あじゅ4
有休が終わる。
雨はすっかり上がり浩が広島に帰る用意をしていると
あずが部屋に入ってきた。
「おじさんのところに行くわよ」
-どこのおじさんですか?
「お願いしたいことがあって。付いてきて欲しいのよ。」
-はい。いいですよ。遠くですか?
「丸尾の花雪温泉あるでしょ?あの辺。」
-すぐそこですね。
国道を下って歩いて数分。丸尾の大きな自然石の石碑が3つ建っている前であずが歩みを止める。
-何にもありませんが...
「ちょっと待って。まぁ、見てていなさいよ。」
あずが小さなドリンクを取り出して石碑の前に置く。
すると。
辺りが真っ暗になって、声が聞こえる。
「誰だ。儂に何か用か?」
浅めのエコーに、かかり過ぎのディストーション。
「おじさん、ふざけないで。」
ぱっと明るくなって...目が慣れるまで30秒近くかかっただろうか。
龍がマイク持って、ちょこん、と立っている。大きさが1メートルくらいの。
「だってお前、久しぶりだし。なんか知らない人連れてきてるし。」
「...もしかすると、番なのか?渋が下の?」
「ふ・ざ・け・な・い・で!」
あずさん、本気で怒ってる?
「だって、上を飛んでいったじゃないか。手を繋いで。」
「まだ言うつもり?」
あずは酒を持って帰ろうとする。
「あ、いや、わ、悪かった。な、それを置いてゆけ。」
「おじさん、酒しか見えてないでしょ? 何処の酒かまで、見えているのぉ?」
「まてまて。赤名の酒じゃないか!」
「そう。おじさんの故郷の。」
ー龍に故郷ってあるんだ。
「故郷っていうか。この人、配置換えさせられたのよ。」
「もともとは赤名の守りをしていたのよ。八岐様の斐伊川が本店だとしたら、赤名の神門川は第一支店。」
「このおじさん、元第一支店の店長。すごい偉い人だったのよ。だけどお酒を呑みすぎると、てんで駄目になっちゃうの。」
「そんなんだから、配置換えの上で、お酒買いに行けないように大きな石で八俣様に縫い止められて。」
-それで、ここに?
「そう。それでもここで暴れちゃって。」
「縫い留めが甘かったらしく、わざわざ人型にまでなって酒屋がある小田の農協まで出掛けて、一升瓶で買ってきちゃって、帰りながら一升いっぺんに呑んで丸尾まで大暴れ。」
「縫い留めが甘いってことで、花雪温泉の温度を下げられて。この人がお酒呑んだら温泉の温度が上がって分かるようにして、その上二度と動けないように、って石を増やされたのよ。」
ーだから、時代の違う石が三つも。
「仙山川と田儀川の合流部の大きな段差、そして丸尾の南側の崖。この人が酒呑んで暴れた跡。」
ーすっごいパワーですね。
龍が情けなさそうな顔で
「おいおい。もういいじゃないか。」
「よか無いわよ。あたしたちが大雨の時、何してたか、見てたよね。」
「おお。見事に山を崩したもんだ。」
「そもそも、誰かさんが、酔って暴れて、流路に段差付けたからだよね?」
「あっ・・・」
語るに落ちた白竜。
あずが詰めよる。
「おじさん、山を留めて。」
「・・・まだ動いとるのか?」
「ええ。このままだと街に被害が出るわ。」
「儂、今、力出んし。」
「あたしが出来るならとっくにしてるわよ。でもね、たとえあたしの体型がお相撲さんになったとしても、あれだけのことは出来ないわ。規模が大きすぎて器が足らないのは分かるわよね。」
「だから、おじさんが山を留めることができるだけのものを持ってきたんじゃない。」
「それから「何もしない」はないわ。もし何もしないなら、八岐のおじさまに言いつけるわよ?」
「わっ、わかった。仕方ない。たしかに儂のせいでもある。儂のせいでもあるが、しかし、100ml、これ一本かぁ・・・」
白竜の声がだんだん情けなくなる。
もしも、これからも仙山川の面倒をちゃんと見るなら、たまに赤名のお酒を持ってきてあげるわ。
「本当か?」白竜が小躍りする。
「だけどそれは浩に自分から頼むのね。おじさんがお願いするの!」
「ええ〜。」白竜が落胆する。
「浩が広島から戻ってくる時に赤名に寄って買ってきてくれるわ。だから、頼むならおじさんが浩にお願いするのよ。だけど、その前に浩に謝るの。」
白竜は浩をちらっと見る。むちゃくちゃ葛藤しているのが浩にも分かった。浩はなんだか白竜が可哀想になってきた。
ーあず、何で白竜は僕のことを拒否しようとしてるんだろうね?
