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折々な日常の中で  作者: 仲村遊一


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思い出


先日、地元の祭りがあった。




春になると住んでいる地元では、伝統あるお祭りが開催される。

3月、4月と連続であるのだが、趣はそれぞれ違う。

3月のお祭りはこれぞお祭りといった感じで、とにかく身なりから、お祭りの内容まで派手だ。

山車が旧市街を練り歩き、時には山車同士ぶつけ合い、いわゆる「喧嘩」が起こる。

怪我人も多数出ることから、祭りのある2日間は救急車のサイレンが町中にひっきりなしに鳴っている状況だ。


4月にある祭りは逆に祭りというよりは神事に近いため、少し厳粛に進められていく。

大人が何人も必要な大きな神輿型の太鼓を担ぎ、旧市街の限られた人間だけが参加できる。

1日の最後に神社に奉納された10mを超す松明を燃やし、五穀豊穣を祈る。

こちらの方の祭りは祖父が氏子をしていたのもあり、子供の頃から参加していた。

男性しか参加できないため、父親と祖父に連れられ、毎年のように、4月になると神社で松明と太鼓を見るというのが、ある意味ルーティンみたいになっていた。


だが、高校生にもなるとその祭りにも参加しなくなった。

理由としては祖父が住んでいる(あざ)の人数が減少していったのと、高齢化で祭り自体に参加できない人が増えたのが原因だった。

参加したくても出来ないといったことになり、自然と祭り自体を見に行く機会も減っていった。


今年は実家に帰ってきた事もあり、妹から行こうと誘われた。

神事な為、毎年日付が固定されているのもあり、今年は平日開催だったが、仕事終わりに少し時間ができたため、妹と一緒に祖父の家に車を止め、見に行くことが出来た。

約20年ぶりの祭りは子供の頃とは少し趣が変わっていたが、それでもタイムスリップするのには十分すぎた。

音、匂い、人混み、出店(でみせ)

どれもが懐かしく、久々に間近で見る太鼓や松明の大きさに少し迫力を覚え、参加できるなら参加したいなと感じた。

クライマックスの松明奉納までしっかりと目と写真に焼き付け、子供の頃の思い出を妹と一緒に語りながら、ゆっくりと家路についた。


帰ってきてから思う。

何故20年も参加どころか見にも行かなかったのだろうと。

久々に行って楽しかった頃の思い出を振り返すくらいなら、実家を出て結婚するまでには何回でも行け、なんなら参加できる機会はあったのになと思う。

太鼓は人数の制限で担げなくても、法被を着て練り歩くぐらいなら出来たのに、と戻れない現実と時の残酷さを感じる。


話は少し変わるが、昨年秋、その祭りに参加していた祖父が亡くなった。

齢90を越えていたのでいつ亡くなってもおかしくはなかったのだが、亡くなる1年ぐらい前までは、毎朝畑仕事をして、昼寝をし、夕方から晩酌を楽しみながら相撲を見るといった生活をしていた。

たまに顔を出すとすごく嬉しそうにして、話し相手をしながら美味しそうにお酒を嗜んでいたのを思い出す。

昔ながらの人で、ボロボロになったものでも勿体無いと自分で修理をし、頑固で人の言うことはあまり聞かない人だった。

タバコも成人前から吸っていたと言っていたし、銘柄はずっと変わらないため、最後の方は手に入れるのすら貴重になる程の銘柄を吸い続けていた。

シケモクだろうが何だろうがタバコを吸い続け、病院に入院しててもタバコを吸っていた。

お酒も飲む銘柄が決まっていて、必ずウイスキーしか飲まなかった。

お酒のアテも自分で作り、子供ながらに少し頂いていたのを思い出す。

かっこいいというよりはダンディな祖父だった。

そして大好きだった。


最後に会ったのは昨年のお盆だった。

いつも通り顔を出すと、寝たきりになっていた祖父が顔だけこちらに向け、嬉しそうな顔をしていた。

たわいも無い会話をし、帰ろうと思った際に祖父から、

「もうワシは長くない」

と寿命を悟ったような言葉を発した。

そんなことはない、大丈夫と言っていても、体力、気力共に限界が近かったのだろう。

辛そうにしている祖父を横目に何も出来ない自分の無力さに嫌気が指しながらも、離婚問題などで気持ちに余裕が無かった為、短時間で帰ってしまった。

そんな別れ方が最後になるとは思っていなかった。


私はどんなことがあっても人前では泣かないと決めていた。

泣き顔を見られたくないということもあるが、心配されたりするのが苦手なので、どれだけ辛くても泣くことは無かった。

だが告別式ではその決め事は意味を為さなかった。

次の日、目が腫れる程泣いた。

泣いても泣いても涙は枯れなかった。

後悔と感謝という複雑な感情を胸の中にしまっておく程、感情のコントロールは上手くなかった。


告別式の時に忘れられない光景を目にした。

いつも祖父とは口喧嘩ばかりで、あれほど私の前で愚痴を吐いていた母親が、出棺前の最後のお別れの時に、実の父である祖父の頭を子供を撫でるかのように優しく撫でながら、

「ありがとう、お疲れ様。」

と誰にも聞かれないくらいの小さな声で呟いていた。


どれだけ日々の生活の中で嫌なことや歪みあっていても、故人の最期には感謝を述べる。

この人が母親でよかったと思えたのと同時に、その言葉を聞いて余計に涙腺が崩壊したのは言うまでもない。


あれから半年以上経った。

未だに祖父の家に行くと、ひょっこり顔を出していつもと変わらず美味しそうにウイスキーとタバコを嗜みながら、

「よう来たな。」

とそこに居そうな気がしてならない。


実感が無いとはこのことなのだと思う。

もっと色々と話しておけばよかった。

もっと時間を割いて会いに行っておけばよかった。

今、これを書きながら強く思う。


これから出来るだけの後悔をしない為にも、会いたい人や大事にしたい人には多少無理してでも会おうと思う。

故人は生き返らない。

当たり前なのだが、実体験を通じて学んだ気がする。


祖父は亡くなっても、私の人生はまだ続く。

思い出を胸にしまい、大事な時に言われた言葉を思い出し、人生を岐路をうまく立ち回れるようにしよう。

そして色んな人と交流を持とう。

その時は祖父の形見として貰った何十年も前の銘柄の名前が書いてある吸い殻ケースをポケットに忍ばせながら。





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