3人目:妖精の幸福
年に数度の暗がりの祝日、朝から降ろされた夜の帳で明かり一つ灯らない裏庭に眩い光が落ちてくる。目が焼ける程にまぶしい輝きで夜を切り裂くその光は緩やかな弧を描いて雑貨店を目指し、店先に着地した。
やってきたのは流れ星に乗ってやってきた可愛らしい妖精のお客サン。軽やかな鈴の音色と共に扉が開かれ、仄暗がった店内に光が差し込んで、蝋燭の火がちろりと揺れる。
本日の妖雑貨店の色は眩い光色。店主は読み掛けの目録を置いて入ってきた客に声をかけた。
「おや、いらっしゃいお客さん。今日は祝日ですが、何やらお急ぎのご様子ですね」
物珍しそうに辺りを見渡していた妖精が聞こえてきた方に顔を向けると店主は閉じた扉にかけられている「商い準備中」の看板を指さす。
さされた看板を妖精は不思議そうに見て首を傾げていたがしばらく考えてから、ハッとした顔をして店主の顔目掛けて勢いよく飛んで言った。
「そっか、そっか、そうなのね、今日は一日中アタシたちがやってこれる夜の祝日だから皆さんお休みなのね!」
「そうだね、眩しいお客さん」
「アタシったら、うっかりしていたわ。日を改めた方が良いかしら」
妖精はあわあわと忙しなく店主の顔の周りを飛び回り、騒ぎ立てている。まだ何も店主は答えていないというのにあわてんぼうなお客サンだ。
「いいや、何やらお急ぎのご様子。お客さんの為に本日は特別に営業致しましょう」
ツンっと妖精の腹をつついた店主は番台の端に置いてあったドールハウスの中から、妖精サイズの小さな一人掛けソファとテーブルを用意して座るよう言う。促されるままにちさな足を揃えてお行儀よく椅子に座ると、店主が目録確認のお供にと用意していたウパ特製びっくり木の実パイの欠片をテーブルの上に置き何処からか自分の分と彼女の分のティーセットも持ってきて紅茶を入れ始めた。
「さてさて、眩しいお客さん。当店には一体何をお求めへ?」
「えっとね、何か噂で聞いたんだけど。このお店って何でも願いを叶えてくれるってほんと?」
「あながち間違いではないかもしれないね。正確にはお客さんが望まれた結果をもたらす商品をお届けしているだけだけど」
「……んと?よく分かんないけど結局願いは叶えてくれるってこと?」
「そういう事で大丈夫ですよ。お客さんが国が欲しいと言えばそれを手伝う商品を、汚れが取れる道具が欲しいと言えばお掃除道具を、願いに合わせて商品をおすすめしていますから」
いいながらパイを1口含んだ店主はゆっくりと紅茶に口をつける。
「じゃあさ、じゃあさ、アタシ会いたい子が居るんだけど会えたりす──わ、このパイ美味しいなんか不思議な味!」
妖精も店主に合わせてパイを食べると、文字通り飛び上がって喜ぶ。座ってからもパタパタ足と羽を忙しなく動かしているところを見ると本当に美味しかったようだった。
「これ、中に入ってるのびっくり木の実?夜にはいつも芽がでちゃってるから初めて食べたよ」
「お口にあったようで何よりです。この木の実、ちょっとコツはいりますが夜まで持たせる調理方法もあるんですよ実は」
「えぇー!嬉しい、アタシら昼には行けないからさこんな料理一生食べられないと思ってたんだ」
「確かに、お客さんのような夜を管理する妖精様は昼では生きられないですからね。昼の食べ物はそりゃあ珍しいでしょう」
店主が言うと妖精は堰を切ったように夜でしか過ごせない不便さを語り始めた。
曰く、夜の精霊は毎日星の灯りや月の灯りを家々に灯して回るのが仕事だと。時には夜に住む幽霊や死神といった夜に生きる人達と出会って話したりする機会は有るけれど人に会う事は少ないし、本や雑誌に書いてあるような綺麗な昼の景色を見ることも出来ないし、いくら自分が輝いていても夜に生きる生き物は少ないから面白くないと。
休みの度に図書館へ行ってその退屈を紛らわしていたが1度でいいから昼に生きてみたかったと。
「アタシだって綺麗な朝焼けとか、夕焼けとか太陽に光る海とか!夜になる前の世界みたいんだけど」
「たまにそういった、お客さんはいらっしゃいますね」
「やっぱり?不便だよね、ってそれがアタシたち妖精の役割ではあるんだけどね」
店主はゆっくりとパイを口へ運び紅茶を味わいながらうなづいて言う。
「そういった方のお願いを聞くのも僕の役目なので、是非ゆっくりお話してって下さいな」
今日は彼女のためだけの特別営業だ、思う存分話を聞いても損はしない。