「このおじさん、まだ自分が偉いと思ってるのよ。でも、それは間違っているし反省も足らないわ。」
「杵築と保知石は今は拮抗状態だけれどいずれ争いになるかもしれないの。それまでにこのおじさんの姿勢もしっかりさせときたいのよ。」
白竜が話し始める。
「んんっ。ひっ、浩殿と申したか。此度は儂の不徳のいたすところで貴殿に大変な迷惑をおかけし申した。この通り謝罪をさせて頂きたい。受け入れてはくださらぬだろうか?」
少しお辞儀をしながらも、様子をうかがうように目線をちらっ、ちらっと、こちらに向け、お腹がすっごい痛い時、トイレを我慢しているときのあの表情にも似た白竜の表情が、面白すぎて浩は吹き出しそうになった。そしてこれはもう、許しあげるしか無いと思った。
「白竜様。その様にもったいないお言葉を頂けましたことを嬉しく思っています。今までこの地をお守り頂きましたこと、これからもお守り頂けることに感謝致します。」
白竜の表情がぱぁっと、明るくなった。
「そうか!許してくださるか。いやぁ、ありがたい。そして次は浩殿はいつこちらに戻って来られる?」
「おじさん!」あずがたしなめた。
白竜石からの帰路
二人は国道を通らず、旧山陰道の細い道を歩いて昔屋敷が建っていた大正屋の跡を見ながら、渋が下まで歩いている。ここは旧山陰道。
旅人は花雪温泉で疲れを癒やし、渋が下で喉を潤していた。
あずが立ち止まって逡巡している。
ーどうしたの?
「もう一箇所、行っても良い?」
ーええ。良いですよ。
西に向かって歩きながら話し始めた。
ー僕は知らないことだらけだ。
「仕方ないわよ。まだ浩は当主でないからいいのよ。今は修行中だと思って。」
ー八岐のおじさまって言ってたよね?
「おじさまは、おじさまを筆頭にある一族が保知石を中心に代々斐伊川の守りをなさっているわ。」
ー八岐のオロチ?
「あっはっは。浩は神話の読みすぎ。八岐のおじさまはオロチなんかじゃないわ。」
ー神話が違うと?
「そうよぉ?時代はいつも口先が上手い人が物語を綴るの。みんな頭に入りやすい、飲み込みやすい甘口の話を選ぶわ。」
ー実際はどうなの?
「実際は、海運、貿易で財を成すした杵築と治水、製鉄、農業で民を潤す保知石の争いね。」
「杵築は口が上手く人を巧みに操るわ。そして八岐のおじさまは神門の水海を陸に変えたことで杵築の力を削いだわ。」
「だけど拮抗したまま、ずっと争いは続いているの。」
ーそうなんだ。
「浩は今広島に居るけれど、これも意味がないことじゃないのよ。」
ー僕は自分で選んだ進路の積りだけど。
「それは勿論そう。だけど、それも必ず浩の道の途中なのよ。」
二人は旧道を西に下り開けた場所まで出てきた。
稲が風の形をきれいになぞりながら波模様を描いている。
鰐走の社の前であずが言う。
「バケツ借りるわよ〜。」
中から「お〜!久しいのぉ。使え、使え。」
少しエコーが懸った返事が帰ってきた。
浩は思った。皆、マイク持っているんだろうか?
あずが渚でニナ(小さな巻き貝)を拾い始める。
ー手伝うよ。
浩も並んでニナを拾う。
そしてバケツいっぱいのニナが集まった。
掛戸に向かって歩き始める。
「浩、バケツ持ってて。」
ーどうするのこれ?
