持ち上げた。
4歳になるかもわからない小さな男の子が、道子だって持ち上げられないだろうそれを軽々と掲げる姿にびっくりする。
そんなものを振り回されてはこっちが危ないので、道子も銅森も無意識に男の子と距離を置いた。
その直後、項がぞわっとする感覚がして、道子は思わず田んぼが広がる中のある一点に目を向けた。ぞわぞわする感覚はそこから発散されていて、景色に穴が空くように黒い影が出現し、そこから牛よりでかい犬のようなものが現れる。
銅森が反射的に声を上げた。
「狼か!?」
「あれはフェンリルだ! 危ないから退いてろ!」
厳しい声で叫んで、彼は一瞬腰を沈めて跳躍しようとする。が。
ガガガッ
金属がアスファルトをひっかく音がして、男の子は尻もちをついてしまう。
「説明しよう。少年は頭と体の長さが1対1.5のプリティ体格。その彼がバス停のポール中ほどを持って両手に掲げてジャンプしようとした場合、反動をつける際にてこの原理で彼の身長の4倍以上あるバス停の一方の端を地面に擦ってしまうことになる。どうやら彼は、その辺りを計算に入れてなかったらしく、バス停の一番上についている円形の金属板をアスファルトに擦りつけたせいで跳躍の力がそちらに分散してしまいすっころんでしまった」
「わざわざ説明しなくていい。見てればわかることだから」
冷静にツッコミを入れてみたものの、目の前からグルルと鳴き声を上げるでっかい狼(さっき男の子が名前を叫んでいたけど、聞き馴染みがなかったから覚えられなかった)が迫ってきていて、逃げるか応戦するしかないというかなりヤバい状況にある。いや、今から逃げても、あのデカさからしてひとっ飛びで追いつかれそうだ。
それでも一か八か、この子を抱えて逃げるしかない──。
そう決断した道子と、尻もちをついたまま振り返った男の子の視線が絡み合う。
「その瞬間、道子の目の前から男の子が姿を消した。いや、跳躍をして背中に貼りついたのだ」
「だから実況中継はいらないってば! それよりこの場をどうすればいいか──って、えええ!?」
道子の体が勝手に動き、男の子が放りだしたバス停を両手で掴んで頭上に掲げる。
「ちょっ、ちょっと何!?」
両肩に手を置いて道子の背中に貼りついた男の子は、耳元で力強い口調で言った。
「落ち着け。オレがおまえにミョルニルを扱う力と技能を与えてやるから、やつと戦って勝利するんだ!」
「ちょっと待て! これって操ってるって言わない!?」
体は道子の思う通りには動かず、一旦掲げたバス停を脇に構え直す。
パニックに陥りかけている道子の耳に、銅森の興奮した声が届いた。
「フェンリルにミョルニル! ということは北欧神話! 神話を目にすることができる日がくるなんて!」
「場違いな感動してないで助けなさいよ!」
言っていることと真逆に、道子はバス停を構えたまま狼に向かって走り出した。
一人で持ち上げられるはずのないバス停を何故か持ち上げることができても、やっぱりずっしり腕にくる。そのバス停を持って駆ける足もいつもより早く走れる代わりに筋肉が悲鳴を上げている。
パニックが限界値を超えた道子は、思わず叫んでいた。
「今日から全身筋肉痛!」
「余裕そうだね!」
銅森は律義にツッコミを入れる。
「んなもんあるかー!」
と叫びながら、道子の体(あくまで体だけ。自身にそうする意思はない)は大きく振りかぶったバス停のコンクリ部分を狼の頭めがけて振り下ろした。けれどあと一歩のところで逃げられて、アスファルトを思いっきり叩く羽目になる。
大きな音を立ててでき上がったのは、“コンクリを叩きつけただけでこんなになるか?”というようなでっかい穴だった。
「大声を出しながらだと、力を出し切りやすいっていうよね!」
「こんな時にうんちくするなっ!」
得意げに知識を披露する銅森に、道子は声を張り上げる。
道子の体はすかさずバス停を振り上げ、今度は薙ぐようにして襲ってきた狼の鼻っぱしらをぶっ叩いた。今度はヒット。けれど鼻の先を殴っただけなので、大したダメージにはならない。
が、狼を一層怒らせるきっかけにはなったようだ。
体勢が整う前に再度突進してきて、道子の体はコンクリ部分を下にして、時刻表部分の金属板で狼の攻撃を受ける。
「く……っ」
狼がぶつかってきた衝撃が、すでに筋肉痛を訴え始めている道子の体にモロに響く。にもかかわらず、道子の体は更に力を振り絞ってほんの少し押し返し、それから膝のバネを使って大きく跳躍する。
人間の跳躍能力をはるかに超えた、自身の身長の何倍もの高さまで。
ちょー! あたし高所恐怖症っっ!
