ドライブ(2)
前回、生まれてない時期に二俣が写真に写っていた『子供二俣事件』は、「気のせいだろう」でかたづけた。大体、いないんだから本人なはずがない。幼児なんて端から見れば似たり寄ったりなものだ。
・・・が、当の本人は納得しなかった。
写真があったHP『芽久野銅山の思い出』の管理人に連絡し、出典が『芽久野銅色の会100周年記念』の刊行物であるのを突き止めると、いつ撮られたものなのか・撮影者は誰か・被写体は誰かを連絡がつく会員に片っ端から問い合わせたらしい。山を管理・運営していた会社にも確認し、ついでにネット上の出身者コミュニティーまで発見して、当時のことを色々聞いたという。なんという迷惑な。
結局のところ、写真については何一つ新しい情報はなかった。
しかし、別な・・・というより、とんでもない事実が明らかになった。
■ 前々から伊瀬が主張している『すでに休山している』のは事実だと言う事
■ 銅山があったあたりには、今は誰も住んでいないし、建物も一切残っていない事(?!)
さらに、二俣が前回取材に協力してくれた人々に連絡しようとしても、連絡がつかないという事・・・。
もはや彼の書いた記事はオカルトになってしまったのだ。
幻でも見たんだろう、と言いたかったが、とんでもない。
二俣は「写真」を撮っていたのだ!しかもフィルムカメラの日付入りで・・・。
唖然。
「あの場所は何かありますよ。」
二俣は、重大な秘密を嗅ぎつけたベテランの記者の様に、ちょっと気取って言って見せたが(そりゃ何かあるだろうさ!)、その時の伊瀬にとってはどうでもよかった。
この創刊号の準備や手配でクソ忙しい時に、片手間に余計なことをするんじゃないっ!と怒鳴る時間も惜しいくらい、コマのように動き回っていたからだ。途中で人員が増えたため引き継ぎや指示にも頭を悩ませ、あがってきた記事を何度もリテイクし、編集部と取材地・印刷所という往復の毎日。
無事、発行までこぎつけたから良いようなものの・・・
ここまで思い返して、再び二俣への怒りがフツフツと沸き上がってきた。片目を開けて様子を覗えば、オーディオから流れてくる変な曲を口ずさみながら、楽しそうにハンドルを動かしている。黙ったきりの助手席も気にせずに普通のドライブを満喫している様だ。
大体からして俺はこの音楽も好かない!寝て良いと言うが、こんなビートの効いた狭い車内で眠れるか!
・・・でも、まぁ。と二俣の横顔を見ながら思う。
伊瀬が徹夜明けなら、二俣も徹夜明けだ。たとえ余計な調査を抱えていたとしても、初期からずっと過密スケジュールだったのは一緒である。最初に駄目出ししたのを根に持っている風でもない。片や疲労困憊の伊瀬との違いは、若さだけではないだろう。
ハマっちまったんだな。
伊瀬にも覚えがある、取り憑かれたようなその感覚。今思うと何が珍しかったのかわからないものでも寝食忘れて調べ回り、上司にダメ出しされても尚、こだわり続けたものだ。
まぁ書いた物は善し悪し以前の出来だったけれど、対象を追い続ける執念(というか執着というか)や覚悟が身についたし、あれは無駄ではなかった。と、思う。
物書きには一度は訪れるもんなのかもな。・・・それなら、協力してやろうかな。
オカルトには関わり合いになりたくないのだが、まぁまぁかわいい後輩のためだ。伊瀬は携帯を取り出した。
「二俣ぁ、旭川あたりでメシな。今度はちゃんと寄れよ。」
「わかりましたよ、了解です。」
「それと途中で富良野寄れ。」
「え、そこ全然途中じゃないじゃないですか!違う道使おうと思ってたのに。」
二俣がギョッとしてこちらを見る。
その表情に内心満足しつつ(へへん、思い通りにさせてたまるか)、顔は至ってまじめに、ゆっくりとした動作で相手を見返す。
「1~2時間遠回りになってもいいだろ。俺の知合い紹介してやるよ。」
伊瀬は携帯に耳をあてた。