「まぁ、見てて。」
あずが水田に向かって声を掛ける。
「あお〜〜〜〜〜!」
「あお〜〜〜〜〜?」
ーあお?
「まぁ、見てて」
「あ〜〜〜〜〜お〜〜〜〜〜!!」
『うるさいわねっ!』
「久しぶり。あお。」
あずの視線の先を見ると、水田の中に白いワンピースを纏ったナイスバディな25歳位の女の人が立っている。
『なんか用事?見せびらかしに来ただけなら、あたし帰るから。』
「お願いがあってきたの。」
『あら?この人とあたし、付き合わせてくれるの?ありがとう。』
「ちっ、違うわよ。」
『ひっどーい!!やっぱ、冷やかしじゃない。ええ、ええ。そりゃ仲のよろしいことでっ!。どうせあたしなんか...』
しくしく泣き始めるあお。
「何言ってんのよ。ね、これな〜〜んだ?」
浩の持っているバケツを指差すあず。
『まぁ、ニナじゃな〜〜〜い♥』
一転破顔するあお。
ーいや、すぐそこなんだから。採りに行けば...。
「結界張られているから無理なのよ。」
ーなんかやらかしたんですね?
「まぁね、だけど本人の名誉のため内緒よ。」
「お願いがあってきたのよ?」
『...どこに行きたいの?』
「話が早いわね。大好きよ。」
『やめてよ。あたしは男の人がい〜い!』
「冗談が通じないわね。神話時代の赤名。」
『え〜。面倒ぉ〜〜〜い!』
「ニナもあげるから。さ、浩にニナを下さいって。お願いして?」
『なんでぇ。あたし、仕事させられて、お願いまでするのぉ?』
「いいのよぉ。あたしはどうでも。」
低い声であずが両手を前に出し、指揮をするような例の振りを始めた。
『あっ、嘘!冗談!それは嫌っ!』
「あおは、あたしの言ったことが分かってるものね。」
低い声であずが続ける。
『ひっ、浩様っ。私にそのニナを下さいませんでしょうか?お願い致します〜。』
妙齢のお姉様が両腕を肘のとこから手を合わせて懇願している。
ーこれは何の罰ですか。
「いいのよこれで。」
『じゃ、二人とも手を繋いで。帰るまで繋いだ手を離しちゃ駄目よ?どうなるかわかんないわ。』
『いい?チンって言うまで目を開けちゃ駄目よ?目を開けたらそこで時代が止まるわ。途中下車になっちゃうから。それだけは気をつけてね。』
『それからこの石を渡しておくわ。』
あおが細長い片方の先が尖った石を浩に差し出す。
『この石はね、石を手で強く握ると時が進むわ。それから尖った方を胸の前に出すと、その方向に場所が進むわ。帰るときは石を上に放るの。』
『そして干渉は出来ないわ。声も届かないし、姿もお互いに見えない。わかった?』
ボロボロに疲弊しきったあおがぼそぼそと話す。
「ありがと。じゃ、行ってくるわ。」
一瞬で真っ暗になり、しばらくすると「チン!」って音がした。
目を開けると、そこは、山の中であった。谷沿いに細く田んぼが続いている。
全長50mを超える立派な龍が琴引山でとぐろを巻いている。
ー凄いですね。
「うん。あれはイメージなんだけどね。」
ーどういうことです?
「ほら、おじさんがあぜ道歩いてるでしょ?」
身長180cmくらいのガッシリとした男が何人か連れて歩いている。
ーええ?二人いる?
「違うわ。だから山の上のあれはイメージ。本体は歩いている方よ。」
ーなんで山の上にあんな事を?