血の気が引いたその時、両肩に手を置いて道子の背中にくっついていた幼児が、大声で叫んだ。
「ミョルニル!!」
耳元で叫ばれて鼓膜が痛いと思ってる間もなく、バス停が一直線に飛んでくるのを見て道子は肝を冷やす。
しかしそれもわずかな間のことで、道子の体は(←しつこい)バス停のポールを片手でタイミング良くキャッチ。反動を利用して空中で一回転すると、バス停を狼の体に投げ落とす。
ギャウン!
背骨がたわむほどダメージを受けた狼は、恐ろしげに見えるほどでかい体躯にもかかわらず犬のような可愛らしい悲鳴を上げて、先ほど出てきた空間の歪みに駆けこんで姿を消した。
「ちっ、逃がしたか」
ひいいいぃぃぃーーー!
落下途中の高所恐怖症はそれどころじゃない。しかも投げ落としたバス停がまた戻ってきて、頭の中が完全に真っ白になる。
それでも体は操られているために、先ほどと同じく片手でポールの部分をしっかりキャッチし、腰を沈めるように道路に無事着地した。
「おーかっこいい!」
銅森が称賛の声を上げ、ぱちぱちと拍手する。
手にしてるのがバス停で、幼児をおんぶしている姿の、どこがかっこいいんだ……。
ツッコミを入れてやりたかったけれど、へとへとになった道子にそんな余裕はない。
幼児が滑るようにして背中から降りると、道子はバス停をごとんと道路に落とし、両手を突いてその場にへばった。そんな道子がまず思うのは、セーラー服じゃなくてよかったということだ。セーラー服だったら、スカートが派手にめくれて銅森に醜態をさらしてしまっていたに違いない。
近付いてきた銅森は、道子ではなくバス停をしげしげと眺める。
「派手な戦闘だったのに、バス停には傷一つなさそうですね」
「当たり前だ。オレの力を注ぎ込んでミョルニルに準ずる武器に変えてやったからな」
幼児(先ほどから道子の脳内で彼の取り扱いがぞんざいになってきている)とは思えない大人びた口調で話しながら、彼はバス停に小さな手のひらをかざす。手のひらに吸着させるように、光をバス停から吸い取り始めた。
その様子を興味津々に眺めながら、銅森は幼児に質問する。
「ミョルニル! ──を使用するということは、あなたは」
「トールだ」
「やっぱり!」
北欧神話という名称は知っていても、どういう神話なのか知らない道子には、二人の会話はチンプンカンプンだ。だが。
「……そんなことどーでもいいから、バス停を元の位置に戻してよ」
トールと名乗った幼児がバス停を元の位置に戻し、道子は銅森に支えられて畦に置かれたベンチに座る。
道子の隣に座ったトールを挟むように銅森が座ると、ようやく落ち着いて話が始まった。
「トール様は、どうしてそのようなお姿に? 先ほどの戦闘を拝見した様子では、そのお体に慣れてらっしゃらないようですが」
「何で幼児にそんな馬鹿丁寧な口の聞き方すんのよ?」
疲労した体をぐったりベンチの背もたれに預け投げやりに尋ねる道子に、銅森は息巻いて説明する。
「トール様は北欧神話における全知全能の神オーディンの息子にして最強の戦神であり、オーディン神より格が上だとされていたことだってある最高神の一人なんだぞ!」
「要するに、神様だから“様”付けにしたってことね」
「君には神様を敬う気持ちがないのか!?」
「一般的な日本人程度に敬う気持ちはあるけど、それ以前に神様が実体化して目の前にいるということ自体在り得ないから。現実見ようよ、現実」
「君はあれだけの体験をしておきながら、まだ彼の存在を信じられないのか!」
「おまえたち二人は、オレの話を聞くつもりがないみたいだな」
幼児の不機嫌な声が割って入ってきて、銅森ははっと我に返ってトールに目を向ける。
「すみません、トール様。どうかお話をお聞かせください」
「何で幼児相手にそんな馬鹿丁寧」
銅森は慌てて道子の声を遮った。
「君こそ馬鹿か! トール様は短気で有名で、通りかかっただけの小人を火の中に蹴りいれたこともあるんだぞ」
「おい」
「は、はい! 申し訳ありません!」
銅森の怯えっぷりには未だ納得がいかないけれど、事情を説明してもらえないほうが納得いかない。それがどんなに荒唐無稽な話であろうとも。
そんなわけで、道子は無言に徹することにする。
銅森の聞く姿勢に満足したトールは、妙に深刻ぶって話し始めた。
「一撃で敵を打ち砕き、再生ももたらすことのできる俺のミョルニルが、何者かに盗まれてな。父オーディンの厳命で、自力で取り戻さなければならないのだ。父はオレがミョルニルを盗まれたことに酷く腹を立てて、ミョルニルを取り戻すまでの代わりの武器を貸してくれる代わりにオレから力を抽出して光の玉にしてしまった。その力を物に注ぎ込むことでミョルニルと同等、いや、それ以上の武器を手にすることができるのだ」
一撃で倒せなかったんだから、ミョルニル以下なんじゃないの……?
