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折々な日常の中で  作者: 仲村遊一


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痛み


痛みに強くある必要は無いのだな、と感じた。




エッセイ、というのはありがたい存在なのだなと感じる。

ネット媒体ではあるが有難いことに一定数の読者にも恵まれ、また周りの知人等に教えたこともあり、モチベーションという点では高いところでキープしている。

毎週更新するということも少し前までは書くことに四苦八苦していたのだが、最近は書くテーマもその中身についてもスムーズに頭に浮かぶようになってきている。


何故うまくリズムが掴めるようになったのかというと、一つは周りの人たちとの関係性が整理されたことが大きいと思う。

仕事での異動やそれに伴う関わる人の変化、新しい出会いなどである意味刺激的な日々を過ごしている。

勿論精神的にも肉体的にも疲労は溜まるのだが、それ以上に目新しさが勝っている状況だ。

この勢いがいつまで続くかはわからないが行くところまで行き、何かについての成長に繋がればと思う。





心地いい日々を過ごしながら思うことがある。

痛みを知っている人との出会いは人生を豊かにしてくれるということだ。


人は失敗や怪我などで心や体に痛みを知らないと成長しない。

人に優しくできる人や気遣いのできる人、はたまたマイペースに物事を進められる人などは、過去に何かしらの失敗を経験した人だと思う。

最近でも食事に行った方などは些細な気遣いを見せてくれた。

取り皿の交換、店員さんへの丁寧な対応、こちらへの配慮。

心地いいと思える要素が散りばめられ、こういう人たちとの交流は人生を豊かにしてくれるのだなと感じる。


かと言う自分は果たして出来ているのだろうか。

気遣いや配慮がその人たちの満足するレベルで行えているのだろうか。

少なからず傷を負った人間としてその傷を舐め合うのではなく、修復していける関係になれているのだろうか。

漠然とした不安を抱えながらも、そういう人たちとの交流を経て、もっと人間性を磨きたいと感じた。


大切な人やものを守れるように。

人は強くは生きてはいけない。

誰かと支え合い、手を取り合って日々を過ごす。

仕事だって1人では出来ないはずだ。

周りにいる同じ痛みを知っている人たちと心地いい関係を築きながら、これからの人生マイペースに生きていきたい。





昔、結婚する際に母親から言われた一言がある。

「そんなに生き急がなくても」

その当時は若く、どういう意味だったのかわからないまま勢いだけで突っ走ってきたが、年齢を重ねた今ようやく意味がわかった気がする。


様々な経験を経てからの結婚でもよかったのではないか。

今ならそういう意味で解釈する。

勿論勢いがなかったら出来ないことではあるのだが、母親からしたら何も知らない若造が突っ走っているように見えたのだろう。

未来予知したわけではないだろうが、こういう結末を迎えることを見透かしていたかのような一言だった。


経験と年齢を重ねた今だからわかる。

痛みに強くある必要はない。

しんどい時、辛い時は誰かを頼ろう。

そういう人たちが周りにはたくさんいる。

自分が頼らないと誰かが自分を頼ることは出来ないのだから。




今日だけでも頑張ろう。

頼られるような人間になるために。

1人の痛みを知る者として。






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