「でもね、アタシもね前々から夜が不便だって思ってた訳じゃないんだ」
「と、言いますと何かきっかけが?」
「あ、そうそうアタシそれの為にこのお店に来たんだった!アタシね昼のお友達ができたの、その子に会いたいんだよね」
「ああ、先程も仰りかけていましたね。昼のお友達とは、それまた珍しい」
残り1口となったパイを残念そうに食べた店主が首を傾げると、妖精は大きく首を動かして肯定を示した。
「本当にたまたまでね、アタシが毎日通ってる図書館があるんだけれどそこで借りていた本に手紙が挟まっていてね。嬉しくなっちゃって、アタシ試しにお返事を書いてみたの」
「なるほど。文通ですか、何かと便利になってきたこの頃にとっても素敵な出会ですね」
「でしょ?でね、次の日に同じ図書館の同じ本を開いたらちゃんと返事がきてたのよ。そこから仲良くなったんだけど、その子ね、昼の妖精の子らしくて」
「それでそのお相手の方とお客さんは会いたいと言うわけだね」
大正解と妖精は飛んで光の軌跡で丸を作り、蜜蜂の8の字ダンスのようだと店主は笑う。
「もちろん、その願いを叶えることは可能だよ」
「え、じゃあお願いしたいんだけど!」
「でも、その分の対価は頂かないと行けないね。お客さんとお客さんのお友達から」
店主の言葉に身を乗り出していた妖精は困った顔をする。
「アタシだけが支払えばいいんじゃないの?」
「お客さんだけの願いならね。でもそれはお客さんとお友達、2人の願いでしょう?なら、2人分の対価を頂かないと叶えられないな」
「う、そうかも……アタシはどうしたらいい?」
煙管をふかしながら店主は答える。
「お客さんの願いを叶えるのは僕は構わないよ。だからちゃんと二人で話し合ってからおいで」
妖精は少し悩む。自分は何を支払ってもいいと思っていたが、友人のあの子に支払わせるなんて考えてもいなかったのだ。
「でも、あの子に断られたら?」
「そしたら諦めた方が良いかもね」
店主の答えに妖精ら頬を膨らませる。
「店主さんなんか意地悪。でもそうだよね、会いたいのアタシだけかもしれないもんね」
「そうだな、君だけの願いなら少しだけ叶えてあげられなくもないよ条件付きで」
「えっと、その条件ってのは?」
しょんもりとした様子の彼女に、店主は少しだけ申し訳なく思ったのか助け舟を出してやる。
「姿を見て話すことは出来るようにしてあげる、その代わり手を繋いだり抱きしめたりは出来ないしガラスごしに1度きりだけれどね」
店主の言葉に妖精は顔を上げて笑顔を見せて頷く。
「そうだな、次の満月の晩もう一度この店においで。昼の間にお友達の子もこの店に来るように伝えておいてくれたら、初回特別サービス、対価は貰わず無料で君達が1度だけ会えるようにしてあげるよ」
「それは悪いよ、ちゃんとアタシだけの対価は払う。何を渡せばいいか教えて」
店主が首を振っても妖精は対価を支払うと言って譲らず、しばらく睨み合ったあと店主が仕方なく夜の妖精の祝福が欲しいと言った。
「そんな簡単な事でいいの、ほんとに?」
「その代わりちゃんと二人で話してお願いを教えてね。僕はお客さん全員にちゃんと満足して欲しいんだから」
妖精には言わないが、彼女が簡単だと言った妖精の祝福は中々得られるものではないので店主的には得しているため問題は無い。腰に付けていた宝玉の飾りを差し出すと妖精は宝玉に優しく口付けを落とし、店主の瞼にも口付けをして祝福を与えてくれた。
「僕への祝福は余分じゃないかな……でもまあ、ありがとう。それでは、次の満月の日にもう一度ご来店下さいね、お待ちしてるよ」
「わかった!ありがとう、その子に伝えてくるね!」
店主が答える前に妖精はそう言って店の外へ駆け出して行ってしまった。店主はそれを見送ったあと店内に灯していた蝋燭を吹き消して暖簾の奥の作業場に消えて行った。
本日の特別営業はこれにて終了。
◆◆◆
満月の日、約束した通り妖精達はやってきた。
1人は太陽の落ち始める少し前に、1人は月のではじめた夜の始まりに。
それぞれやってきた2人を店主は昼のテラリウムと夜のテラリウムに招き入れ、テラリウム同士を隣り合わせて話せるようにしてやりそれを見守っていた。
「わ、あなたが昼の精霊さん?」
「そうよ、貴女は夜の精霊さん?とても綺麗な白砂色の肌に美しい光の髪を持っているのね」
「そうだよ!貴方は素敵な影色の肌に夜の髪をしているのね!」
