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折々な日常の中で  作者: 仲村遊一


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誕生日


本日、誕生日を迎えた。




誰にでもある誕生日。

そんな日を無事に迎えた。

まずは産み育ててくれた両親に感謝、と同時に五体満足で現在まで生きてこれた。

大袈裟でもなんでもなく、毎日が無事に終わることの幸福を改めて感じる日と個人的には思っている。

どうしたってこういう気持ちは忘れてしまう。

当たり前が当たり前ではないこと、朝起きて夜寝れることの本当の意味での幸せを噛み締める。

未だ両親の脛を齧りながら生活しているので、この日を気にそろそろ親離れをしないといけないと思う。


オッサンと呼ばれる中年に差し掛かる年齢になっても誰かに誕生日を祝われるのは嬉しい。

「おめでとう」という言葉の意味を年齢を重ねながら嬉しさ半分小っ恥ずかしさ半分で聞いている。

どうしても年齢を重ねると素直に喜べない。

子供が悪いことをして親に怒られている時のようなモジモジした感じ。

何も悪いことをしていないのに何故こんな感情になるのかはもう少し年齢を重ねた時にわかるのかもしれない。


再三登場して申し訳ないが、妻と一緒にいた時にはお互いの誕生日にはプレゼントを贈らないという決め事をしていた。

それは誕生日だけではなくクリスマスなどのイベントでも同じようなルールがあった。

理由は面倒臭いから。

私から言ったわけではないが妻との話し合いの中で自然とそういうふうに決まった。


妻は率直に言うと生きていたくない人だった。

自分の人生を自分で終わらせる勇気が無いと常々言っていた。

その為かその気持ちを尊重するために誕生日は祝わないことにしていた。

その事も誕生日を素直に喜べない一員になっているような気がする。

決してこの決め事に後悔をしているわけではないが、もう少し他の方法で人生を前向きにすることは出来たのかな、と今なら感じる。

当時はがむしゃらに日々やってくる選択のベストではなくベターを選び続けていたと思う。

当時つけていた日記からもどうしようもない感情が殴り書きで書かれていた。

何もかもから解放され、他人事のように思い出すとなんとも言えない感情になる。


これからは身の回りにいる大切な人の特別な日を純粋にお祝いすることができるのだろうか。

普通の人からすればそれほど難しくないことだと思うが、私にとって少しリハビリが必要な問題だ。

それでも色々と失敗してきた以上、これからこういった部分にも前向きに向き合っていきたい。


自分の誕生日を迎えて改めて思う。

まずは目の前にある幸せを噛み締めよう。

それからでも問題と向き合っても遅くはない。


明日からも人生は続くのだから。





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