武器より自分の力が劣ると認めるのは、彼の矜持が許さないのだろうと理解して、道子はこれも黙っておくことにする。
銅森は別の意味で首をひねった。
「あれ? ミョルニルは確か、使用者に合わせて大きさも変化するはずだったと」
トールは眉間に作っていた皺を更に深くする。
「その性質は力に反映されなかったようだ。……で、ミョルニルと同質の武器を作るために、力を抜かれたオレは、このようなちんまい体になってしまったというわけだ」
……だから、幼児なのに偉そうな喋り方なのか。
脱力して体の疲れを癒しながら、道子は心の中で呟く。
銅森との話を終えたトールは、今までとは打って変わって機嫌のよさそうな顔を道子に向けた。
「最初はどうなることかと思ったが、ちょうどいいところにおまえがいた。おまえの体を使うのは初めてだったから少々上手くいかなかったが、なかなか使い勝手がよかったぞ」
道子ははっとして、ベンチの背もたれから体を起こし、銅森を指さしながらトールに迫った。
「それで聞きたいことがあったんだった! 何で男のこいつじゃなくて、あたしなの!? フツーこういう場合男を選ぶもんでしょ!」
怒れる道子をあざ笑うかのように、トールはふんと鼻を鳴らす。
「どっちが戦闘に向いてるかなんて、一目瞭然じゃないか。そっちのヒョロっこいのなんて使い物にならん」
「だからって、花の女子高生を戦闘に駆りたてるなんてあんまりだ!」
トールは不意に真剣な顔をして、真っ直ぐ道子の瞳を見据えた。
「先刻の戦闘はおまえだから耐えられたんだ。この男を利用してたら、最悪おまえたち二人とも死んでたかもしれん」
そう言われてしまうと、これ以上文句言えない。
しゅんとしていると、トールは満足げに語った。
「そういうわけで、おまえに俺の力で作られた武器を使用する名誉を与えたのだ。人の身に余る栄誉を光栄に思え。何しろ俺の力だ。その気になれば、大地を裂くこともできる」
「大地を裂くといえば……」
すぐ近くにあるアスファルトの凹みと、少し離れたところにあるでっかい穴と、その側にあるぼこぼことアスファルトが割れた場所を見遣る。近くの凹みはトールが落ちてきた時のもの。でっかい穴はミョルニルを振り下ろした時のもの。その近くにあるでこぼこは?
「そういえば、道子ちゃんが踏ん張ってた時、ローファー履いた足がアスファルトにめり込んでたんだよね。あれってどうなってるのかなぁって聞いてみたかったんです」
「ミョルニルが傷一つつかない性質を持つのと同じように、道子ちゃんとやらにもそういう性質を付与してやっていたんだ。ミョルニル探しの供にしてやるから、ありがたく思え」
不遜に言い放たれ、道子はすかさず応戦する。
「謹んで辞退申し上げます。てか、体を保護できるとかいう魔法が使えるなら、筋肉痛を何とかしてよ!(現実を見ろと言いながらも、道子は無意識に話題に順応しつつある)」
「筋肉痛? 何だそれは?」
本気でわからない様子でキョトンとするトールに、道子はがっくり肩を落とす。知らないものを説明したところで、理解を得られなければ徒労に終わる。今はそんなダメージを受けられるだけの気力がない。
と、はるか遠くからバスのエンジン音が聞こえてきて、道子はさーっと青ざめる。
「ね、ねえ、トールの力は現実世界に干渉しないとか、実は結界が張られてて結界を解くと道が元通り……てことにはならないの?」
辺り一帯の惨状を見て、バスの運転手(ならびに乗客)が驚かないわけがない。説明なんかできるわけないと頭を抱える道子に、銅森はしれっと言った。
「それ何のゲームだか小説? そんな都合よくいくわけないじゃないか。現実を見ろよ、現実を」
「ここで現実に戻るかおのれはっ!」
すかさず言い返しながら、道子は心の中で泣きごとを言う。
これ、どう言い訳したらいいのよ~。
言い訳を思い付くまで到着しないでという道子の願いも虚しく、バスは刻一刻と近づいてくるのだった。
おしまい