「「んふふ、でも顔はそっくりね!」」
テラリウムのガラス越し、姿を見て言葉を交わすことすら今まで出来なかった2人の妖精はクスクスと笑い合う。触れることは出来ずとも同じ空間に存在していることそれだけで嬉しかった。
昼の世界のこと、夜の世界のこと、狭間にある夕暮れや明け方の時間を少しだけ見に行ったことがあること手紙では伝えきれなかった事、夢中で話していた2人はリンっと鈴の音がなる音でハッと顔を上げる。その先には小さなハンドベルを指先で持った店主がいた。
「邪魔してごめんね、可愛いお客さん達。他のお客サンはもう帰ったから良ければ僕も混ぜてくれないかな」
2人が小さく頷くと店主は礼を言って、手に持ったティーセットから2人の妖精用にバタフライティーを準備しそれぞれの頭上から差し出してから座って自分もお茶を楽しみ始める。
「さてさてお客さん達、二人でのお願いは決まったかな?」
「あ、そうだった。何をお願いするか、お願いしないのか二人で決めなきゃ行けないんだった」
夜の妖精が忘れてたと、陰った表情で昼の妖精を見つめると昼の妖精は首を傾げて店主に尋ねる。
「それって、この前夜の妖精さんが言ってたお願いのことかしら?」
「そうだよ。夜の妖精さんの方のお願いは1つ聞けたから今度はお客さんのお願いも聞きたいな」
「私のお願い……夜の妖精は何をお願いしたの?」
少し意地の悪い笑顔で店主は答えた。
「お客さんと会いたいってお願いだよ」と。
店主の言葉に昼の妖精がポッと頬を赤く染めて恥ずかしそうに夜の妖精を見ると、夜の妖精も恥ずかしそうに頭をかいて昼の妖精を見つめ返した。
「それを叶える代わりに彼女は対価をくれたんだよね。ただ、今回頂いている対価で叶えられるのはそれまででね」
2人の様子につまらなさそうな店主が口を挟む。
「え、対価……貴方に夜の妖精さんは何をあげたの!?」
「え、いや、そんな対したものじゃないよ、店主さんに支払ったのはアタシ達の祝福だから。ほら、妖精の祝福とか言われてる友達の証をつけただけ!」
「ん、もう!祝福なんて簡単にあげちゃダメ、危ないのよ」
「心配してくれてるの?ありがとう。でも大丈夫だよ、この店主さんアタシ以外の祝福も死ぬほど持ってるくらいおかしな人なんだから」
何を言っても2人の妖精の馴れ合いの出しに使われるので、お茶を啜りながらそのやり取りを眺めていた店主はもう黙って見守っていることにする。お客さん同士の仲をかき乱すのは面白いが自分をいいように使われるのは少し面白くない、店主は互いを思慕する感情を知ってはいるが理解は出来なかった。都合が良ければ時折利用するだけだ。
「祝福をあげるだけで、昼の妖精さんと会えたんだから安いものだよ」
「うふふ、嬉しいわ。でもそうね、貴方の祝福だけで会えるのは今日だけなのでしょう」
「そうだね、すごく残念だけど」
夜の妖精は自分のテラリウムを飛び出して、昼の妖精のテラリウムの前にやってきてガラス越しに手を合わせる。
「本当に残念、アナタと会えたらアタシ話したいことが沢山あるのに」
「私も残念だわ、毎日会えるならお花を毎日プレゼントするのに」
「アタシも毎日夜の星砂をおくるのに。昼の妖精さんと毎日会えるなんてすごく幸せだしお仕事も頑張れちゃいそう」
もう何杯目かの入れ直した紅茶を飲み干そうとしていた店主は深く腰掛けていたソファから身を乗り出して、ここぞとばかりに2人に提案した。
「それじゃあ毎日数時間だけ、お客さん2人が出会える場所を用意してあげるのはどうかな」
その提案にどういう事だろうか、と首を傾げる2人の妖精に店主は続ける。
「今お客さん達がいる、テラリウム。それにはね、夕暮れから時の進まない黄昏時のテラリウムも作ってあるんだ。そこならば昼も夜も同時に存在できる、そしたら毎日会えるでしょう?もちろんしっかりと対価は頂くけれど」
店主がパチンっと指を鳴らすと何処の引き出しがひらく音がして2人がいたテラリウムと似ているが、オレンジ色の光を灯したテラリウムの瓶が飛んでくる。それを手に受け止めた店主は妖精達に見せて、1輪植えられた大きな花を指さす。
「これがそうなんだけど、このテラリウム実はねある特別な花を育てるために作ったんだ。でも条件を満たすことが出来なくてねえ……花が咲かなくて困ってたんだよ」
「それって、幸福の花じゃないですか!私も初めて見ました確か幸福な記憶を栄養にして育つと!」
