03「どうやら妹は兄力が足りないようだ」
「ん、んん……」
4月8日の朝。つまりは俺の高校生活二年目としての新しい朝。
カーテンの隙間から差し込む暖かな春の陽射しが、今日は晴天であると教えてくれる。まあ、これからの学校生活を考えるだけで憂鬱だというのに、天気まで憂鬱だとたまったもんじゃないしな。その辺りはお天道様は空気を読んでくれたようだ。
携帯の時刻を確認すると現在8時10分。朝のHRの開始が8時40分から。自宅から学校までは徒歩15分で着くから、マッハで朝飯と洗顔、着替えを10分で済ませば後5分は寝ていられる。よし。
そうと分かれば一秒でも時間が惜しい。さっそく夢の世界にへとアゲイン―
「……んにゃ」
…………んにゃ?
再び布団の中に閉じこもろうとすると、今更ながら腹の辺りに何か温かなモノを感じる。
鳴き声から判断すればおそらく猫だ。だが喫茶店を経営している我が家は猫どころかペットは厳禁。どこからか家に侵入した可能性はあるかもしれないが、俺の部屋は窓も扉も鍵をして閉めている。それで部屋の中に侵入が出来たらホラーだ。三毛猫なホームズでも無理だろう。そもそも触った感触からして猫の毛触りではなく、もっと柔らかな―
「あ、あぁん。お、おにー、ちゃん」
「っ―――!?」
聞こえるハズのない声が聞こえた瞬間、俺はベッドから勢いよく飛び起きて布団を捲り上げる。
「あっ、お兄ちゃん。グッドモーニング」
「な、なななななんでアキが布団の中に――!?」
そこには淡いオレンジ色を基調としたボタン式の可愛らしいパジャマを“上半身だけ”着た妹がいた。下は肉親でも直視するのはマズい黒のシューツで、中がうっすらと透けて見える所謂大人の下着で―――!
「お兄ちゃん、セキリュティが甘いよー。あんなんじゃはじまりのダンジョンの方がまだマシだよ?」
「だ、だって鍵かけてたのに……!」
「ピッキングした」
「そこは魔法って言うんじゃないのかよ!?」
って、いかんいかん!俺まで厨二病みたいな発想をしてどうする!
「私って解錠魔法苦手なんだよねー。そーゆー細かい魔法苦手だし。だから手作業の方覚えたの」
「手作業の方が絶対細かいだろ!?なに兄の知らないところで犯罪スキル上げてんの!?」
「それにこっちの世界は大気に魔力が存在しないから、魔法を発動出来ないみたいなんだよねー。魔法使えればお兄ちゃんを信じさせられるのに」
ムスーッとリスのように両頬を膨らます妹は非常に可愛い……って、違う!
「何でお前は兄の部屋にピッキングしてまで侵入してるんだよ!?俺の部屋に宝はないからね!?」
ぶっちゃければベッドの下の空間と本棚の奥、それと二重底になっている机の中には俺の秘蔵のマイベストという秘宝があるが、それは妹からしたらゴミ屑のようなものだから言う必要はない。というより言ってしまっては兄としての尊厳が全て失われてしまう。
「兄力が足りないのー!だから充電させて」
「兄力って何!?」
「全世界の妹が生きるために必要な力、謂わば血のようなものだよ。だから妹は兄とのスキンシップが不可欠なの。向こうじゃ魔力は充分だったけど兄力は常にカラで死にかけだったんだから」
「全世界でそんな力を必要としてるのはお前だけだから!?てか、よく死にかけで魔王と戦えたな!?」
「兄力がMAXだったら魔王を瞬殺出来た自信があるよ!」
「そんな自信いらん!」
近所迷惑も省みず、俺達は言い合い続ける。朝から血圧が上がりそうだ。
「第一なんだよ、その……その下着は!?いくらなんでもお前にはまだ早過ぎる!」
「えっ?だってお母さんがお父さんを悩殺する時はいつもこれだから、お兄ちゃんも悩殺出来るって……」
「おふくろ―――!!」
ベッドに座ったままの妹を放置して、俺はリビングで家事をしてるであろうおふくろの元に向かう。
そこでは呑気にトーストを食べながら今週の星座占いを見てる母親がいた。
「あっ、ナツ。気を付けなさい。あなたの今週の運勢は12位みたいだから」
「納得!……って、違うわ!?」
おふくろにツッコミながら俺はテレビの画面を確認する。そこには確かに自分の星座である獅子座が12位と。
……ラッキーアイテムが「若さ故の過ち」ってなんだ。アイテムでも何でもないじゃねーか。
「なに自分の娘に自分の勝負下着渡してんだ!しかもそれで兄の部屋に送るとか何考えてんだ!?母親ならそういうの注意しろよ!」
「避妊はちゃんとしなさいよ」
「どこ注意してんだ!?」
朝から汗を流して必死に叫ぶ俺に対して、おふくろは無表情でマイペースなまま二枚目の食パンにジャムを塗って食べ始めた。……なにこの温度差?