「あたしも初めて見たから。あれで国境を威圧しているんだって言っていたわ。」
ー治水だけでなく大変なんですね。
「浩、時を進めてみて。大雨が降るまで。」
浩が石を握る。季節が進み、年が変わり、梅雨が来て豪雨になったとこで握りを緩め、時を止める。
人型の白竜が、治水のために忙しく動いている。
白竜は一升瓶を一気に飲み干し、腕を組むと青白く光り、越水した水を戻し、切れた堤防をつなぎ直し、八
面六臂の活躍である。
「酒だ!酒が足らん!酒もってこい!」
白竜が叫ぶ。
豪雨の中、近習のものが一升瓶を渡す。
前を見つめたまま、口で栓を齧り抜き、一気に飲み干した途端。
白竜の色が青白い色から灰色に変わった。
「ぬおっ?き、貴様、何を飲ませた?」
近習のものと思っていた人物は、すでにどこかに消えていた。
それからの白竜は、ただの酔っ払ったおっさん。力が全然コントロールできなくなってしまった。
「くそおぉぉぉっ!」
土手を繋ごうとすると、逆に切れてしまい
水を落ちつかそうとすると、逆に水が暴れてしまう。
白竜はだんだんと酔いがひどくなり、その場で倒れ込んでしまった。
「八神へ行くわよ。神戸川のまん中。」
ー分かりました。
石を胸の前で西に向ける。するすると地面が動き、多分、2人が移動しているんだろうけれど
そのくらいの不思議な感触で移動が始まった。
災害時に集まって指揮を取るための場所である八神では、八岐の八人の子供達が囲炉裏を囲んで車座に集まっていた。
子供の一人である蔵屋が顔を西に向ける。
「白竜の、赤名の様子がおかしい。」
「うむ。」兄弟のひとりの堂前も気づいたようだ。
斐伊川は今落ち着いている。佐陀、お前が助太刀に。
末の弟の佐陀が応える「分かった。」
佐陀は赤名に急行し、状況を把握するべく上空から偵察を始める。
「八神、聞こえるか?何人か応援を頼む。俺は白竜を救助し差海に運ぶ。」
差海では、八岐が神社に座っていた。
あれからずっと八岐は神社の祭神として大黒と対峙していた。
囚われの大黒は西を向かされて封じられている。その大黒の魂と、身体がある根の国の線上に差海がある。
身体を根の国に送られてしまった大黒は、杵築に封じられた魂と、どうにかして合体しようと企んでいる。
八岐は大国の体と魂の間に陣取って、大黒の身体と魂が合体しないようにしている。
というのが1つ目の呪。
そして、神西湖の差海川を塞ぐことで、
八岐の本拠地である保知石と杵築の鍵を封じてある知乃宮を水浸しにして八岐の力を削ぎ、
そのうえで神西湖をいにしえの神戸水海までのスケールに戻し貿易を再開させて財を築こうと企んでいる、大国の2つの計略を阻止するため。
というのが2つ目の呪。
八岐が同じ地域に2つの理由をかけると、強力な呪が完成する。強大な言霊を持つ大黒と対峙するには、こうするしか無いのである。
そしてそれが、いくら白竜が窮地に陥っても、八岐が動けない理由でもあった。
そこへ末子の佐陀が、白竜を運んでくる。
「白竜、謀られたな。」
『・・・申し訳もござらん。』白竜がうなだれる。
「何が原因かわかるか?」
『儂は・・・一生懸命やったつもりでございました。』
白竜がどんどん小さくなってゆく。
「儂もそれは認める。しかし。どこかで気が緩み、生来のその優しい性格が裏目に出て組織の緊張をも緩め
てしまったのだ。」
「上に立つものは、強くないといけないが、優しくないと上である資格がない。この塩梅がわかるまで儂の目が届きやすい仙山川での蟄居を命じる。」
『ははっ!』
白竜は伏したまま身じろぎも出来なかった。
ー白龍は陥れられたんですね。
「そうね。」
「でもね。こうなったらお咎め無しではすまないのよ。」
ーそういうことだったんですね。
「さぁ、帰りましょう。」
浩は石を上に放った。
気づくと。そこは渋が下であった。
あずが話しかける。
「お家にちゅいて行ってもいい?」
ーもちろん。今日の晩御飯はなんだろうね?
あずが浩に、にこーと笑いかける。
二人は手を繋いで上佐屋への帰途についた。
最後までお読みくださって ありがとうございます。