昼の妖精が店主の指さした花を見て嬉しそうに声を上げる。この花は特別な環境でしか育たず、育ってもある条件を満たさないと花を咲かさない特別な花らしい、夜の妖精はよくわかっていなかったが昼の妖精が嬉しそうなので笑顔になる。
「そうそうそれだよ。でも中々花を咲かせるまでに至らなくてね……だからお客さんたちに協力してもらおうかなと」
「手伝うって、アタシ達は何すればいいの?」
「お客さんがこのテラリウムで過ごして、その幸せな時間の記憶を栄養に花を咲かす。僕はその花を貰う、お客さん達は毎日一緒に過ごした時間の記憶は失ってしまうけれど幸せな気持ちはきちんと残るよ」
それが対価でどうかな、と店主が首を傾げると妖精達は顔を見合せて悩む。
「記憶は失ってしまうのはちょっと嫌ですね」
「でも毎日会えるのは嬉しいね」
「「どうしようね、困ったね」」
2人の妖精は考える。
ガラス越しにいる相手、毎日会えたらどれほどの幸せだろうか、その記憶を失ったとして一生交わることの無い生活が毎日、たったひとときだけでも会えるならそれは最大の喜びなのではないかと。
「ねえ、夜の妖精さん」
「なあに、昼の妖精さん」
「私は貴女が記憶を失っても、今日もちゃんと会ったって証明出来るように向日葵を送りますわ」
「それいいね。そうしたらアタシも毎日星砂を夜の妖精さんに送るよ」
妖精たちは店主に向き直り、改めて願い事を口にする。
「店主さん、わたし達は毎日ここで会いたいわ」
「店主さん、アタシ達は毎日ここで会いたいな」
「承知致しました。商品は毎日の出会いの場所を、対価はその時間の記憶を頂きます、よろしいですね」
「「もちろん、よろこんで」」
答えを聞いた店主は満面の笑顔で2人の前に契約書を差し出した。
「ではこちらにサインと口付けを」
妖精達はそれぞれ差し出された書類をよく読んで店主の言った通りの場所に口付けを落とす。妖精の口付けは信頼の証、その行為自体が契約でありそれによってなされた約束は必ず守られる事を店主はよく知っていた。
「商品のお買い上げありがとうございます。それでは明け方までごゆるりとお楽しみ下さい」
夕焼けのテラリウムに妖精2人を残して店主は奥の通路へと消えていく。今夜の妖雑貨店は妖精のお客様2人のために特別深夜営業中。
◆◆◆
妖精達がやって来るようになってからしばらくたったある日の朝、昼の妖精が店を出ていくのを見送った店主がキッチンで少し遅めの朝食を食べているとウパが飛び込んでくる。
「店長!なんかいい匂いするんだけど」
「おそようさん、ウパ。少し前にレストランのオーナーから美味しいパンケーキのレシピを教えて貰ってね、ウパも食べる?」
黄金色の蜜をわざとらしく目の前で垂らし店主がウパを誘うと首をもげそうな勢いで縦に振る。寝癖なのかくせっ毛なのか分からない跳ねた髪がぴょこぴょこ揺れてとても愉快だ。
「てんちょー最近よくコレとかパンとか、スコーンとか食べてるけどハマってるの?」
「なかなか手に入らない特別な蜜が手に入るようになってね。ほら、この前言っていた夢蜂だよ」
「んむっ……捕まえたけど育て方が分からないって言ってたやつ?」
ウパの口に切り分けたパンケーキを突っ込みながら店主は頷く。少し前に箱庭植物園から分けてもらった特別な蜜蜂の仲間がいたのだが、生息数が少なく育成方法に困っていた。唯一見つけた古い文献によると一定の条件下でしか咲かない花の蜜を好みその花によって作られた蜜は至高の逸品だとか。
「そうだよ。彼らが好む花は見つけたのだけれど上手く花を咲かせてくれなくてね」
「え、もしかしてその花って……」
「幸福の花、人が満たされている時の記憶を栄養に育つ幻の花。最近やっと咲いてくれるようになったからね」
嬉しそうにたっぷりと蜜をかけてパンケーキを頬張る店主をウパはドン引きした顔で見つめるが店主はお構い無しにウパのパンケーキにも蜜を追加してやる。
「これが本当の幸せの味って言うやつだね。いやこの場合、記憶を失っている人がいるから他人の不幸は蜜の味が正しいかな」
文句ありげな顔をしながらも食べていたウパに店主が笑っていると店先の方から小さくベルの音が聞こえてくる。
どうやら新しいお客さんが来たようだ。
「おや、ようこそ妖雑貨店へ。あなたの望むものならなんでもあります、ここでは値段はプライスレス! 最近仕入れた特別な蜂蜜──商品名は、妖精の幸福なんていかがですか」