「あんた15の妹が17の兄のベッドに潜り込むことがどんな状況かちゃんと理解してる!?」
「萌える状況ね」
「萌えるかっ!」
……はあ、はあ。朝から何で俺はこんなに疲れなきゃいけないんだ。
確かに妹が入院してた三日間のあの暗い雰囲気よりは全然マシなんだが・・。
「ナツ」
「な、なんだよ……」
「時間ギリギリよ」
「あんたのせいだよ!?」
時計を確認すると既に時刻は8時26分。これは学校まで走らないとマズい時間だ。
俺は朝食を諦め、軽く顔を洗ってから急いで部屋に戻って着替える。……妹は今日はまだ休みのため、人のベッドで気持ちよさそうに二度寝していた。悔しいから額に油性ペンで「勇者(笑)」と落書きしておく。ざまあ。
そうこうしてる内に時刻は8時29分。俺は急いで家を飛び出した。
「ふぃふぇらっふぁーい」
……三枚目の食パンを食べ始めたおふくろに見送られて。
◆◆◆
「つ、着いた……!」
時刻は8時38分。HRが規則上40分から始まるとしても、律儀に40分ちょうどに始める教師は殆んどいない。だいたい3、4分遅れるものだ。それを踏まえてもまだ余裕がある。
息を整わせながら歩き始めると、下駄箱前が騒がしい事に気付く。それもそのはずだろう。今日は新学期のため、下駄箱の入口の壁には新クラスのメンバーが記された用紙が貼られているのだから。
その用紙に群がる学生達からは、歓喜の声や悲鳴じみた声まで聞こえてくる。
自分がどのクラスになったかは非常に気になるが、夜の電灯に群がる虫のような学生達の中に突撃するのは中々気が引ける。だが、人が散るのを待っていたら、せっかく走ったのにも関わらず遅刻してしまうかもしれん。
俺は決死の覚悟で学生達の群れの中にへと突撃する。
(―っと、俺は何組だ?)
俺は8組ある中から1組から順に自分の名前を探していく。
幸いな事に俺の名字は「一ノ瀬」。名前はアイウエオ順で記されるので比較的楽に名前を探す事が出来る。だが思いの外に自分の名前を見つける事が出来ない。ようやく見つけた名前は8組目の2番目。そこには間違いなく「一ノ瀬 夏樹」と自分の名前が記されていた。
(はっ、8組……!?)
