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折々な日常の中で  作者: 仲村遊一


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活字


定期的に摂取するようにしている。




活字を読むのが好きだ。

最近は朝から時間がある時に新聞を読むようにしている。

子供の頃はテレビ欄しか読まないような子だったが、大人になるにつれて一面とコラムの方を読むようになった。

最近の世界情勢、国内の問題、地域の話題、ちょっとした豆知識などが所狭しと紙面を覆っている。

隅から隅まで読んでいるわけではないが、気になった部分はしっかりと目を通し、世の中の流れに遅れないようにしている。


また雑誌や小説、ネットニュースなども毎日のように摂取している。

雑誌は好きなスポーツ雑誌、小説ならミステリー小説、ネットニュースなら小さいコラムからエッセイ、天気から株価、はたまたスポーツ速報などスマホ一台あれば色々な情報が入ってくる。

情報過多にならないように出来るだけスマホから離れ、紙媒体で情報や活字を摂取しようと思っている。


こうやって日々を過ごす中で思うことがある。

私の周りだけなのかもしれないが、あまりにも活字を摂取しない人が多いことだ。

そういう人は得てしてボキャブラリーが少ない人が多い。


伝えたいことが伝わらない。

ボキャブラリーが少なすぎて毎回同じようなことを言うなどは活字を読まない人の典型的な形なのかなと思う。


人として生きていて尚且つ日本人なのに、この国には「日本語」という世界的にも稀有な存在の言語が存在しているのに、それを摂取しようとしないのはよくわからない。

日本語が持つ多種多様な表現方法、そこから生まれる美しさなどがわからないのかなと思う。

美徳、美意識が高い人ほど言葉の中身も優雅で品があるように感じる。

暴力的な表現しか出来ない人はある意味勿体無いとも感じる。


最近そういう人を周りから遠ざけたいと感じるようになった。

理由は単純、一緒にいて面白くないからだ。


人が一生懸命話していてもつまらなそうな顔や態度を見るのが辛くなった。

年齢を重ねてきて友人や同僚の方との付き合い方も変化し、無理に付き合う必要は無いのだなと身をもって感じた。

排除まではいかないが上手く付き合う、という事を学ばないといけないと感じる。


この場を借りてしがないエッセイストとして、出来るだけ難しい表現方法を使うことなく、日本語が持つ美しさを活字に乗せて運べればと思う。

そして読んで下さる全ての方に読んでよかったと思ってもらえるような作品を残したいと思う。

その為には世の中に出ている活字を拾っていき自分の情報の糧として日々活動を続けたいなと思う。


これを書き終わったら活字が持つ世界に入ろう。

次の更新をより良くするために。





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