高校野球
「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。
野球が好きだ。
物心ついた時から家のテレビには野球中継が流れており、その影響もあるのか今日に至るまで野球が好きだ。
見るのは勿論、キャッチボールや草野球をするのも楽しい。
私自身野球経験はないが、素人ながら白球を追いかけ、汗や砂にまみれながらも必死になってプレーしている。
最近は猛暑の影響と住環境が変わった為中々野球をするということが出来ていないが、それでも機会があれば喜んでグローブを持参し、白球を追いかけることだろう。
子供の頃の夢はプロ野球選手だった。
この時期になるとプロ野球ではペナントレースが行われ、毎日のように地上波で野球中継が流れていた。
一球一球ごとに子供ながら手に汗を握り、喜怒哀楽を全面に押し出しながら画面に流れるスター選手を眺めていたのを思い出す。
家族で食卓を囲みながらも目線はテレビで常にテレビのチャンネル権は自分にあり、母親がうんざりした顔をしながらも父親とブツブツ言いながら野球を見ていた。
「よくも飽きずに毎日見るね」と見たい番組を我慢しながらも優しい眼差しで私のことを見つめていた若かりし頃の母親をこれを書きながら思い出す。
実際にここまで好きなのに野球をやってこなかったのは、野球にはお金がかかるという事と両親が保護者会に入会するのを嫌がったからだ。
詳しいことは割愛するが子供ながらに悔恨と挫折を味わったのは言うまでもない。
あれほどまでにやりたかった野球を出来なかったことに大人になった今でも少し悔いがある。
野球をしている同級生を横目に他の部活動に入部した私は羨望の眼差しで見ていた。
話は変わるが今年も夏の高校野球が開幕した。
毎年開催時期や日程などで大人たちが議論を繰り返しているがそんな事とは無縁の高校生たちが必死になってプレーしている。
私の母校は早々に敗退してしまい、母校の応援に甲子園に行くというのは今年も叶わなかったが、それでも高校生の3年間を甲子園に行くという目標に向かって努力したことに乾杯したい。
ろくに部活動などせずアルバイトに明け暮れた私にとって部活動というのは縁の遠いところにあった。
アルバイトをしながら中学校の同級生などに会った際に部活動の話をされるのが辛かった。
あのキラキラしたところからすごく遠いところにいるのだなと感じていた。
一種の劣等感すらあった。
未だに同級生などと学生時代の話をすると部活動をしていたか否かで学生生活の密度が違うことに気づく。
わざと遠ざけ目の前の楽しいことに飛びついた事の報いを今になって感じている。
通勤していて学生たちが学校に通う姿を見ると本当にキラキラしているなと感じる。
二度と訪れることのない学生生活を謳歌しているを見ると昔のことを思い出す。
子供の頃のことだ。
小学生も高学年に差し掛かろうかというときのある夏休み。
珍しく父親が夏の高校野球を見に行こうというので喜び勇んで近くの野球場まで足を運んだ。
母親に簡単なお弁当を用意してもらい、炎天下の中観戦した。
目の前に映る「野球選手」は大きく、これから自分が目指す場所で懸命になってプレーしていた。
真剣な中にも楽しそうに、懸命に一丸となって勝利に向かって頑張っていた。
炎天下の為、大人たちは日陰で見ている中、1人バックネット裏でジリジリと日差しに照らされながらもかじりつくように見ていた自分も近い将来「そこ」に立つと疑わなかった。
だがそこに立つことは無かった。
今となってはほろ苦い記憶だけが残る。
何故あの時本気で野球をしたいと言わなかったのか。
何故両親を説得できなかったのか。
何故目の前の問題から逃げたのか。
何故、何故、何故、と今更ながら考える。
あの時から問題から全て逃げてきたように感じる。
自分の将来、やりたいこと、恋愛、仕事、そして妻。
逃げてばかりの人生になってしまった。
もうこれ以上後悔したくない。
何でもいいから逃げずに真正面からぶつかり闘いたい。
もう自分自身に負けたくない。
恥ずかしい人生を生きてきた。
本当に何一つ誇れるものも無い。
そして逃げる人間は何かを得ることも無い。
残るのは後悔だけなのだと身を持って感じる。
これから先、様々な選択肢が目の前に突きつけられるだろう。
生きるというのはそういうことだ。
その時の判断材料として「どちらが後悔しないか」を念頭に物事を判断していきたい。
今年も高校野球が始まった。
あのキラキラした青春の中で、選手たちは出来るだけ後悔の無いようにプレーしている。
勝負の世界だ、勝ち負けは必ずある。
だがそれで人生の優越が決まるわけではない。
高校球児を見て、原点に気づいた気がする。
出来るだけ後悔の無いように生きよう。
明日からとは言わず、今から頑張ろう。
生まれ変われると信じて。