俺の学年の総人数は何でも今までで最多らしく、他の学年が7組に対し俺の学年は8組ある。
2年生からは一階下がって1組から7組まで三階の教室を利用するのだが、8組だけは教室の数の関係で、新入生と同じ最上階である四階。しかも特別教室を使うことになる。
つまり8組とは学年からハブられたクラス。2年目だというのに新入生と同じ扱いを強いられたハズレのクラスだ。
しかも考えてみてくれ。どの時期でも嫌だが、特に夏など四階まで昇らされるだなんて苦行以外のなにものでもないだろ?さらには遅刻ギリギリの時には四階まで駆け上がらなければいけないとは・・。
「はあ……」
その事を考えただけで遅刻常習犯の俺は自然とため息が漏れた。
新学期初日の初っぱなからこんな憂鬱な出来事が起きていいのだろうか。
ただでさえハズレのクラスだというのに―
「うむ。やはり俺達の絆はクラス替え如きでは断ち切れなかったようだな」
「……三沢。まさかまた俺はお前と同じクラスなのか?」
「同じ教室にいるのだから当たり前だろう。違うクラスなのに初日から他クラス、それもわざわざ8組に出向くほど俺はウサギちゃんじゃないぞ」
……またコイツと同じクラスになるとは。
心臓破りの階段を登って8組の教室についた俺を待ち受けていたのは、幼なじみの黒髪美少女でも俺にいちいち突っ掛かってくるツンデレな委員長ではなく、ニヒルな笑みを浮かべた悪友だった。……いや、幼なじみの黒髪美少女やツンデレな委員長なんて実際にはいないんですけどね。願望だよ願望。
「……ここまでくると最早学校側の陰謀としか思えないな」
「去年も同じ事を言っていたぞ一ノ瀬」
「そのツッコミも去年聴いた」
真面目な事に学ランのボタンを全て閉めている目の前の男は三沢。で名前は……忘れた。どうせ呼ぶ必要がないしな。
俺と三沢の関係を簡単に説明すれば先程伝えた通り悪友というのが一番しっくりくる。ちなみに悪友と書いて腐れ縁とも読む。
俺の通う学校、正式名称が青南学園。生徒達からは青学などの略称で呼ばれており、中高一貫のエスカレーター式の学園。さらにはこの学園はちょっとした金持ち学校で、ここに通う生徒の大半はお金持ちである。そんな学校に自宅が喫茶店な俺が何故入学出来たかは未だに謎だ。
俺みたいな例外は置いといて、目の前にいる三沢は父親が「三沢製薬」というCMでお馴染みの会社の社長らしい。なんでも大抵の病気ならば治す事が出来る薬を開発したんだとか。・・三沢の性格もあって俺はいささか信用出来んが。
他にも大企業の一人娘や大手料理店の子などがこの学園に多く在籍している。
……話がだいぶ脱線したな。
そんなわけで中学1年からの今までの4年間。俺と三沢はずっと同じクラスなのだ。ここまで一緒だと他の奴らからは「二人は運命の赤い糸で繋がっているのね」と言われたが、当人である俺からしたらまるで笑えなかった。
「にしても、いつも以上に冴えない顔をしているな一ノ瀬。妹君は退院して、おめでたいはずだと思ったが何かあったかの?」
「一言余計だ」
「っと、すまない。やり直そう。……おほん。いつも以上に冴えない顔をしているな一ノ瀬!」
「それが余計な一言なんだよ!?」
三沢の場合わかって言ってるからこそタチが悪い。
……が、コイツ以外に相談出来る相手もいないので、俺が今悩んでいる妹の症状について打ち明けることにした。
「……なるほど。それはなかなかの重症だな」
「ああ。本人も完全に自分が勇者だと思い込んでる。正直見てて痛々しいよ」
いつの間にか二人で窓から遠い空を見つめて話し合っていた。
今、俺達のいるこの教室だけがまるで別世界に迷い込んだように静かだった。
「やはり血は争えんか」
「ど、どういう意味だ?」
「どういう意味ってお前も中等部の頃に同じような症状を発症していただろう。確か『三沢……お前から嫌な匂いがする。くれぐれも背中には気を付けな』だったか?」
「ぬがああああああああああああっ!!!」
俺の!俺の黒歴史臥ああ亜あああ■■■■■■■――!!
「落ち着かんか」
「痛っ!?……っと、あ、ありがとう三沢。あともう少しであの頃のように厨二病に呑まれちまうところだったぜ……」
「若干呑まれてるぞ」
「はっ―!?」
ちがうチガウ違う!俺はもうあの頃の俺じゃない。厨二病はもう卒業したんだ。冷静に、冷静に……よし。
「一ノ瀬妹の症状については少し俺に考えがある。それについては後で教えてやろう」
「はっ?いやいや、勿体ぶらずに教えてくれよ」
「おかしいとは思わんか一ノ瀬」
三沢は振り返って教室の扉にへと向かっていく。どうしたんだ?
「現在時刻は8時52分。だというのに、教室にいるのは俺達二人だけだ」
「そういえばそうだな。皆まだクラス表の前で騒いでるんじゃないか?」
「そんなわけないだろう。今日は新学期。1限目は始業式だ。つまり―」
つまり?
「既に皆は体育館で入学式を行ってるというわけだ――――!!」
「ちょっ――!?道理で静かだと思ったよ!てか結局遅刻かよ!?」
……朝の占いも馬鹿には出来ないな。切実にそう思う瞬間だった。
なんやかんやで仲のいい二人。 というより母親が一番書きやすいw